第14話 母の真実

東京駅に降り立った美咲は、早朝の空気の冷たさに肩をすくめた。朝のラッシュ前の静けさのなか、コートのポケットに手を入れながら、彼女はゆっくりと歩を進めた。


母──恵子からの電話は短く、しかし重いものだった。


『話したいことがあるの』


その言葉に込められた意味を、美咲は何度も反芻していた。悠人との会話、そして自身の過去。すべてを思い出すきっかけとなった今、恵子が語ろうとしていることは、美咲が長年知らずにいた“真実”に違いない。


自宅に戻ると、リビングには湯気の立つお茶が用意されていた。恵子はソファに座り、美咲を迎える視線を向けた。その表情には、決意と不安が入り混じっていた。


「おかえりなさい。京都、寒くなかった?」


「うん、でも綺麗だった。ありがとう、お母さん」


少しの間、静寂が部屋を満たす。


「さっき電話で言ってたこと、話してくれる?」


恵子は小さく頷いた。震える手で湯呑みを持ち上げ、一口飲んだ後、ゆっくりと語り始めた。


「美咲、あなたは五歳の時に事故に遭ったの」


──やはり、そうなのか。


「その時、あなたは記憶を失っていた。名前も、家族のことも。そして、病院であなたを見つけたとき、私は…」


「……お母さんは、私を引き取ってくれたんだよね」


「そう。実の子ではないと知っていたけれど、どうしても放っておけなかった。あなたが泣きながら『こわい、ひとりにしないで』って…」


恵子の目に涙が浮かぶ。


「私は、自分の子どもを流産して、もう母になれない体になっていた。だから、あなたに出会ったのは、運命だと思ったのよ」


「……ありがとう。私を育ててくれて」


美咲の目も潤んでいた。


「でも、なぜ本当のことを隠してたの?」


「あなたに幸せな人生を送ってほしかったの。過去のことは、必ずしも必要じゃないって…でも、今思うとそれは私のエゴだったかもしれない」


恵子の声は震えていた。


「あなたが京都で、あの男性と会ったときから、何かが変わる気がしてた。もしかして、あの人が…」


「うん。彼は、私のお兄さんだった」


恵子は目を見開いたが、やがて静かに頷いた。


「やっぱり。そうじゃないかと思ってた。あなたたちの間には、不思議な繋がりがあったから」


美咲は深く息を吸った。


「私ね、最初は悠人さんのこと、恋愛の意味で好きになってた。でも、兄だと知って、混乱して…だけど、今はわかるの。心が惹かれてたのは、“大切な人”としてだったんだって」


「それがわかったのなら、きっと大丈夫。人を想う気持ちには、いろんな形があるわ」


二人は手を取り合った。


その夜、美咲は眠れずにいた。天井を見つめながら、これまでの人生を振り返る。


自分は誰なのか──


本当の名前、家族の記憶、育ててくれた母の愛情。


そして、これからの自分をどう生きていくのか。


翌朝、美咲は鏡の前に立ち、髪を整えながら、はっきりと自分に語りかけた。


「私は、美咲。そして、田中さくら。どちらも私。だからこそ、私は前に進める」


スマートフォンを手に取り、悠人にメッセージを打った。


『お兄ちゃん、今度は私から会いに行くね』


送信ボタンを押すと、彼女の心の中に、ひとつの光が差し込んだような気がした。


──これが、私の“はじまり”なんだ。


彼女の決意とともに、冬の空がゆっくりと明けていく。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る