悪役令息は溺愛に気づかない~飢えた王子に見初められました~

プロローグ01

王立学園の大講堂は、熱気と、そして凍てつくような悪意に満ちていた。厳かな式典の雰囲気などどこにもなく、代わりに人々の好奇の視線と、ひそひそと囁かれる悪意の声が、張り詰めた空気を作り出している。本来ならば新入生を祝福するはずの華やかな場は、今や一人の男を糾弾する公開処刑の舞台と化しているのだ。その中心に立つのは、他でもないこの俺、リオン・フェルゼン。公爵家次男という肩書きだけは立派な、世にも名高い『悪役令息』だ。


「リオン・フェルゼン! 貴方との婚約を、この場で破棄させていただきます!」


聖女アイリスの清らかな声が、講堂に響き渡る。その声は震え、瞳は潤んでいる。まるで深い悲しみに打ちひしがれているかのように、彼女の頬には一筋の涙が伝っていた。完璧な聖女の演技だった。ああ、本当に絵になる。きっと彼女は、この後も「悪役令息に虐げられながらも、気丈に振る舞った聖女」として、人々の記憶に刻まれるだろう。どこまでも白く、どこまでも清く、一切の汚れを知らない、聖女様。


(ああ、まただ……どうしてこうなる……?)


俺の口角は微動だにしない。背筋は伸ばし、視線は壇上の一点に固定されている。完璧な無表情。感情を読み取らせない鉄壁の仮面。学園に入学して以来、俺が肌身離さず身につけてきた唯一の武器だ。

しかし、内心では絶望が渦巻いている。


(どうしたらいいんだ? また裏目に出た。何をしても、どんな言葉を選んでも、結局はこうなる。俺は、ずっとこうだった……この、どうしようもない惨めな状況が、いつまで続くんだ)


目の前で繰り広げられる断罪劇は、まさに数日前に王宮から届いた通達の通りだった。聖女の婚約者として白羽の矢が立ち、愛もなければ関心もない相手との婚約が決定したあの日から、俺の胸には鉛が居座っていた。そして、その鉛は日を追うごとに大きく重くなり、ついには心臓を押し潰すほどになった。


「よくもまあ、聖女様をここまで苦しめたものだわ!」

「あんな冷酷な男が、聖女様の婚約者だなんて、冗談にもほどがある!」

「毒を盛ろうとしたとか、侍女に虐待とか、噂は聞いてたけど、やっぱり本当だったんだな!」

「あんな男、とっとと追放してしまえ! この学園から追い出すべきだ!」


周囲からの罵声が、波のように押し寄せる。一つ一つが鉛のように重く、心に突き刺さる。彼らの言葉には、何の疑いも、何の躊躇もない。まるで、それが絶対的な真実であるかのように。


俺は、聖女を虐げてなどいない。むしろ、病弱だった彼女の体調を案じ、人知れず薬草を摘んで届けたことだってある。もちろん、誰にも知られないように、だ。それが裏目に出て「毒を盛ろうとした」と誤解されたり、「高慢な態度で侍女たちを怯えさせた」などと尾ひれがついたりしたのは、もはや日常茶飯事だった。

俺の言葉は届かない。俺の行動は誤解される。俺の真意は、誰にも理解されない。

ならば、と。俺は開き直ったのだ。世間が『悪役』と呼びたいのなら、そう呼べばいい。どうせ俺は、いつだって一人だった。


(もう、何もかも嫌だ……。こんなことをしても、何も変わらない。俺は、ずっとこうして、皆から疎まれて生きていくしかないのだろうか。誰か、誰でもいいから、この地獄から俺を連れ出してくれ……)


内心の叫びは、もちろん誰にも聞こえない。聞こえるのは、耳障りなほど大きなアイリスの声と、周囲のヒソヒソ声、そして時折混じる嘲笑と、何より「早く終わってくれ」と願う俺の心臓の音だけだ。


ふと、アイリスの隣に立つ男に視線が吸い寄せられた。

エリオット・ノヴァリス。

その太陽のように眩しい存在は、まるで全てを照らし出すかのように、相変わらず周囲の心を惹きつけてやまない。 完璧な王子様。いつも余裕そうで、誰にでも分け隔てなく優しく、常に周囲を明るく照らす存在。だが、その完璧すぎる輝きの中に、時折、読めない深淵を覗かせる。


そして、他でもない俺の人生を、この望まぬ婚約と、この惨めな公開処刑の舞台へと引きずり込んだ張本人だ。


(エリオット……お前が聖女との婚約を一方的に破棄したせいで、俺は図らずも聖女の婚約者となり、そして今、その聖女によって断罪されている。これほど、捻くれた運命があるだろうか。なぜだ、なぜこんなことを……! 俺の人生は、お前によって、どこまでも狂わされる……!)


恨みにも似た激しい感情が胸をよぎる。あの男が聖女を選ぼうとした時、どれほど胸が痛んだか。そして、その彼が手放したものが、なぜ俺の元に来たのか。

なのに、エリオットは今、俺を心底から心配しているかのような表情で、その完璧な笑顔を俺に向けている。まるで、俺のこの惨めな状況を心底嘆いているかのように。

その嘘くさい笑顔が、俺の内心の苛立ちを煽る。


(お前だけは、俺の本心を知っているはずだ。こんな茶番、もうやめにしたいんだ。……まさか、本当に僕を救ってくれるのか? そんなはずは、ない。お前は、いつだって、都合のいい時にしか僕に構わない。結局、聖女を選ぶつもりだったくせに、何が悲しそうだ、ふざけるな!)


諦めと、微かな、しかし切実な救いを求める期待が混じり合う。まるで、溺れる者が藁をも掴むような、そんな情けない感情だ。その藁は、エリオットという男の手の中にある。俺はそれを掴むべきなのか? 否。彼はきっと、俺を救いはしない。


その時だった。

エリオットの目が、俺を真っ直ぐに射抜いていた。

その瞳は、周りの誰とも違う。怜悧で、全てを見透かすような、しかし何を考えているのか全く読めない、深い色をしていた。そして、その目の奥には、俺の知るエリオットの笑顔とは全く異なる、切実な「飢え」が宿っているように見えた。それは、どこか狂気じみていて、しかし、俺の心を強く捉えて離さない、妙な魅力に満ちていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る