第42話 負け犬同士だからこそ

「はぁ~……助かった……」


 緊張の糸が切れたおかげで、僕はようやく膝に手をつき、大きく溜め息を吐けた。

 未だ心臓がバクバク跳ねている。慣れる気配なんて全く無く、二度と対峙したくないけれど、でも少しだけ気持ちが軽くなったような――。


「綿貫くん……」

「あ、真宮さん。ごめん、急に割って入っ――てっ!?」


 突然、真宮さんが正面から抱き締めてきた!?

 軽い、挨拶のようなハグじゃない。思いっきり腕に力を込めて、体を押しつけるような、そういうやつ……!


「真宮さん!?」

「ごめんなさい、綿貫くん……ごめんなさい……」


 今にも泣き出してしまいそうな声で謝ってくる真宮さんに、僕の混乱は深まる。

 ただ、相当彼女も参っているのだけは分かった。


「怪我とかしてない?」

「ええ……大丈夫。それよりも、貴方は……? だって、貴方は、宗一と……」

「僕?」


 芝木とのこと……加恋を取られたから気遣ってじゃないだろうな。

 彼女が気にしているのはきっとそれじゃなくて、それより前のこと――。


「ああ、やっぱり知ってたんだ」

「……ええ。私もあの日、見ていたから」


 真宮さんが小さく頷く。


 これまでのやりとりから薄々感づいていたけれど、やっぱり真宮さんは僕と芝木の間に起きたあのことを知っていた。

 彼女と芝木の関係性を思えば、あの試合を見ていたことも何も驚きは無い。


 でもそれって、僕が芝木と対峙しながら内心恐怖で震えていたことも、真宮さんには最初から気づかれてたってことだよなぁ……。


「あはは、カッコつかないな」


 守るつもりが逆に心配させてしまっていたなんて。

 空回りに気がつきつい恥ずかしくなってしまう僕だけれど、真宮さんは首を横に振って否定した。


「ううん……カッコよかったわ。これまで出会った誰よりも、一番」

「そ、そう? ちょっと褒めすぎだと思うけど……」

「言葉なんか、尽くしても足りないくらいよ」


 ぎゅっと、彼女の腕に力がこもる。


 そこまで言ってくれるなら信じたいけど……ていうか、恐怖が解けていくと共に、この状況にさっきとは全く別種類の緊張が湧いてきた。

 とはいえ、未だ抱きしめてくる彼女を引き剥がすのも忍びない。


「で、でも良かった。大事になる前に来られて」

「ねぇ、どうして貴方はここに来てくれたの? 私、言ってなかったのに」

「偶然、こっちの方に向かう真宮さんが見えたんだ。用事ができたって言ってたし、邪魔するのも……って思ったんだけど、向かっている方向が方向だったから、気になって」


 約束を理由を言わずにドタキャンするというのも彼女らしくなかったし。


「……そう。貴方の心配してくれた通りになってしまったわね」


 腕を解き、僕から離れる。

 その表情には後悔が滲んでいた。


「私はどこかで彼を甘く見ていた……というより、私には最初から宗一のことが何も見えていなかったんだと思う。すれ違い続けて、彼のことなんか考えるのも嫌になって、自分のことばかり考えて……もしも貴方が来てくれていなかったら……」


 真宮さんは少しずつ、僕が来るより前に芝木との間にあったことを話してくれる。

 芝木に呼び出され、謝罪もなく、勝手なことを言われ……つい言い過ぎて、彼の逆鱗に触れてしまったこと。


「私って本当に駄目ね。視野が狭くて、決して自分が優れているわけじゃないと、分かっている筈なのに……」


 片側の意見だし、贔屓目が入っているのを自覚しつつも、僕的には真宮さんに否は殆ど無いように感じた。


 ただ、正しいというだけで全部が上手くいくわけじゃない。

 人によって正しいことも、価値観も全く違うっていうのは、僕も加恋との一件で嫌というほど学んだ。


 その上で……きっと真宮さんはストレートに芝木の痛いところを抉っただろうし、芝木も多少は自分が悪いと感じているからこそ、逆上しムキになったんだと思う。


(第三者として、少し離れてみたらよく分かる……か)


 これが自分のことになるとそうもいかない。


 僕にとって救世主で、ヒーローで、どれだけ恩を感じても足りない恩人である真宮さんだってそうなんだ。

 だから……僕だけでも、真宮さんだけでも駄目なんだ。


「真宮さん、僕がついてるよ」

「え……?」

「真宮さんは僕の欠点を指摘してくれるって言ったよね。矯正してくれるって。それは絶対に、僕一人じゃ気づけない視点で……だから、真宮さんが見ていてくれるって思えるだけで、すごく安心できるんだ。それと同じことが僕にできるか分からないけれど……」


 真宮さんにはもらってばかりだ。

 でも、僕にも真宮さんのためにできることはある。


 彼女が加恋から僕を守ろうと一歩前に出てくれたみたいに、彼女を守るために僕が芝木の前に立ちはだかれたみたいに。


「僕にも真宮さんの苦手や不安を補わさせてほしい。僕も全然駄目だけどさ、でも、今だけはちょっと背伸びして言わせてもらう!」


 あえて誇張し、必要以上にかっこつけて、自信を演出し――僕は高らかに宣言した。


「半人前同士でも、一緒に支え合っていけば二人の一人前になれるっ!」

「……!」


 真宮さんが大きく目を見開く。ちょっと恥ずかしいけれど……でも、ここは怯まず進ませてもらう。


 人は成長する。僕らはどちらも高校一年生……まだ成長途中だ。

 一人だと、きっと道に迷う。自分を見失ってしまう。どうしようもない理不尽に晒されて、何かを間違えて、進むのが怖くなって……もう死んでもいいとさえ、思ってしまうこともある。


 けれど二人でいれば、そうならないかもしれない。


 どちらかが道に迷ってしまっても、どちらかが手を差し伸べられれば、抜け出せるかもしれない。命綱みたいに、支え合い、守り合えるかもしれない。

 そういう存在になりたいと思うことが、成長へと導いてくれるかもしれない。


「だから、真宮さんが僕を助けてくれたみたいに、僕にも真宮さんを助けさせてほしい」


 たとえ今は頼りなくても、もっと頼りにされる自分になろう。

 彼女が迷ったとき、手を引いて前を歩ける自分になろう。

 そう想い続けていれば、きっと――。


「僕たちはお互いのパートナーに捨てられた……負けたのかもしれない。でも、負けたからこそ、幸せになることを諦めちゃいけないんだ。僕らは負け犬同士だけど、それでも、きっと……」


 これは僕の願望も混ざっている。説得力のある根拠はないし、自信もない。

 それでも言わずにはいられない。


「負け犬同士でも……負け犬同士だからこそ、ぜぇぇぇぇぇぇぇったいに幸せにならなくちゃいけないッ!!」


 彼女の手をぎゅっと握り、僕は本気で訴えかけた。

 根拠なんてなくても、目の前が真っ暗で見えなくても、真宮さんと一緒なら大丈夫って、そう何度も思わせてもらえたから。


「綿貫くん」


 真宮さんが僕の名前を呼び、両手で手を握り返した。


「こういうときは、二人で一人前って言うものじゃないかしら」


 やれやれと、呆れるような……照れ隠しのような笑顔を浮かべる。

 そんな彼女に、僕も自然と頬が上がった。


「二人で一人前じゃ、いつまでも半人前ってことだからさ」

「そんなことないわよ。私は……貴方となら、二人で一人前でも構わない」


 照れ隠しのぎこちない笑顔から、少し上目遣いにこちらを伺いつつ、でもどこか挑発的な笑み。

 彼女らしい、強気の表情。


「ありがとう、綿貫くん……ううん、天羽」


 この間のあえて呼んでみる、とは違う。

 恋人に向けるというには甘くなく、友達に向けるにはちょっと真剣味が濃い。

 僕にだから向けてくれる信頼を込めて、彼女は僕を、名前で呼んだ。


 それが嬉しくて、むず痒くて……ちょっと泣きそうで。


「うん、幸歌」


 僕は涙をぐっと堪え、彼女の手を握りながら、深く頷いた。


 こうして、突然のことだったけれど、僕は少しだけ幸歌の力になれて、ほんの少しだけ過去の傷を克服できた。


 繋いだ手から伝わる彼女の体温を感じながら、僅かばかり達成感みたいなものを実感し始めた時――。


「……あれ? あっくん?」


 もうひとつ、決して放ってはおけない傷が、痛みをあげた。

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