Ψυχή:堕天:世界は命でできている
H/B
プロローグ
第0話 見知らぬ惑星、見知らぬ大地
この惑星で隠遁生活を始めてから、もうどれほどの時間が過ぎたのだろう。銀河の管理者たる第二世代LENの一員である私が、どうしたわけか「見つからない自信」に満ち溢れ、まるで幼い子供のように無邪気に振る舞っている。ルシと私は、この星の片隅で、誰にも邪魔されない気ままな日々を過ごしている。
農作業服に袖を通すなんて、かつては想像もしていなかった。純粋なエネルギー体であった私たちLENにとって、物理的な「服」は無意味な概念でしかなかった。だが、今、この「
ここ数日は晴れの日が多い。この惑星には、
「ねえねえ、いい加減教えてよ。どうやってこの体?インタレスだよね、これ。どうやって生成するのよ?」
ルシは、収穫したばかりの作物を抱えながら、目を輝かせて私に詰め寄る。その好奇心は、かつての私の「探究心」に似ている。
「えー、前にもう教えたじゃん。面倒だし、あんまり使っちゃ駄目なんだから、もう教えなーい」
私は意地悪く笑いながら、彼女の追及を躱す。この「人類の体」を生成する技術は、この世界を形作る理論の、言わば「模倣」に過ぎない。エネルギーを物質に変換し、それを特定の情報構造(この星の生命体)に合わせ込む。
「えー、なんでよー。私は教えたじゃん、こうやって中に入って動かすやり方」
「それはルシが教えてくれたんじゃない。ほとんどポチさんの手柄じゃないか」
ルシが言う「中に入って動かすやり方」とは、私とルシが、意識をこの物理的な体に接続する「操作」方法だ。対して、私が隠しているのは、この「器」そのものをゼロから作り出す「生成」のプロセス。その違いは大きい。
「これも問題だよなぁ……第一世代のLENは、私たちがこんな『箱庭』の住人を模倣した体に『入り込んでいる』ことを知れば、激怒するだろう。彼らにとって、第二世代の仕事は銀河の運行管理であり、観測者としての冷静な視点を求めてくる。ましてや、被観測対象である
とにかく横暴で頑固で厳しい、第一世代のLEN達。私のような第二世代に比べれば、数こそ多くはないが、とにかく目聡い。意に添わなければ理とあらゆる手段で言うことを聞かせようとしつこい連中。特に、トップにいる奴がとにかく面倒い。
「第二世代の仲間たちも、上辺はともかく、みんなインタレスが好きだからなぁ。彼らの過度な『人類愛』は、私の知性と相容れない。この技術が彼らに知られれば、きっと、面倒なことになるよなぁ」
第二世代は銀河の運航管理を担うだけあって、そこそこの数が居る。総じて皆、楽観的でノリがいい。本来
私たちは、この惑星で見つけてしまった「もの」—それは銀河の秩序を揺るがす可能性のあるものだ—の存在を隠している。そんな重い秘密を抱えながらも、目の前にあるこの平和が、どれほど貴重なものか。こんな幸せでいいのだろうかと自問することもある。けれど、日々が嬉しくて楽しいのだから、いいじゃないか。と、本心からそう思える毎日が過ぎていく。
「ちょっと!エンキエル!聞いてるんでしょ、ちゃんと私と会話してよ!」
ルシは頬を膨らませて、私を現実(あるいは非現実的な)会話に引き戻す。
「あ、ごめんごめん。でもルシ、これって本当にまずいもの、見つけちゃったんだよ、私たち」
「あーもうー、その話はどうでもいいから、インタレスの作り方、おしえてー」
「駄々っ子か。絶対に、もう嫌だー。二度と教えなーい」
そんな風にふざけ合いながら、隠れ家と農場を往復する日々。これは、LENとしての「仕事」という概念を完全に手放した、ある種の逃避であり、新しい探究の形なのだと自分に言い聞かせて過ごす、至福の時間。
「さ、今日中に全部刈り取って、それで粉にして、できればパンを焼きたいな。この体に入るとお腹がすくって、よくできているよね。エネルギー体には無縁だった『空腹』という感覚。生命維持のための本能でありながら、喜びにも繋がる。この構造の妙には、本当に驚かされる」
私がそう言うと、ルシは悪戯っぽく笑う。
「エンキエルの食いしんぼー」
「なんだよそれ。ルシだって結構食べるじゃないか。前より肉付き良くなってきてるんじゃない?特にほら、その、腰のあたりとか」
私は、つい軽口を叩いてしまう。この体になってから、感情と連動した言葉が増えた。
「むっ!ぶっぶー!エンキエル、アウト!罰としてインタレスの作り方を教えなさい!」
ルシは、おかしな擬音語で反論し、いつもの「罰」を要求する。
「だからそれは嫌だって……おお!ひと刈でこんなに採れた。ルシもやってごらん」
そんな軽いやり取りの中、穏やかな変化の中にいられている。今さらだけど、これもまたよかったような気もする。毎日が少しずつ変わっていって、だけど一番大事なところ—ルシと私が共にいること—は、変わりない。そんな日々。
私の名前はエンキエル。銀河を司る第二世代の
私の主な仕事は、他の第二世代のLENと共にこの銀河の運行を管理・運営すること。私たちの意識は銀河全体に微細に広がり、星々の軌道にわずかな乱れが生じれば、その歪みを即座に感知し、エネルギーの流動を調整する。それは、巨大なオーケストラを指揮するかのような、繊細で途方もない作業だ。
恒星や惑星を直接動かすことは、第二世代たる私たちの役割ではない。その辺の微調整は、現場で手を動かす第三世代のLENが担当している。彼らは文字通り、星を自らのエネルギーで覆い、自転と公転を直接管理している。そうした恒星や惑星からなる星系を、遠くから見ればまるで、巨大な光の繭が全体を包み込んでいるかのように見える。
銀河は、私たちLENが関わることでエネルギーが循環し、多くの生命、すなわち「ライフ」が生まれてきた。惑星上や、恒星に、数多に生まれ続ける「ライフ」。そして、この「ライフ」が、少し前から変質し始めている。深く考え、知性があるように見える生命体が生まれてきはじめたのだ。
LENたちの間では、そうしたライフを総称して「
余談だが、私とルシは彼ら「
そうしてこの「ライフ」の変質こそが、私たちの日常を最悪な方向に傾けた。第二世代と、現場の第三世代が、「人類」のことに入れ込みすぎていたのだ。
彼らの「人類」への熱狂ぶりは、私の冷静な知性とはかけ離れている。私は、その感情の過剰さに、正直なところ理解に苦しむ。いや、多少は理解できる。私たちLENも探究心という感情を持つからだ。しかし、彼らの熱狂は探究心というよりは、もはや「執着」に近い。
「人類」の営みを、まるで箱庭の住人を眺めるかのように観察し、その一挙手一投足に一喜一憂する。自分の好みの「人類」の個体を見つけては、名前をつけ、四六時中観察し、ついには「この人類は俺のもの」などと言い出す
さらに、彼らは私たちの日常の概念を「人類」の生活で例えることが横行していった。
「今日は恒星の軌道調整が、まるで人類の『出勤』のようだね」「あの惑星のエネルギー調整は、まるで人類が『眠る』のと同じで、繊細な作業だ」と。
まあ、この言語の模倣に関しては、それほどは最悪ではないが、第一世代の前では御法度なところがある。正直、第一世代の古株にしてみたら「なんだそりゃ?」な言い回しになるわけで、万が一にも聞かれると、面倒すぎて最悪かもしれない。
そんな
もう随分と昔の気がするが、ルシとの出会いが私を開放した。彼女の存在は、私の知る宇宙の常識の外にある。どこか異質な輝きを放つ彼女を見ていると、LENに伝わる神話が脳裏をよぎる。
「太古の混沌から宇宙の秩序を整えた」とされる第零世代LEN ヤツガルドや、彼と共にあったSIN オウニ の物語だ。
ルシは、この強大な神話時代のSINの影を宿しているのだろうか。私はそんなはずはないと否定する。あれはただの伝説だ。銀河の管理者たる私の知性が、そんな非論理的な概念を受け入れることを拒否する。だが、彼女の持つ「何か」—それは、私が観測し、解析しようとしても掴みきれない、圧倒的な「特異点」だ—は、いつも私をその神話に引き戻してしまうのだ。
思えばあれから、ずいぶんと多くの変化があった。
その全ての始まりは、私が宇宙の果てでルシと出会ったあの日だ。今でもはっきりと思い出せる。あの日の君の、常識を打ち破るような笑顔と言葉、それに交わした、たわいもない出来事まで。
あの日から私は、銀河の調和を乱すノイズとなって君と共に長い時を歩んだ。
そして今、君を探して色々なところに、私は居る。
君を探し、君と共に生きるという「私自身の物語」を完成させるために。
君を失うことで全てが終わり、今もまだ始まっていない私の物語。
この身体と、記憶と共に。
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