第3話 再会、そして初対面
ドキドキする。久しぶりに外に出て、家から二十分、自転車を走らせてきたからだろうか。
それとも、知らない男の人が一人、この場にいるからだろうか。
私が座るのと同時に、正面に、先生が、続いてもう一人がその横に座った。
「何年振りかしら、伊澄ちゃん。小学校卒業まで通ってきてくれたから、四年ぶり?」
口の中がからからに乾く。私はこくりとうなずいた。
記憶の中の麻子先生より少し年を重ねているけれど、明るさは相変わらずだった。
昔と変わらない接し方に、ほっとする。
「あの、自己紹介を……」
遠慮がちに男の人が切り出すと、あらやだいけない、というように、手のひらをぽんと叩いて、先生が笑った。
「紹介するわね、こちら、
関西地方で難関とされる私立大学四校の総称、『かくかくしかじか』。
国公立大学を受験するなら滑り止めとして受験し、学習塾では合格実績○名、と目立つように書かれている位置づけだ。
『かくかくしかじか』出身と聞くと、普通に頭がいい人、という印象を持つ。
すごいと思いつつ、どう反応していいか分からないでいると、清水さんは少し眉をひそめた。
「ちょっと。森川さん、反応に困っているから」
「あらそう?」
麻子先生は、私の方に向き直った。
そしてふっと、まじめな顔になる。
「伊澄ちゃんのお母さんから電話があって、うちに通わせてほしいっていう希望は聞いているわ」
『ノボリ清水教室』は、中学生以上を受け入れていない。けれど私は、この場所で、中学三年間の勉強を見てもらっていた。
「すみません……本当は、
中学三年間、私は名前のない塾に通っていた。
塾と言っていいのかもわからない。WEB上にも情報は載っていない。看板もなく、恐らくは紹介でのみ通うことが可能だった。
指導者は麻子先生の娘、清水
私の場合は、麻子先生からの紹介だった。『ノボリ清水教室』を卒業した後、行き先に困っている元生徒に、希望があれば、麻子先生が通うことを提案しているらしい。
地元の公立中学に通う予定にしていた私は、どこかいい塾がないか麻子先生に雑談として聞いてみたところ、それなら、と勧められたのだ。
当時住んでいた家からも通いやすく、新しいところを探すのも面倒だったため、親も了承した。
『ノボリ清水教室』は、大通りからそれた、住宅街のなかにある。車が通れない細い道沿いに、昭和後期から平成のはじめに建てられたような戸建てが密集している。そのなかにある、『ノボリ清水教室』と少し色の褪せた看板をかけた一軒家は、元は麻子先生と木綿子先生が住んでいた家らしい。
少なくとも去年までは平日週四回、15時過ぎから19時頃までノボリ。平日週二回、19時半から21時半まで木綿子先生の塾として機能していた。
木綿子先生はノボリとして塾を開いていないので、教材は木綿子先生が選んだ市販のテキストを使用する。指導対象は中学生と高校生。いわゆる講義形式の授業はしない。質問すれば、学校で分からなかった問題も解説してくれる。
生徒は同じ時間に他に一人二人いることもあれば、私一人の時期もあった。当時も同じ学年の人はいなかった。積極的に生徒を募集している風でもなかったし、劇的に生徒数が増えているとは思えない。在籍者の正確な人数は分からないが、きっと片手で足りる。
もしまた誰かと同じ時間でも、私が知っている人ではないだろう。
木綿子先生の塾なら、通えるかもしれない。
今日ここに来られたように。
「それなんだけどね」
麻子先生が何かを切り出そうとしている。
嫌な予感がした。
この場には、木綿子先生がいない。
「木綿子はもう塾をやってないの」
目の前が真っ暗になった。
中学を卒業したタイミングで、私は引っ越しをした。
それまでの賃貸マンション暮らしから、今の高校にほど近い中古の一軒家に変わった。
一駅分の距離だったけれど、木綿子先生の塾に通うのは以前の家より少し面倒になる。
だから木綿子先生の塾は、中学卒業と同時に終えたのだ。
「えっ……」
たった数か月で、なじみのある場所がもうないなんて、信じられなかった。
同時に、ありえない話ではないと思ってしまった。
希望に満ちた入学式があったと思えば、高校に通えなくなってしまった私がいるように。
「伊澄ちゃんも知ってると思うけど、私は中高生は教えてない。木綿子の塾も、もうやってない。お母さんにはそう伝えたけど、『とにかく通わせてくれ』という意向なの」
自分の家族のことながらめまいがした。
お世話になっている先生にこんな迷惑をかけているなんて。
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