第32話 ホットコーヒーと冷たいジュース

 私はスマホの画面をつけて、時間を確認した。

 少し早く到着し、案内の人に後から一人来ることを告げて、私はメニューを開く。

 ドリンクが500円を超えている。ファーストフードでは考えられない値段には慣れない。

 これらにぽんとお金を払えるお客さんは一体どんな人たちだろうと、思わずあたりを見回した。

 テーブルはダークブラウンの木材がベースで、来店客の年齢層は高め。高校生らしき姿は一人もいない。

 クラシック音楽が流れ、一人でゆっくり過ごす人もいれば、同行者と上品にお話を楽しむ人もいる。

 チェーン店の喫茶店とはいえ、高校生がたまに行く、季節限定メニューがSNSに流れてくるようなシアトル系コーヒーではない。

 私はレジで支払った後ドリンクを受け取る形式のお店さえまともに行ったことがないのに、フルサービスの喫茶店なんて場違いそのものだった。


 ――どこかお店に入って勉強することを決めた夜、最初に話し合ったのはどこで勉強するかということだった。

 ノボリの近くにはお店がない。私が自転車で自宅から通えて、清水さんもアクセスしやすい場所。

 私の最寄り駅である夕凪駅近辺は、学校の最寄りであり、大手塾が多く待宵東生と会う可能性が高いこと、清水さんの定期の区間外であること、から除外された。

 待宵駅近辺は、やはりユーススペースが近くにある関係から、遅い時間に誰かと会ってしまう可能性を考え、除外。加えて、自転車での移動時間が片道三〇分以上かかることを伝えると、危ないと言われてしまった。

 電車で会いたくない人と会ってしまうと逃げ場がない。だから電車利用は考えていないと言うと、やはりノボリの最寄りである、月見駅近辺で、と最初に戻ってしまった。

 ああでもないこうでもない、とスーパーの駐車場で話し、清水さんが「ちょっと調べるね」といい、待つこと少し。

「――ここなら通えそう?」と画面を見せてきた。

『土星茶房 月見店』。月見駅最寄り、大きな道沿い、駐輪場あり。年末年始以外は定休日なしで、営業時間は22時まで。ノボリとは逆方向だけれど、所要時間はほとんど変わらない。

「珍しく、勉強を禁止してないんだ、ここ」

 店名を自分のスマホに打ち込み、ストリートビューを確認する。

 中規模のマンションや牛丼屋さんとはじめとしたチェーン店があるものの、高校生がたむろしそうな施設は特になかった。

 私は知らないお店だったけれど、こんな条件のところが他に見つかるとは思えない。

「そこにしましょう」

 そして場所の確認を兼ねてお店に行き、web上でははっきりしなかった値段を見るために店に入り、席について開口一番「一応親御さんに、ここで勉強する予定ですって許可もらっておいて」。

 店名と金額が分かるメニュー表の写真を複数枚撮り、すぐにメッセージを送った。

 おっかなびっくり母にお伺いを立てても、「無駄遣いしなければそこでいい。なんならご飯を食べてきてもいい」という返事だけだった。

「ご飯は食べない」という清水さんのはっきりとした主張に、「勉強時間が減りますものね」と返し、その日はろくに勉強をせず終わった。


 一人でいると心細い。家の、自分の部屋ならいい。

 他者がいる空間に一人、放り込まれたような。

 私を知っている人は、このお店にはいないはずなのに、脅威はないはずなのに、それでもなぜか、居心地は悪い。

 清水さんは強硬に、私と連絡先を交換しようとしなかった。

 もし電車の遅延で清水さんが遅れたら、私には、スマホの列車遅延情報から推測するしか手段がない。

 決められた時間を過ぎても清水さんが来なければ、帰っていい。家に帰りたくなければ塾の時間だけは店で過ごしていい。

 反対に、私が来られなくなった場合、事前にわかっていれば麻子先生の固定電話に留守電を入れておく。

 当日も、一応は固定に留守電を入れておいて、それ以上はしなくていい。麻子先生から教えられた、私の携帯電話番号にかけるかもしれないけれど、基本は固定電話からかける。

 携帯電話のない時代みたいな運用を決められて、昔の人の待ち合わせはこんなのだったのだろうかと思いをはせる。

 悩みに悩んで何を頼むか決めて、テーブルに置かれている呼び出しボタンを押した。

 前後するように、扉のベルが鳴る。入店者がいるらしい。

「お待たせ」

「おうかがいします」

 ぱりっとした制服姿の店員さんが、ほぼ同時にやってきた。

 清水さんは頭を軽く下げ、私の正面の席に座る。

「なに頼む?」

 清水さんに促され、私ははっとした。

「あ、……アップルジュースを一つ」

「はい」

「土星ブレンド、ホットで一つ、お願いします」

「はい。ミルクはいかがなさいますか?」

「お願いします」

 店員さんは去っていく。

 ほんの些細なことだけど、注文したもので、自分は子供だなあと思ってしまった。

「はい。飲み物は、自分の好きなタイミングで飲みましょう。食べ物は、家に帰ってから食事にする約束だから、頼むのはなしで。……じゃあ、宿題、見せて」

 清水さんはいつものように、冷静に、淡々と進める。普段と違うのは、ホワイトボードのかわりにA4サイズのノートをカバンから出しているところくらいだ。

 切り替えないといけない。

「……お願いします」

 私は英語と数学のノートを手渡した。

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