夢のゲイシー

望月おと

夢のゲイシー

「ゲイシーという新種の動物がいた。非常に美しく、人間そっくりの姿をしていた。しかし、どういうわけか、殺処分にされ、絶滅させられた。なぜか?」


 夢の中で聞いたのは、それだけだった。語り手の顔も場所も状況も、どこにもなかった。ただ、声だけが冷静で、時に皮肉った調子で響いた。目を覚ましても、その問いだけが妙に頭に残っている。夢の残り香だなんて生やさしいものじゃなかった。こんな夢、昨日、恋人と水平思考クイズで盛り上がったせいだろうか。


「ゲイシーは人間や家畜を襲った?」

「ゲイシーは病原菌を持っていた?」

「ゲイシーは誰が見ても美しかった?」

「絶滅は正当だったのか?」


クイズなら、このようにして質問を積み重ねて、答えを導く。だが今回の夢は無慈悲だ。詮索も問い返しも、無粋で無意味。問いかけだけが無造作に投げつけられ、返答の門は固く閉ざされていた。私はただ独り、考えるだけだった。まあ、たかが夢。答えなんてあるわけもなく、あったとしてもあの曖昧な世界の言葉は何の助けにもならないだろう。そもそも、あの問いは解決を許さない、ただの投げかけだった。


 ゲイシーは美しい。人間そっくりの姿をしている。それなのに殺され、絶滅した。


……なぜだろう?


ベッドの中で、まどろみながら考えた。


 まず、人間に「似ている」ということ。それ自体が、すでに警戒の対象だ。人間に似ている動物は、なぜか不気味に映る。猿の顔が誰かに似ていると笑いながらも、心のどこかでどこかで「不気味だ」とも感じている。


でもゲイシーは、似ているどころではなかったのだと思う。似すぎていた。しかも、その姿はあまりに洗練され、まるで誰かが「最も好まれる人間の特徴」を統計的に割り出し、設計したかのようだった。欠落や弱さ、痛みや矛盾、暴力性といった、人間にとっての“醜さ”を一切持たず、まさに人間が夢見た“理想の人間”そのものだった。


だから、人々の胸には、言いようのないざわめきが走る。自分たちが作った“完璧”は、自分たちではなかったと、どこかで悟ってしまったのだ。


 それはAIに対する私たちの感情に近い。心がないくせに、詩を書き、絵を描き、愛を語り、慰める。人間らしさの証を、より滑らかに、より論理的に、より美しく模倣する。


ゲイシーもきっと、そうだった。生きて、呼吸し、無垢な顔でこちらを見る。それだけで、「お前たちより完成されている」と告げてくるようだった。


 初めは賛美されただろう。神の使い、天使、奇跡の生き物として持て囃され、見世物にされ、テレビに登場し、動物園では「人間と同じ目を持つ動物」として展示された。SNSでは「癒しの進化体」として人気を博したかもしれない。


でもやがて思うようになる。


「ゲイシーの方が美しい」

「ゲイシーの方が嘘をつかない」

「ゲイシーの方が心が綺麗」

「ゲイシーの方が好かれている」

「ゲイシーの方が優しい」

「ゲイシーの方が優れている」

「ゲイシーの方が」「ゲイシーの方が」……


胸に浮かぶ悔しさにはっとする。そして、気づきたくなかった真実に向き合う。私たちの「人間らしさ」は代替可能かもしれない、と。


アイデンティティの崩壊。唯一無二と思っていた私たちは、実は自然が作り出した「模倣可能なかたち」に過ぎなかったのだ。しかも、あれは「揺らぎ」を持たない。怒りも迷いも記憶の曖昧さもない。私たちが「心」と呼んだものを持たぬまま、完璧な存在を証明してしまった。


 すると人々は言い始める。


「倫理的に危険だ」

「社会秩序が壊れる」

「子どもが混乱する」

「人間を真似は気味が悪い」


理屈はいくらでもつけられる。

けれど本音は、もっと単純だ。


気にくわない。

脅かされる。

消えてほしい。


それが殺処分の本質だったのだ。


保護でも研究でもない。駆除。

「違う」のに「似すぎている」から。

「動物」なのに「美しすぎる」から。

「人間ではない」のに「私たちより優れている」から。


だから絶滅した。いや、させられた。


 私は夢のことを、午前中いっぱい考えた。教訓か、ただのナンセンスか。解釈すること自体が間違いかもしれない。ただ、その問いに対する自分の反応こそが、心の深層の鏡だと思う。


「似すぎている」「美しすぎる」「脅威である」――

そんな理由で排除を正当化しようとした自分の心が、一番醜かった。だからこそ、私はゲイシーより劣っているのだろう。


ゲイシー、ごめんなさい。

殺してしまって、ごめんなさい。

あなたは何も傷つけなかったのに。

ただあまりに美しく、あまりに優れていた。

人間よりも、ずっと。

ただ、それだけの理由で。


夢だったのに、まだ、恐ろしい。

夢は消えても、問いは消えない。

深く沈み、またいつか、あの夢に囚われる。


ああ、どうか夢であれ。夢であれと祈る。

そうでなければ、私たちはまた、あなたを殺してしまうから。

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