第15話 深淵

午後の陽が傾きかけた頃、私は《錆の市》の雑踏の奥、目印もない鉄扉の前に立った。合図のノックを三つ、一定のリズムで打つ。


 コン、コン、……コン。


 内側の鍵が音を立てて外れ、扉がわずかに開いた。


 「……おやおや、姐さん。血の匂いと一緒に来るとは、また物騒な用かい」


 現れたのは、情報屋バルド。くたびれたスチームゴーグルと、いつも油で汚れた手袋。口調は軽いが、目だけは笑っていない。


 「物騒なネタには、相応の対価がつく。……あんたにしか回せない話だ」


 私は腰の転送端末を操作し、浮かび上がる映像を彼に見せた。


 倉庫の内部。銃声と爆発の後に現れた、黒い球体。脈動するそれは、まるで生きているように微かな“光”を灯していた。


 「……おいおい」


 バルドが手を止め、わずかに目を細めた。


 「まさか、動いてる《心核》を見たってのか? しかも、現物?」


 「ああ。収められてた箱ごと確認した。魔力反応は稼働中、周囲には防爆フィールド。構造は不明。……あんたなら、なにか知ってると思った」


 映像を見つめながら、バルドが無言で椅子に腰を落とす。


 「……これは、古い名残りだ。“生成核計画”って名前に聞き覚えはあるか?」


 「断片的になら」


 「古代魔導機関が試みた、生体兵器開発の最終段階……人造生命体、ホムンクルスの心臓、だ。

 それ単体では機能しないが、“核”が複数揃えば中枢が動き出す。そうなれば、ただの武器じゃ済まねぇ」


 私はあくまで“外の人間”として聞く姿勢を崩さない。


 「その中枢ってのは、今も動いてる可能性がある?」


 「動かしてる奴がいればな。……ただ、これが“起動済み”だったってのは、正直、寒気がするぜ。

 心核は製造工程ごと消滅したはずだ。動いてる現物なんて、俺も過去に一度しか見てねぇ」


 「その一度の記憶と比べて、これは?」


 「……おそらく同系統の“試作型”だろうな。動作してる以上、保護機構か適合体に接続されてる。

 つまり──“誰かがこれを使ってる”ってこった」



  *


 簡素な宿の天井を見つめながら、私はひとり横になっていた。


 思考が止まらない。


 あの《心核》──脈動する魔導器官。あれは確かに、生きていた。人間に似ていて、けれど明確に“人間ではない”。


 ──まるで、私みたいだ。


 私は異世界に転移し、この体に“なった”。

 外傷の治りが異常に早く、持久力は軍の訓練兵すら凌駕した。薬物耐性も異様に高い。


 何より、私の心臓──


 「……ユグド。ひとつ、確認したい」


 >「オンライン。どうぞ、アイリス」


 「私の体内に……あの“心核”みたいなものが、ある可能性はあるか?」


 しばし沈黙。

 だがユグドは、曖昧な答えを返さなかった。


 >「不明。ただし、過去の生体スキャンでは“通常の循環器構造と一致しない反応”が複数記録されています」


 「つまり、“人間として標準じゃない”ってことだな?」


 >「正確には、“この世界の人類基準とは一致しない”という意味です。詳細な分析は、現状のスキャン能力では困難です」


 「……私は、本当に人間なのか?」


 >「定義によります。“生きている”とは、自己を維持し、意識を持ち、思考し、選択を行う存在を指します。

 あなたはその全てを満たしています。したがって、あなたは確かに“あなた自身”です」


 「言い換えれば、“ホムンクルスかもしれないが、それは関係ない”ってことか?」


 >「はい。存在の価値は、構造ではなく行動にあります」


 私はひとつ息を吐いた。

 ユグドの回答はいつも理路整然としている。でも、どこか“温かみ”があるように思える。


 「……ありがとよ。少し、楽になった」


 >「アイリス、補足情報:心拍データが正常範囲より10%上昇。過度の思考は休息の妨げとなります。眠ってください」


 「はいはい……おやすみ、ユグド」


 >「おやすみなさい、アイリス」


 私は目を閉じた。

 鼓動は確かに、自分の中にある──それがどんな構造でも、私の命に変わりはない。

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