E05-02 静かな怒り
レイヴは即座に動いた。
玉座の横に歩み寄り、そっとエルの肩に手を置く。
少女の身体がぴくりと震え、ゆっくりとレイヴを見上げた。
「……まあ、落ち着け。こんな小物に、おまえの力を見せるまでもないだろ」
「…………」
薔薇色の瞳が一瞬揺らぎ、エルは小さく頷いた。
魔術に疎いデリオでさえ、謁見の間を震わせるほどのマナの波動に顔を引きつらせていた。
口をぱくぱくとさせるデリオに向き直り、エルは涼やかな笑みを浮かべて口を開く。
「弁舌、拝聴いたしました。して――わたくしには、デリオどのとの結婚に一切の魅力も、利点も見出せません。貴族の家に生まれたという以外に、あなたが誇れるものはあるのですか?」
真正面からの問いに、デリオの顔がかっと赤く染まった。
「くっ……まだお分かりにならないと? はっきり申し上げましょう。殿下のような平民出身の者は、大公に相応しからず! 名門に連なる我が家と結ばれてこそ、あなたの正統性を保証できるのです!」
エルはさもおかしそうな顔をした。
「わたくしが平民の出であることは、周知の事実。その上で、法によりわたくしが第一継承者と定められているのです」
ふるりと、空気が震えた。
エルが纏う魔力が、ほんのわずかに解き放たれたのだ。
その圧は微細ながら鋭く、デリオの喉元を切り裂くような緊張を生む。
「デリオどのは、この国を見誤っておられるのではありませんか?
ノーラは、血統と格式によって支配される国ではありません。
この地を拓き、繁栄させてきたのは、冒険者たち。命を賭し、身一つで未知に挑んできた人々です。
……あなたのように、親の威光に縋り、自らの力で何ひとつ得られぬ者が、この国の舵を取れるとお思いですか?」
鋭い言葉には容赦がない。
デリオは怒りで顔を赤黒く染めたが、反論の言葉は見つからない。
カシアンがすかさず言葉を添える。
「ちなみに、殿下にはノーラ国内外より、多数の縁談が届いております。
たとえば北方のアルゼン家、東方のグラディオ家。
他国からはモルテヴィア王家、さらには
「なっ……ノーラを代表する名門ばかり……それに他国の王家まで……!?」
「ああ、そうでしたね。どの家門もバレンティア家よりも格上ですけれど、皆様とても深慮で、控えめな方々です。先触れもなく王宮までやって来たのはデリオどのが初めてですから」
身の程知らずと仄めかされ、羞恥に震えるデリオにエルがさらに畳み掛ける。
「たとえば明日、戦が起きたとして、敵の剣はあなたが貴族だからと避けてくれるのですか?家柄の良い者には矢は当たらぬと?
これまで、数々の戦場を越えてまいりましたが、そのような不思議は一度として目にしたことがありません」
ゼノが思わず吹き出し、ロウスが肩を震わせる。
惰弱な者にはノーラを治める資格なし。
エルの言葉には『実力を示してみせろ』という鋭い意志が込められていた。
エルは歌うように言う。
「ですが……どうもデリオどのの言葉を聞いていると、もしかすると何か特別な術でもお使いなのかと思えてきます。
ここに、わたくしの婚約者も、騎士団長も、魔術師団長も控えております。
ひとつ試してみましょうか?――あなたの言う『家柄』が、剣と魔法より強いかどうかを」
「ひっ!!」
デリオの顔から血の気が引いていく。
もはやこれまでとばかりに、慌てて辞去を申し出ようとしたその時。
エルがこれまでになく真剣な表情になる。
「もう一つ、大事なことを申し上げねばなりません」
「な、なんでしょう……?」
「デリオどのは、社交界においてご令嬢方に人気と伺っております。わたくしにも、自作の詩をいくつもお送りいただきましたね……。あ、ほとんど目を通しておりませんが。――歯が浮きますので」
「は、え、あ……」
デリオはもはやしどろもどろである。
なんの話をされているのかもわからない。
「身分だけではなく、ご自分の容姿にも随分と自信があるようですね」
「いや、そんな……」
目を白黒させるデリオに、言葉の刃が容赦なく振るわれる。
「申し上げておきますが、わたくしの婚約者のほうが、デリオどのより、はるかに
デリオは何を言われたか一瞬理解できずに、目を彷徨わせた。
その視線がレイヴの上で止まる。
改めて見ると、凄まじい男ぶりである。
際立って容姿端麗なだけではなく、琥珀の瞳には野生味と知性が光る。
さらにはその佇まいだ。
先ほど散々こき下ろしたが、大陸最強の魔術師は実力に裏打ちされた威厳に満ちており、とても無頼の者には思えない。
比べて自分は『単なる』貴族の息子である。
剣も、魔術も使えない。
自慢の家柄も、より名門の家門から見たら大したことはない。
「…………」
ぐさり、という音がした気がした。
その場にいた者の、誰の耳にも、それが届いたように思えた。
「可哀想に……あれじゃしばらく立ち直れないっすよ」
「自業自得だろう」
ゼノとロウスの呟きが、静かに響く。
容姿を引き合いに出されたレイヴはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「……これで、もう十分でしょう」
謁見終了の合図に手を上げかけて、エルは動きを止めた。
「そういえば、あともう一つ」
まだあるのか、とデリオは思った。
もはや満身創痍である。
「わたくしの婚約者を、『魔術師風情』と侮辱したことを撤回していただきたい」
「で、ですが……その者は所詮、市井の者では……!」
最後の抵抗を試みるデリオに、エルは呆れと侮蔑を露わにする。
「デリオどのはわたくしの言ったことを何一つ理解されていませんね?登城の際に、
「は、それはもちろん使いましたが……?」
「では、その
「い、いや、それは……その……」
レイヴはにやりと笑い、エルの背を守るように一歩前に出た。
「まあ、散々な言いようだったからな」
デリオは焦りを顔に滲ませる。
「
「なっ、それは脅しか!? 卑怯な……!」
「卑怯? 親の威光に隠れて吠えるのは卑怯じゃないのか?」
「…………」
反論の余地はない。
デリオは憤怒に染まりながらも、なんとか声を絞り出す。
「……レヴィアンどのを侮辱した件、撤回いたします」
潮時だった。
エルが決定打を放つ。
「デリオ・バレンティア。あなたの求婚はお断りいたします。早々に、立ち去りなさい」
デリオは這々の体で、逃げるように謁見の間を後にしたのだった。
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