第四話 阿笠衣咲
阿笠衣咲は一年生の頃、一目惚れをした。
男子にではなく女子にだ。今までは、同性に対してこんな感情を抱いたことは一度もなかった。
まず容姿に惚れた。楽しそうな顔に惚れた。気づくと思わず話しかけていた。
「入学初日からスリッパって、凄いね」
「ん? 誰?」
「あたし衣咲。阿笠衣咲」
「私は橋田穂波! 悪いんだけど、今日コンタクトレンズしてくるの忘れちゃってさー! 顔見えないから、詳しい自己紹介は明日にしてくれる?」
「忘れ物だらけじゃん! 全く、仕方ないなぁ」
彼女は、女子なのに話が面白く、当たり前のような優しさを持っていて、人の悪口を言わず、いつも元気だった。
そして彼女には衣咲の面倒見のよさがよく似合った。知れば知る度、衣咲は彼女の虜になった。
だが、同時に衣咲は世間体をよく気にした。皆が当たり前としていることが、衣咲にとっての当たり前だった。だから、同性愛がまだ強く受け入れられていない現代で、世間体を気にするあまり、衣咲の恋は叶わないものとなった。
ならばせめて、友人として隣に立ちたいと思った。最初は特に目立とうともしておらず、普通の生活を望んでいたものの、彼女に見合う存在となるべく自らを見直した結果、衣咲はあっという間にカーストトップのグループへ上り詰めていた。
と、そこに一人の変な男子がいた。彼は媚びることで、そのカーストトップのグループにぎりぎり所属しているというおかしな奴だった。
衣咲は彼が気になった。と、言うよりは彼と衣咲の好きな彼女との関係が気になっていた。なんか妙に距離が近いのである。彼女は、彼の扱いを知っているという風に立ち回るのであった。
だから彼が嫌いだった。彼と彼女がくっつく可能性を予見しては、気のせいだと、あり得ないと首を横に振る謎の行為を繰り返していた。
そんなある日である。朝の準備時間、彼女――穂波が彼――凌介を呼び出して、二人でどこかへ行ってしまったのだ。ついにその時が来たか、とまずそう思った。そして、阻止しなければいけないと決心した。二人がくっつくのを阻止しなければいけない。なぜなら、彼女は私の……大切な友達なのだから。
が、案外すぐ戻ってきたので、不思議に思った衣咲は穂波に直接聞いてみることにした。穂波は嘘がつけない。なので、彼女が動揺を示した時、衣咲は落胆してしまった。
「りょ、凌介とは何もないよ! 別に! うん!」
そう言っていたが、昼休みにまた二人で教室を抜け出した。これは告白が成功して、その後、二人で学校を抜け出してどこかへ行く展開ではないか、と予想した。
居ても立ってもいられなかった。すぐに二人の後を追った。二人は教室を出てすぐの廊下で、何やら揉めているようだった。
「あーもう! やるならやる! あと敬語!」
もう、そんな関係になっているのか。いや、まだキスとか、その程度に違いない! いや、キスも駄目だけど! 衣咲の被害妄想は酷くなっていった。
そして、穂波が衣咲の存在に気づいた。明らかに声の調子を整えている。これは……もう……。
「穂波……あんた何してんの?」
「い、いやぁ……あ、こ、今度のテスト、自信ないからさ。凌介に教わろうと思ってー」
「聖也でよくね? なんで凌介?」
「た、確かにー、はははー」
穂波は嘘が下手だった。そしてドジでもあった。それが咄嗟の嘘であると、すぐに分かった。
だが、まだ一つの希望は捨てていなかった。そう、それは、どちらから告ったのか、ということだ。仮に凌介が勝手に好きになっただけなのだとしたら、穂波にはなんの罪もない。穂波が断ればいいだけの話だ。
「まさか……あんた……」
だから、その願いに縋る思いで、衣咲は凌介を見て言う。
「な、なんすか……?」
「……ほ、穂波と付き合ってる? ……穂波に告った?」
しばしの沈黙。そして凌介が一言。
「は?」
穂波はあっちゃーという様子で額に手を当てていた。なんか、まずいことを言ってしまっただろうか。衣咲は状況が理解できず、「え?」と聞いた。
「な訳ないじゃん! むしろ嫌いだし! こんな奴!」
「え、酷い」
「だ、だよねぇ! こんな奴、ないに決まってるよねぇ!」
「いや、酷い」
どうやら勘違いだったようだ。だが、それなら何を話していたのだろう。
「ちょうどいい、凌介! この勢いで、聖也に言っちゃお!」
「え? どの勢いっすか?」
穂波が凌介と衣咲の背中を押して、無理やり教室に入れた。座っている聖也の前に立たせて、「ほら!」と凌介に声をかける。
「……っ! やい! 小野聖也!」
勢いに任せるように、凌介が叫んだ。教室の注目の的になっている。生徒たちは皆、不思議そうにこちらを眺めていた。
「ん? どした?」
「今日をもって俺は、独立する!」
同じく座っていた弘樹が「マジ?」と一言。え、もしかして。衣咲が穂波を見ると、彼女は「……これの相談受けてたの」と小声で説明した。
「……な、なんだぁ! 驚かせないでよね! ただの凌介が独立するってだけの……」
「断る!」
「……え?」
衣咲の声を遮断して、聖也が立ち上がった。
「今更、荷物持ちを卒業できるとでも? 自分の居場所は、自分で勝ち取ってみなよ」
聖也は声を大きくして続ける。教室の外にも見物人ができていた。
「凌介と俺! 勝負しよう! テストの点数とバスケの得点対決だ! 勝った方が負けた方に命令できる! そういうルールで! どう、皆!」
皆に聖也が訊ねると、生徒たちは「うぇーい!」と声を荒げた。盛り上がりがピークに達していた。完全にお祭り状態だった。
その中で、衣咲は一人安堵していた。だから、「審判はあたしたちがやる!」と名乗りを上げた。彼女はすっかり元気を取り戻していた。
「うぇーい! いいじゃん! 俺も審判するし!」
弘樹もノリノリになっていた。穂波も「う、うぇーい!」と無理やり声を出した。
衣咲も「うぇーい!」と叫んで、今の気持ちをその言葉に込めた。恐らく、誤解が解けた彼女のテンションが一番高いと、彼女自身がそう思った。
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