帝都恋絵巻〜陰陽師の娘と鬼の皇子
秋ユリカ︎🌟スターツ出版文庫大賞特別賞受
1章 その一瞬の勇気が、恋も夢も私のすべてを変えた
第1話「私の恋は、その時から始まった」
プロローグ
『その一瞬の勇気が、「恋」も「夢」も私のすべてを変えた』
和平の儀式会場を襲った刺客たち。
鈴音は、『神鏡』を使った反射術で敵を退けたものの、霊力を使い果たして意識が遠のいていった。
強い腕が、崩れ落ちそうな
見上げると、皇子の透き通る紫の瞳がこちらを見降ろしている。
「大丈夫か」
低く美しい声が、鈴音の耳に響く。
その瞬間、鈴音は自分が夢を見ているのではないかと思った。
間近で見る
額に小さく突き出た二本の角が、彼が人間ではないことを示している。
鬼族の第一皇子――
人間との和平交渉のために異界からやってきた、鬼族の皇子だった。
鈴音の心臓が、とくんと鼓動する。
黒曜の腕は
鈴音を包み込む彼の体温。
美しい顔が間近にあることへの動揺と、守られたような安心感が入り交じる。
陰陽師として、刺客から皇子を守ろうとしただけなのに。なぜこんなにも胸が苦しいのだろう。
「無事だったのですね……良かった」
鈴音の純粋な言葉に、黒曜の紫の瞳が揺らめいた。驚き。そして、わずかな興味の色。
――それは、帝都に雪の舞う日。
一人の陰陽師の娘と、鬼族の皇子がはじめて出会った夜のことだった。
***
大正、冬の帝都。
洋館と和風建築が混在する街並みに、路面電車の音が響いている。都市部の中心地に座する平安宮では、歴史的な和平儀式の準備が進められていた。
『人間と鬼族』との平和条約延長の調印式。
『鬼族の第一皇子』が、江戸時代後期に結ばれた和平条約の延長を締結するため、異界から訪れていた。
陰陽師・
つややかな黒髪は、ぱつんと肩より少し長めに切り揃えられ、彼女の清楚な雰囲気を際立たせている。
透明感のある白い肌と、大きな黒い瞳が印象的だ。
鈴音は『ハイカラさん』と呼ばれる、大正時代の進歩的な女性スタイルで装っていた。上半身は伝統的な着物姿ながら、下半身には
「星川、そちらの結界は問題はないか?」
上級陰陽師で上司である山崎の声に、鈴音は振り返る。
「はい」
「南の方角、火の気を強めに設定しました」
「よし、君の担当は第三結界だ。南の方角の守りを頼む」
鈴音は袴の懐から符を取り出し、緊張してべっとりと湿った手の平に握った。父から受け継いだ霊力が、静かに符に宿っていく。
成宗――鈴音の父にして、帝都でも指折りの陰陽師だった。三年前にあやかし討伐の任務で命を落としたが、その技術と知識は、娘にしっかりと受け継がれている。
しかし鈴音の実力は、まだ発展途上だった。同僚たちの中でも、年少でまだ陰陽師になってから年数も短く経験も浅い。
それでも父への憧れと、『人を守りたい』という純粋な想いだけは、誰にも負けない自信があった。
袴の裾を翻し、鈴音は指定された場所へと向かった。足音が廊下に響く。電灯の明かりが彼女の横顔を照らし、緊張に強張った表情を浮かび上がらせた。
今日という日を、鈴音は一年前から心待ちにしていた。
父・成宗が生前語っていた夢。人間と鬼族が真に理解し合う世界。その第一歩となる重要な式典に、自分も陰陽師として参加できる――それが、どれほど光栄なことか。
式典開始の一刻前。
平安宮の正面玄関に、黒塗りの馬車が到着した。車輪が石畳を軋ませ、馬のいななきが夕暮れの空気を震わせる。馬車は、多数の護衛を連れていた。
鈴音は、近くの窓から階下を見下ろし、その様子に視線を向けた。
馬車の扉が開かれると、まず頭部に角のある金髪の女性が降り立った。鬼族だ。鋭い金の瞳で周囲を見回し、警戒を怠らない。続いて現れたのは――。
鈴音の息が、止まった。
漆黒の軍服を纏った青年が、ゆっくりと馬車から降りてくる。
雪よりも白い長い髪が陽の光にそよぎ、紫水晶の瞳が静かに周囲を見渡した。額に小さく光る二本の角。尖った耳。美しさと気高さを兼ね備えた容貌は、まさに異界の皇子と呼ぶに相応しい。
鬼族の第一皇子、
平安宮の職員たちがざわめく。女官たちが頬を染め、男性陰陽師たちも思わず息を呑んだ。これほどまでに美しい存在を、誰も見たことがなかったのだ。
彼の白と紫の色彩は、鬼たちの中でも異質だった。
大勢の鬼たちが彼を警護していたが、黒曜と同じような色彩を持つ者は誰一人としていなかった。
鈴音もまた、その美貌に魅了されていた。心臓が激しく鼓動し、時が止まったような感覚に陥る。
「……きれい」
声にならない呟きが、唇から漏れた。
これが現実なのだろうか。まるで絵巻物から抜け出してきたような、あまりにも美しすぎる存在。
しかし同時に、彼の纏う孤独な空気も感じ取っていた。完璧すぎる美しさの奥に隠された、深い寂しさ。近寄りがたい孤高の美しさ。
その表情を見ていると、なぜか胸が締め付けられるような思いがした。あんなにも美しいのに、どうしてこんなにも悲しげに見えるのだろう。
だが凛々しく強い鬼族の皇子に、なぜそう感じたのか、鈴音自身にもよく分からなかった。
「あれが、鬼族の第一皇子か」
外の騒がしさに、同じく窓辺に近づいてきた同僚の峯岸がそっと呟く。
「噂通り、すごい美丈夫ですね」
「だが、感情を表に出さない皇子だそうだ。笑う顔を見た人が居ないらしい」
「そうなんですか?」
鈴音が答えると、隣にいた同じ女性で同僚の陰陽師、姉小路がふんと鼻を鳴らした。
「所詮は鬼。心なんて持ってないわ。人を喰らう化け物よ」
鈴音は眉をひそめた。その言葉に胸が痛んだ。黒曜を見つめる姉小路の視線に、明らかな敵意が込められている。
「姉小路さん、仮にも皇子さまにそのような……」
「星川、あなたは甘すぎる。鬼族を信用してはならないのよ」
そこには、普段から鈴音が口にしていた『鬼族と人間が理解しあう世界』それを、暗に批判するような声音が含まれていた。
姉小路の言葉を遮るように、上司の山崎の声が響いた。
「持ち場に戻れ。式典が始まる」
陽が西に傾き、ついに式典の時が来た。
大広間には人間界と鬼族の代表者たちが居並び、厳粛な雰囲気に包まれている。
会場には『物理的脅威』と『霊的脅威』、二つの危険に対応する警備体制が敷かれていた。人間の警備隊と鬼族の護衛が通常の武力による攻撃を警戒し、そこにさらに陰陽師たちは呪術や霊的な攻撃への対策を担当している。
普通の警備では感知すらできない霊的な異変や、
人間の帝が上座に着く。そこから少し離れた隣には、鬼族の第一皇子・黒曜が座していた。
その存在感は圧倒的だった。
凛とした佇まいで微動だにしない姿。
鈴音には、あの美しい皇子がここにいるだけで、何かが変わりそうな気がした。
彼の隣には、金の瞳をした女性の護衛が控えていた。
確か資料によれば、焔という名で、黒曜の皇子の側近。長身で戦士の体格を持った鬼族の女性。彼女もまた只者ではない雰囲気を醸し出していた。
鈴音は思わず感嘆した。自分と同じ女性でありながら、この人は鬼族の第一皇子の側近という重要な地位に就いている。並大抵の実力では不可能だろう。その堂々とした立ち姿からは、長年培われた自信と実力が滲み出ている。
鈴音は大広間の隅に控え、結界の状態を監視した。何かあれば即座に術を発動できるよう、符を懐に忍ばせている。父から受け継いだ防御の術。自分も頑張らなくては。
「それでは、条約書の朗読を始めさせていただきます」
式典係の声が、会場に響く。
和紙に記された美しい文字が、蝋燭の光に照らされて浮かび上がった。
それは人間と鬼族との間で、繰り返された血塗られた戦争の果て。江戸時代に結ばれた平和の約束。それを、さらに延長するための儀式だった。
この式典の成功は、両種族の未来を左右する。失敗すれば再び戦乱の世が始まってしまう。鈴音たち陰陽師の役目は、会場の結界を維持し、儀式を護ることだった。
鈴音は胸の奥で祈った。
この式典が無事に終わりますように。人と鬼が、真に理解し合えますように――。
帝が黄色の御衣に身を包み、威厳ある声で宣言する。
「本日ここに、人間界と鬼族との平和条約延長の儀式を執り行う。この契りにより、両界の民は永劫にわたり……」
その時だった。
死の気配が降り注いだ。――天井からだ。
鈴音の背筋に悪寒が走る。空気中の霊的な流れが、突然乱れたのを感じ取った。
(何かが来る……上から!)
鈴音が天井を見上げた瞬間だった。装飾が、突如として
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