第一章 愉快な寮生達
「仕方ないよ、事前に食材の話もなかったし、オーリウス君は熱が長期間出ていた事もあるし、きっとそのせいで実力がでなかったんだよ」
いやそうじゃない。そうじゃないんだ。俺はそのオーリウスじゃないんだ。それどころかこの国の食材やレシピ、調味料なんかも全然分かっちゃいないんだ。
「そもそも、あんな女狐ちゃんの言う事など気にする必要はないのよ。はあ、はあ、女狐ちゃんはタカピーで氷帝の魔女って呼ばれてるぐらいだから……もぐもぐ、お料理ご苦労さん」
「あんがーとっす。今日のお題は野菜を入れて一品! そして出来上がったのがこれですー」
「うんまいけど……うんまいけど……もぐもぐ」
「?」
とオーリウスと会話をしている人物は、オーリウスの友達であり同級生でもあるキャメロットという女の子と、キャルタンという男の子だ。
キャメロットは淡いブラウン色の髪質をしていて、その前髪を眉の辺りですぱっと切って揃えている。後ろに流れる髪を二つで結っておさげにしており、まさに可愛い少女を連想させた。つぶらなブルーの瞳にやんわりとした目尻。整った鼻梁にぷっくりとした頬。リスを連想させる小さな口から少し高めの甘い声が漏れる。
アメノと身長は似ているが、胸回りはないなと、白色を基調とした制服を着ているキャメロットを衣服越しから見て客観的に分析してしまう。
それにしても、白色と赤のネクタイの組み合わせというものは、なかなか似合う物なのだなとつい感心してしまうのは、人を観察する癖がある自分の性癖なのかと思った。
艶やかであり、しなやかな綺麗な足には、黒のニーソックスが履かれており、スカートの短さから反比例するように足を守るのだから、面白い物だなとおっさん丸出しの感想を抱いた。
対する男の子は自分より一個先輩らしく、典型的なぼっちゃんカットに丸渕の眼鏡を掛けている。ずんぐりとした丸い体系であり、世間一般ではデブと言われる部類の人とも言える。
その上身長が高いのだから、ずんぐりした体系とも言えるし、しっかりとした体系とも言えるのかもしれない。
そこでふとオーリウスは考えた。しっかりはないない、ぽっちゃりだ。それにしてもなんでおねえ言葉なんだ。
会話が行われている場所は寮内のオーリウスの自室である。
時間は放課後、本格的に食事を取る前に、なにか野菜を入れた一品を作ってみようと言う事で、作られたのがオーリウス達の前に並ぶ料理だ。
キャメが作ったのは鶏とじゃがいものマヨネーズあえ。こんがりときつね色になるまで焼かれたジャガイモと鶏肉、その食材は乳白色のマヨネーズと、深紅のトマトソースにコーティングされて、神々しい程にぴかりと輝いている。
その上に黒くありながらも、ダイヤの原石のように光るコショウがまぶしてあり、尚のこと、料理に気品を持たせる役目を果たしていた。
皿の端にパセリが一輪の花のように備えられており、盛りつけてある白磁の皿を映えさせる。
ジャガイモと鶏肉から白い湯気が仄かに立ち上り、隠し味にしてあるマヨネーズの酸味とにんにくの香りが鼻腔を満たす。
「対した腕じゃないですけど、よろろオーリウス君」
「あ、ああ」
ついつい自分の世界の中へ入っていたオーリウスは食事には目が行かずに、出口のない答えを探そうとする。
考えても分からない。なぜ失敗したのか。目分量的にも、途中の行程も色もなにもかもが完璧だった筈。
「……」
やはりあの少女の言うとおりこの世界の食材は異常なのか。なにか自分では知らない工夫を入れないと、肝心な所で凡ミスをするのだろう。
でも……。
なぜその凡ミスをするのか、という答えが分からない限りこの解が出る訳じゃない。
オーリウスや目の前にいるキャメロットやキャルタンなどは、長い間、いや生まれてからずっーとこの世界の食に触れてきて、材料や調味料にも触れてきたのだろう。
でも。自分が知っているのは地球での材料。
「俺に太刀打ちできる……あぐ、はぐはぐ、あぐ、はぐはぐ……」
ぶつぶつと止めどない思考に陥るオーリウスの口の中へ、フォークで刺した鶏肉をキャメロットは突き刺すように放り込んだ。
突然放り込まれた食材にオーリウスは驚きながらも。鶏肉を歯で押さえ込み、キャメロットが後方へ手を引くと、すぽんとキャメロットが握っているフォークが抜ける。
「食事の時は考えない考えない、リラックス、リラックス。味がわかんなくなっちゃうよオーリウス君」
「そうだわよん。食事中に物を考えるこれNG、OK?」
「はぐ、ほむ、はぐ」
口の中へ入れられた瞬間にオーリウス、いや折原の舌にただの鶏とじゃがいものマヨネーズあえじゃない、深く優美な味が流れ込んでくる。
深くクリーミーで濃厚な味の鶏肉。まろやかでもあり、ほっかりと熱を持ったマヨネーズ。酸味と調和するように甘さが引き立つトマトソース。
そして、砂糖の甘さをピリッと引き締めるコショウの味。鼻腔をくすぐる数段薫り高いにんにくの香り。
「う、うまあいー、な、なんだこれは……」
舌がいや、体がぷるぷると震えてしまう。一噛みすると、じゅわりと鶏肉のさらっとした脂と旨味のエキスが流れ込み、下地の素材を包み込む。
一噛みしたが最後。オーリウスは一心不乱に鶏肉を噛みしめてしまう。
脳裏にこんなフレーズが思い浮かぶ。生きていて幸せと。そう思わせてしまうほどにこの世界の食材は上手に調理すれば、ここまで変化するのかとオーリウスは思って噛みしめると……あれと思った事があった。
そううんまいのだ、うんまい、うん。でもこれはキャルタンがさっき困っていた事はこれなんだろうなと思い、咀嚼し嚥下するとオーリウスはキャメロットに向き直った。
「これはショウガ?」
「あいよ」
ショウガの良い香りと甘い香りが口内へ染み渡るが、そこで凄い違和感が胸を占拠する。
「……」
「氏も分かったん、キャメちゃんがなにを失敗しているかん」
「あ、これは失敗なのですか?」
「そうよん、失敗なのよん」
「えーどこっすか? どこが失敗してしているんすか?」
良い香りと甘さが口内へ入るが、その瞬間に若干の苦みが口内へ染み渡る。どういう事なのだ。ショウガはショウガの味じゃないのか。
そこでキャルタンはじゃがいもを口の中へ入れながらこう言った。
「ルデンショウガっていう、特殊な食材ではないけど、産地特有の味のあるショウガなのよん。でもある一定値以上まですり下ろすと、苦みと臭みがでるという特殊なショウガ」
「そ、そんな……普通のショウガだと思ってたのに……」
「カンタレラ先輩のショウガでしょう、キャメちゃん」
「う、うん。使っても良いって言われたから」
「先輩が普通のショウガ持ってるわけないじゃん」
この寮には十二人の寮生がいる。現在他の八人は遠征に出かけていて居ない。他の学生は寮から通っている訳じゃなく、実家から通っている。
この帝国料理学校の入学生はかなりの食事の有名家の出身である事が多く、寮から通うという方が希なのだ。
家から学校が離れている場合には、どうすればいいという事を考えなくてもいい人たちが普通はこの学校に通う。一つの例で言えば、通えないなら家は借りればいいという考え。更にもっとゴージャスなコースになると、邸宅を買えばいいじゃねという者さえいる。
それ以外の寮から通う者は何個かケースがあるが、第一ケースで言えば家がそこまでの富裕層ではない。第二ケースは家が厳しくそんな甘ちゃんな行動を取らせてくれない。第三のケースは家に帰りたくない、若しくは帰ってきて欲しくないの三パターンが多い。
この寮には仕来りがある。それは寮生がローテーションを組んで朝食、昼食のお弁当、夕食を振る舞うと言う物である。
勿論食べたものは必須ではないが感想を言わなければならない事が多いし、更に言えば実験要素を加えたものを料理してくる事もあるので、酷い事もある。
今日の料理当番はキャメロットなので、彼女は泣いている暇などなく、この後には仕込みをするという仕事がある。
「やっぱり、私もF組なんだ……ぐすん……
「でも、そこまで酷い失敗と言う訳じゃないとおもうけど……」
自分の太ももに視線を落とし、泣いてしまいそうなキャメロットを宥めるようにしてオーリウスは甘い言葉を掛けるが、手前のデブさんは細い目を更に細めながら、人差し指をちっちっちっと顔の前で振ると、きっぱりと断言するように言った。
「酷い失敗じゃないという事は、失敗はしてるという事だわね。失敗すると教官は容赦なくFにしてくるわ」
キャルタンの目を見つめて、オーリウスはそうなんだと思う。今日失敗して思ったのは、この異世界の学校では、自分の作った料理を教官が授業ごとに味見し採点していく。
つまりそこで落第点ばかりを取れば、本当に落第、いやそんな甘い物じゃない。今日アメノという少女が吐き捨てた言葉の通り、強制退学が待っているのだろう。
とは言ってもそれは俺だけだろうがと、僅かに自己嘲笑じみた笑いを出してしまう。
だけども、そこでキャメロットは泣きそうな顔で意外な言葉を言ってくる。
「私もオーリウス君と同じで後二回F判定を取ったら退学なのよ……えぐっ……退学なんてなりたくないよー。ぐすり……なんで私っていつもこうなんだろう……」
真摯な目をオーリウスに向けてくるが、昨日からオーリウスになった自分は、彼女の欠点を分かるわけもない。
天井から煌々と明かりが漏れ、白色の壁を照らす、壁際に設置されたラックやキャビネットから影が伸び、三人の姿を飲み込む。
「どうして俺もこうなんだろう……」
ついついキャメロットの言葉に釣られるように、オーリウスは言葉を呟いてしまうが、そんなオーリウスに擦り寄るように近寄ってきて、キャメロットはぎゅっとオーリウスの掌を握る。
「二人でなんとかこの状況を打破しよう。ね、二人合わせれば素敵な考えが浮かぶかも」
制服のブレザーを脱いでいるキャメロット。ブラウスの隙間から角度的にブラが見えてしまい、お、おうと言葉を濁すようにオーリウスはキャメロットから顔を背けた。
「どーしたのオーリウス君」
「い、いや」
更にふとももの隙間から純白の絹が見えてきて、オーリウスは鼻を押さえて後方に仰け反ってしまう。
この子ってひょっとして天然? とオーリウスは鼻を押さえながら思ってしまうが、角度的にキャルタンからも見えているのか、キャルタンはにやにやと笑いながらオーリウス君も隅には置けませんなと今度はおねえ言葉を止めて、おじさんモードへと切り替わる。
唇からつるりと光るリップが尚のこと大人びた様子を醸し出していて、その色気で顔を背けたくなってしまう程だ。
先ほどの凝ってしまいそうな空気は天然子のキャメロットの行動によって溶けてしまう。
今度は逆に和みすぎてしまい、こんな不純なことを考えている場合じゃねーとオーリウスは思うと、キャメロットの両肩に自分の手を乗せて、ずいっとキャメロットの体を後方へやる。
「きゃん……酷いよ、オーリウス君」
「い、いや、本能がこうさせたすまん」
「なんの本能?」
「い、言わせるな……」
ゆったりと和む空気。本当はこんな緩衝材に守られていてはいけない二人。でもこんな温かい空気を暫くオーリウスいや折原は感じた事がない。
確かに料理は好きだ。お客様においしいと思われる料理を作る為に日夜たゆまぬ努力をしてきた。結果審査だけをするコンテストは嫌いになってしまい、近頃機械のように料理を作っている自分がいる事にうすうす気がついていた。
どれだけ美味しい料理を作っても、地球ではそれがさも当たり前のように出され食す。それ故に、今回の料理は本当においしかった! やこんな風に料理の討論やアメノの様に熱い人間もなかなかいない。
その当たり前の事がない事が、新鮮に感じて仕方がないが、でも自分に残されているのが後ワンチャンスという事に嘆きたくなる。
こんなにも素晴らしい世界で、料理に情熱を持ったところなのに、自分はこんなところでは消えたくない、とオーリウスの体を借りた折原は心の底から思ってしまう。
和んだ空気で一瞬消えていたように感じていた、今後どうするという思いが喉元までせり上がり、浮上してくる圧迫感をオーリウスは感じる。
難しい顔をするオーリウスの顔をキャメロットが見た瞬間、そこで室内の扉が静かに開く。
澄んでいて落ち着きのある綺麗な声が室内に木霊する。扉の風で、はらりと漆黒の髪が揺れ、清楚な空気が室内へと入り込んでくる錯覚になる。
「今日の仕込みは終わりっと、ふう後は作るだけだわ」
端正で整った目尻、その瞳は綺麗なブラウンであり、整った鼻梁とぷるんとした大人びた唇についつい目が行ってしまう。
シャープな顔立ちであり、大和撫子を感じさせるストレートな黒髪を背中まで伸ばしている事で、尚のことオーリウスは彼女の事を食い入るように見てしまった。
女性はカンタレラといい、寮生の一人だ。オーリウスよりも一つ年上の先輩である。
カンタレラは室内に入った瞬間おっ、良い香りだねえ、と声を出す。目に映ったのはキャメロットの料理とキャルタンが作ったハッシュドポテト。
カンタレラは黒色のブレザーとスカートを風で靡かせながら歩んでくる。地面に座り込むようにして見上げていたオーリウスは、そこでばっと横に顔を背けてしまう。
黒のニーソソックスの上には誰もが魅了してやまない雪色の艶やかな太もも、そしてスカートが短いが故に、スカートの中の絹が見えそうになる。
「うん? どうしたのオーリ」
「い、いやなんでもないです」
「いやーオーリウス氏も大人になったわねん」
「あーなるほど」
キャルタンの言いたいことが分かったのか、カンタレラは意地の悪い笑みを浮かべると、腰に手を当てて、ずいっと屈むとオーリウスの顔を覗き込んだ。
「オーリってそんなキャラだったけ? お姉さんのほにゃらほにゃらを覗き込むような悪い子だった?」
「そ、そんなつもりじゃ……これは不可抗力で……」
カンタレラが近づくことで、甘い香りがする。恐らく薔薇を混ぜた石鹸の類を使っているのだろう。
「不可抗力でも、見ちゃ駄目よ、うふふ」
そう言うとカンタレラはオーリウスから身を離し、テーブルの上に置かれている料理に見やる。
「ハッシュドポテトに鶏肉とじゃがいものマヨネーズあえかな? この香りは隠し味にルデンショウガを用いてるね」
「え?」
食材を見た瞬間に、いや香りを嗅いだ瞬間に、鶏とじゃがいものマヨネーズあえを言い当てたカンタレラに対して、オーリウスは驚きの声を漏らしてしまう。
驚くオーリウスにキャメロットは指を唇に当てると、
「なにを驚いているのオーリウス君?」
不思議そうな顔を向けてくるのを見て、オーリウスはえ? と再度言い、慌てた様子でこう言い切った。
「分からないのですか? 表面上から見て鶏肉と言い当て、ルデンショウガを使っている事を言い当てているんですよ」
「ついでにレシピを言うとこんな感じかな。ルチン産のジャガイモと鶏のもも肉。ラビュリントス産の塩と清酒、ルデンショウガ、小麦粉、授業で作ったマヨネーズとトマトソースに、ルデン産のニンニクとメルン産のコショウ、そして砂糖、どうこれで当たってるかな?」
「当たってます。やっぱりカンタレラ先輩、まじぱねっす」
「さすがですな、先輩」
「いやいや、それほどでも、えへへ」
和む空気の中で、一人だけ遠い物を見る感覚に襲われる。異常だ……全てが異常だ。混合した香りなんだぞそれ全て。
鶏肉モモとか言い当ててるが、部位まで言い当てる事など可能なのか。うっすらと、鶏肉の香りという事はなんとか分かるかもしれないが、ジャガイモの産地や他の調味料の産地や香り。そしてどこのショウガで、小麦粉の香りや塩砂糖の香りまで言い当てる。
さすがにありえない。自分の地球上での仲間が自分の前に料理を出したケースを考えて身震いした。
当てられるわけがない。そんなのは神の嗅覚を持つものしか考えられない。
「……あなたは、一体何者なんですか……」
ついにオーリウスの口からそんな言葉が漏れるのを聞いて、カンタレラはにっこりと笑うと、
「寮長であり、君の友達で先輩よ」
軽い調子で言うのを聞いて、オーリウスの身に居る折原は寒気を止める事ができない。
こんな化け物に勝てるのかと。闘う必然性はないが、今の自分の実力で言えば間違いなく負ける。せめて調理方法と調味料や食材の癖が分かればと悔やんでしまった。
カンタレラは、ちらりとオーリウスを見てから、きつね色に揚げられたハッシュドポテトへ手を伸ばし、掴むと口へと持って行き、咀嚼する。
うーんさくっとしておいしいぃ、今日は成功だねキャルタン君と、オーリウスの震えとは逆にカンタレラはまったりとしている。
カンタレラは咀嚼し嚥下した後に、様子のおかしいオーリウスを見て声を掛けてくる。
「どーしたのオーリ、なんかおかしいわよ。熱の影響」
「え、ええ。まだ記憶が混乱してるのかもしれません……」
「へえー、そうなんだ」
一瞬そこでカンタレラの口元がにやりと釣り上がった気がした。その笑みになにか寒気を感じてしまい、愛想笑いを浮かべてその場をやり過ごそうとする。
カンタレラは本当に少しだけ笑みを浮かべると、なにかオーリにあったの? キャルタンとキャメロットに聞く。
「いやー氏がなんか氷帝の魔女に苛められたらしいので」
「私も授業現場にいたのですが、あれはねーっす」
「内容を教えて。おねえさんはエスパーじゃないから中身聞かないとわかんねーです」
「ほいほい」
とキャルタンがキャメロットから聞いた情報を総括して教えていく。情報を全部聞くとカンタレラは両腕を組んで、それはそれは、ほうほうアメノの毒舌がきましたかーと、おじさん口調で興味深そうに言った。
「でも、珍しくないっすっ、すっ、か……かね」
真面目な顔で言葉を決めようとしたキャメロットは噛みに噛んだ。
「かみまちたの代わりに言うけどもん、本当に珍しいと思うわ、わたしくしとしても、はい。食って掛かる性格じゃないでしょうあれ」
「弱者には興味ない子だから、あの子にそこまで言われるとはねー、逆の意味で珍しいわー」
カンタレラはそう言うと、オーリウスを見ながらにっこりと謎の笑みを浮かべた。なぜ叱咤された事が笑みに変わるのか中身の折原には分からなくて、逆にその笑みが怖くなる。
地球では考えられなかった。自分が料理の世界で畏怖する姿など。こんなに畏怖したのは、自分が全然有名じゃなかった頃にレストランを開業しようとした頃以来だ。
金も大してなかった。人脈もなかった。銀行に金を借り、それでもし店が流行らなければ自分は終わる。
そんな世界も味わってきた。そう……今まさにそんな気持ちだ。巨大な蛇を前に逃げ惑う小動物の気持ちなのかと思う。
「帝国十二使が一般の人間にそう言う事は珍しいことよ。いやないと言っても等しい事だと思うわ。普通相手にもしないから、あの人達はね」
「世界が違いすぎますからなー。十二使の方々は、もぐもぐ」
「私も素敵仕様欲しいです。でも先輩も……」
「しっ、言っちゃいけません。先輩は謎の人物を通したいのです」
「な、謎の人物―、なにかエイリアンを想像させますー」
エイリアンという存在自体が共通用語とは、これには驚いた。まあそうだよな。惑星外の生き物は全部エイリアンだ。その共通認識は間違っちゃいない。
「オーリの行動の中にあったなにかが十二使のプライドにひっかかった系だと思われる。お姉さんとしては。ところオーリ食べないの、このポテトまじで神だから」
「あ、はい」
カンタレラに促されるように、オーリウスは白磁の皿に乗っているハッシュドポテトへ手を伸ばした。
こんがりときつね色に揚がったポテト。ジャガイモが揚がった芳醇かつ香ばしい香りが鼻腔を通して胃を攻撃する。
「ただのハッシュドポテトとして侮るなかれ。オーリウス氏」
キャルタンは胸を張りながら自慢げに言うのを聞いて、オーリウスはぱくりと口の中へと入れた。
「お、おおお、こ、これは……」
「な、ただのハッシュドポテトじゃなかったでしょう氏よ」
なんだこの味はと思ってしまう。まずは油、この油自体が絶妙な甘さを持ち、ジャガイモの品位を損なわないようにしている。さくっと噛み応えのあるジャガイモ。その香ばしく揚がったジャガイモから個が特有にして持つ甘みが舌へと染み込む。
そして、そのジャガイモの味が普通の味ではなかった。数段甘く少し牛の香りがするのだ。例えるならまるで生きる珍味。コショウと塩に律せられながらも、それが逆に見事な調和になるのだから、末恐ろしさを感じる。
本当にたかがハッシュドポテトと侮ってはならない。
これは……
神が自分に使わしたもうた新界のハッシュドポテト。
「う、うまいなんてもんじゃないぞ――!? どうしてこんな味にできるんだ――!」
思わず先に料理人としての本能が働いてしまい、叫んでしまう。こんな味付けはありえない、いやできないのだ地球の食材では。ジャガイモはジャガイモの味でしかないから。でも牛肉の味を内包しているこれはただのジャガイモじゃない。
「氏よ、これは特殊料理素材であるトルメノール産のジャガイモなのだよ」
おねえ言葉から急に探偵口調になるキャルタン。帽子を被ってもいないのに頭に手を置いて下げる仕草をしながら言った。
「172℃、が限界熱とし、崩れてしまわない程度を心がけて料理する事がまず条件一」
そうキャルタンは言うと、キセルを吹かす真似をし、続けた。
「で条件二は毎分の秒数を覚えておくこと、つまり毎分二十一から三十秒でまろやかで甘美なジャガイモ味になり、三十一秒から四十秒で牛肉の味を醸しだし、四十一秒から五十で鶏、五十一秒から六十秒で豚肉になるという謎食材よん。ちなみの一℃でも余計に熱し、この毎分の秒数から外れると……」
「ごくり……外れると……」
キャルタンの低音口調な言葉を聞いて、ごくりとキャメロットは息を飲んだ。
「焦げ臭くなるという謎のジャガイモよっと」
「まあ、難しいと有名よね。このじゃがーは」
カンタレラはすいとジャガイモをつまみ上げるとあーんと口を開けて放り込む。
「わ、私の料理は食べてくれないんすか、先輩ぃ!」
「いや、いいのだよキャメ君。ルデン産のショウガは結末が見えているのでね」
「そ、そんなあー」
しれっとした感じでカンタレラはそうキャメロットに向き直って言うと、キャメロットは隣に座るオーリウスに抱きつく。
ぷよんとした胸が腕に辺り、オーリウスはちょ、ちょ、ちょやめという謎の言葉を出すが、
「私の敵を討って、オーリウス君」
と言いながら目尻に涙を浮かべながらべったりと張り付いてくる。そんなキャメロットにオーリウスは抵抗するように両肩を押さえて叫んだ。
「無理だあああああ――」
そんな様子をカンタレラはにこやかな笑みを浮かべて見ていたが、少し口元をにっと上げて謎の言葉を零す。
「オーリがトルメノール産のジャガイモの性質を当てられないのはおかしい、おいしいと言うわけもない……なぜならオーリは」
「ん、どうかしたのカンタレラ氏」
「なんでもないわキャル」
一瞬顔つきが変わったカンタレラを見てキャルタンは不思議な顔を向けるが、カンタレラは逸らすように言葉を濁した。
「そう言えばカンタレラ氏」
「うん?」
「オーリウス氏ってあんなしゃべり方をしたっけか?」
「さあ、どうでしょう」
「まあ、氏は熱の影響で混乱してるのかもしれないわ」
「で、あればいいけどね」
「うん?」
「いえ、なんでもないわ。ふふっ、なかなか楽しくなってきたじゃない」
「そうさー、オーリウス君が帰ってきたんだ。楽しくなるさー」
カンタレラの楽しいと、キャメロットの楽しいという意味を比較できる人間はこの場にはいない。でもきっと……。
そうきっと……。
キャメロットのそれとカンタレラのそれとは違うことが表情で読み取れる。何故ならキャメロットは打算なく嬉しそうで、カンタレラはなにかを企んでいるような笑いだったから。
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