E07-01 エルを探る影と魔自動機械

空気を切り裂く小気味よい音が執務室に響いた。


壁にかけられた肖像画のど真ん中、尊大な笑みを浮かべた青年の顔に、短剣が突き刺さる。


「……何やってる?」


レイヴは呆れ顔で尋ねた。


エルに用事があってやってきたのだが、またもや少女が訳のわからない行動をしているのだった。


「見ればわかるでしょ? 鬱憤うっぷんを晴らしてるんだよ」


「いや、全然わからんが……そいつは誰だ?」


エルは次の短剣を手に取る。


レイヴの肩に陣取ったフィロが、不穏な気配に尻尾をぴゃっと膨らませた。


壁に飾られた肖像画はかなり大きいもので、見るからに上等な額に入れられている。


それが、いまや刺さった短剣のせいで穴だらけになっていた。


ご丁寧に目や鼻や耳、それに心臓の位置には赤い塗料で円が描かれ、標的よろしく的になっており、何本もの短剣が円の中心を正確無比に貫いている。


「よっぽど恨みがあるらしいな」


「嫌いなんだよ、このひと」


レイヴは頭を掻いた。


この少女は説明が絶望的に下手だが、その行動には必ず理由があるとようやくわかってきた。


嫌ならそれなりのわけがあるはずだと踏んで、レイヴは根気強く尋ねた。


「それでこいつは誰だって?」


「……モルテヴィアのアスラド王子」


「なんだと?」


「第四王子だけど、兄弟をみんな粛清しちゃって、今は王太子だよ」


不機嫌そうに唇を尖らせると、短剣を放つ。


鋭く飛んだ刃が王子の左目を貫いた。


「わたしがあなたと婚約したって発表した後でも、こうして自分の肖像画を送ってくるの。わたしとの結婚を諦めてないんだって。よっぽどノーラ公国が魅力的なんだろうけど」


「そりゃまた、ずいぶん強引だな。モルテヴィアらしいと言えばそれまでだが」


執務室の奥に積み上がっていた求婚状やら肖像画はなくなっていた。


そういえば先日執務室を訪ねたとき、季節外れなのに暖炉に火が燃えていたことを思い出す。


「……焚書ふんしょを逃れた一枚か」


「価値のあるものなら焚書に喩えられるかもしれないけど、ゴミを燃やすのはただの焼却処分だよ」


痛烈な皮肉である。


だが、エルは仮にも一国の君主となる身。


あまりに礼を欠けば国際問題に発展しかねないのにアスラド王子は状況が見えていないようだ。


ガロ辺境伯との模擬戦からは、およそ一月が過ぎていた。


辺境伯の説得に成功したことと、圧倒的な実力を大衆の前で示したことにより、いまや新大公エルシア=ノーラを待ち望む声は大勢となっている。


今はノーラは夏に差しかかるところだ。


故アドリアン大公の喪に服しているエルは、大公位の継承も、レイヴとの結婚も、時間をかけてゆっくりと進める心づもりでいた。


戴冠式は次の春。


そこでエルとレイヴの結婚式も同時に執り行う予定になっている。


「わたしの婚約者はあなたなのに……」


この婚約は仮初めのものだ。


それなのに妙な居心地の悪さを感じ、レイヴは視線を肖像画に向ける。


穴だらけで顔はもはや判別できないが、白金色の髪に浅黒い肌、極彩色の礼服が見て取れる。


肩や胸には孔雀の羽根の装飾が施され、金の首飾りを何重にも着けているという、なんとも豪奢な姿である。


「――悪趣味だな」


「――悪趣味だよね」


感想がぴたりと重なる。


エルは盛大にため息を吐いた。


「天地がひっくり返っても、このひととだけは結婚したくないよ。ノーラをモルテヴィアの遊び道具にはさせない。それに、知ってる? ノーラの民の間じゃ、わたしたちのことを『黒の賢公と白の幻妃』と重ね合わせて、かのデイル=マルク公とイリヤ妃の再来だって噂してるんだって」


「よく言うぜ。それはカシアンのやつがわざと噂になるように仕組んだんだろうが」


「カシアンだけじゃなくて、ガロどのも副都セグンダに戻ってから、あちこちで噂になるように頑張ってるって」


「まったくどいつもこいつも……」


話をすれば、書類を抱えたカシアンがちょうどやって来た。


不機嫌さを隠さないエルと穴だらけの肖像画を視界に収めて無表情になったのち、レイヴを認めると急ににこやかになる。


「これは緩衝材……ではなくレイヴどの、良いところへいらっしゃいました。すぐにお茶を淹れさせます」


エルの世話係にされそうな気配を察してレイヴは慌てた。


「いや、俺はこいつに用事があっただけで……」


「ならばなおさらです。フィロどのにもケーキを用意させます。さ、殿下も憂さ晴らしはその辺にして、お座りください」


そう言うと、カシアンは手早く侍従に言付け、半ば強引にレイヴを長椅子に着かせてしまった。


『あああ主ぃ〜〜!?ケーキ!?ほんとに!?クリーム山盛りで、大っきいやつ!?ねぇねぇ!』


期待に胸を膨らませている様子の言霊獣に、エルがようやく表情を和らげた。


レイヴの隣に腰掛けると、フィロに優しく声をかける。


「フィロ、飲み物は何がいい?ケーキだけじゃなくて、果物の盛り合わせとクッキーとチョコレートムースとプリンとアイスクリームも持ってきてもらおっか?」


カシアンがすかさず侍従に言いつけている。


飛び上がらんばかりに喜ぶフィロにレイヴは苦笑した。


「そういえば、魔術師さんは甘いもの好き?」


「いや、俺はあんまりだな。どっちかというと酒のほうがいい」


「ふぅん、やっぱり大人なんだね」


「やっぱりってなんだよ。……そう言うおまえはどうなんだ?」


「お酒?」


「酒でもなんでも。おまえの好きなものは?」


エルはあまり食べない。


酒を呑むとは思わないが、かと言って年頃の娘のように甘いものを喜ぶところも見たことがない。


「好きなものかぁ……。果物かなぁ……?」


エルは腕組みをした。


「よくわからないや。たぶん、好きなものはあんまりないんだよね。嫌いなものもあるわけじゃないんだけど」


「なんだそりゃ?」


曖昧に笑うエルだったが、果物だな、とレイヴは頭の中に書き留めた。


そこに給仕用の魔自動機械オートマタが三台入室してくる。


膳車ワゴンの形をしていて、一台の盆の上には紅茶の急須ポットと人数分の茶器が、ほかの二台の上には先ほど頼んだケーキやらプリンやらがぎっしりと載っている。


「へぇ、この城には魔自動機械オートマタがあるのか。珍しいな」


レイヴは興味を引かれた様子で魔自動機械オートマタをじっと観察する。


魔自動機械オートマタから棒状の手が数本伸びると、紅茶を淹れはじめた。


もう一台はケーキを切り分け、もう一台はカタカタと動きまわり、大量の甘味スイーツをテーブルの上に乗せていく。


「すごいな。動力源はなんだ?エーテル結晶か?」


「ううん。これはリヴィナ石を使ってるよ」


レイヴは目を丸くした。


「ノーラでしか採れない魔石だよな。精製するのは至難の業だと聞いていたが……。魔自動機械オートマタ第三大陸トリア・ゼラムではまだ珍しいはずだろ。意外と進んでるんだな」


「というより、ノーラがちょっと特殊なの」


「どういう意味だ?」


エルが言葉を探すように眉を下げると、カシアンが割って入った。


「よろしければ私がご説明します」


そのまま穏やかな口調で説明を引き継ぐ。


第二大陸セカ・リアでは魔自動機械オートマタは比較的一般にも出回っているそうですが、ここノーラのある第三大陸トリア・ゼラムではまだまだ珍しいというのはご認識のとおりです」

 

レイヴは頷きで返した。


この世界には第一大陸から第五大陸までの五つの大陸が存在する。


第二大陸セカ・リアはその中でも文明と技術の最先端を行く地。


対してノーラのある第三大陸トリア・ゼラムは、剣と魔術の伝統が強く、魔自動機械オートマタの技術はまだ発展途上――それが一般的な認識だった。


「ノーラの魔自動機械オートマタは数こそ少ないものの、性能は段違いです。エーテル結晶を頻繁に交換しなければならない既存機に対して、ノーラ製は高純度のリヴィナ石を動力とした自律式機構体。一度起動すれば一月は動き続けられますから」


「そりゃすごいな……。でも交換は要るよな?術式の再調整も必要だし、整備士も相当な腕がいるんじゃないか?」


少年のように好奇心を隠せないレイヴに、エルは笑って言った。


「そのうち工房に案内するよ」


給仕を終えた魔自動機械オートマタが去っていくのを見送ると、入れ替わるようにフィロがテーブルへ跳び乗り、ケーキに頭から突っ込んだ。


『いただきまぁ〜っす!』


レイヴは紅茶を一口啜ると、驚いたように目を見張った。


「……うまいな、これ。機械が淹れたとは思えん。ちょっと複雑な気分だが」


エルが笑いかけたそのとき、レイヴは懐から何かを取り出してテーブルに放り投げた。


「これをおまえに渡そうと思って持ってきた」


それは黒ずんだ羊皮紙に包まれた、小さな紙の束だった。


「これは……?」


「ガロ辺境伯と戦ったあの日、訓練場に怪しい奴がいたんでフィロにつけさせてたんだが……」


レイヴはそこで一旦言葉を区切る。


「モルテヴィアの間者だった」


エルとカシアンがはっと息をのむ。


「しばらく泳がせてたんだが、昨晩そいつがどこかに通信を試みてな。これ幸いと捕まえたんだが……あっさり自害しちまった」


「…………」


エルとカシアンが紙束をあらためると、確かに火で燃やされそうになった形跡があった。


紙の端は焦げ、煙の痕跡がかすかに残っている。


エルが紙を一枚ずつめくっていく。


その顔がどんどん険しくなる。


「呪」


古代魔術アーカイア・マギア


「……災厄」


一語ずつ、短く不穏な単語が並ぶ。


エルの手が、ある一枚でぴたりと止まる。


「……星塔アストラリウム

  

エルは顔を上げた。


紙束を静かに閉じ、震える指で紅茶に手を伸ばした。


だが、口をつけることなく、それをそっとテーブルに戻す。


「魔術師さん。……さっき、工房に案内するって言ったけど、今から行ける?」


「エル……!……いえ、殿下。その……よろしいので?」


一瞬、カシアンが臣下の顔を脱ぎ捨て、妹を案じる兄の表情をのぞかせる。


「大丈夫だよ、カシアン」


レイヴは肩をすくめる。


「なんだか知らんが、工房には興味があるな」


「じゃあ、行こう。案内するよ。――『下の城』へ」

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