第51話 アルテアお姉様とわたし

 惨い戦争から二年が経ち、わたしは王子を授かった。


 デイジーお姉様は、わたしが妊娠中に公爵家に嫁いでいった。


 わたしの結婚式に、妖精達が縁を結んでいた。その影響か、結婚ラッシュになり、ヘルティアーマ王国は、活気がある。


 わたしが子を産むと、マクシモムはコスモス医師の長女と結婚した。


 コスモス医師の長女、エリーは光の魔術師で、治癒能力の力を持った才女でした。


 もともと口数の少ないマクシモムの世話を焼き、王都で二人で診療所を開いた。


 闇属性ばかりのヘルティアーマ王国で、光属性の二人が上手く診療所をやっていけるのか心配していたが、闇属性の者も病に罹る者はいるので、必然的に医師の手は欲しくて、すんなり馴染んでいった。


 マクシモムは、王家の侍医のコスモス医師の後を継ぐために、王家にも出入りをしている。いずれコスモス医師の後継者になるだろう。


 各地に散らばった貴族達は、平民から刑務官を募集して訓練をさせて、領地の安全に勤めている。


 壊された王都の再建に、力を注いでいる。


 テスティス王国はテスティス帝国になり、帝国になったと同時に世代交代が起きた。


 わたしはテスティス帝国の皇妃となり、クレラはテスティス帝国の皇帝となった。


 ヘルティアーマ王国から一通の手紙が届いた。


 国王陛下になったシャルマン国王陛下からだ。


 たった一行、『疲れた。すまない。ヘルティアーマ王国を頼みたい』と書かれていた。


 使者を送ると、国は混乱していた。


 シャルマン国王陛下は、妻に娶ったジュリアンを殺めたと言う。


 そうして、炭化したような姿のジュリアンの隣で、シャルマン国王陛下は、自害していたという。


 嫡男は生まれていなかったようだ。


 クレラは、その手紙を闇に染めて、消し去った。


 ジュリアンがそれを望んだのか?


 それともシャルマンが疲れてしまったのか?


 愛は冷めてしまったのか、一緒に旅立つことが愛だったのか。


 わたしは考えたが、毎夜、光の魔術を当て続けて、国王陛下の仕事をするのは大変だったと思った。


 光の魔術師に依頼をしなかった事が愛だったのか?


 依頼をしていたら、シャルマンは追い詰められることはなかったと思うのだった。


 結局真相は分からないままであった。


 アルテアお姉様の様子も使者は、見てきてくれた。


 アルテアお姉様は、視力も聴力も完全に失い、全身炭のような肌で、邸の離れの部屋でぼんやりとベッドの上で座っていたと言われた。


 離れには、使用人が一人着き、お世話をしているという。


 父は戦争の時に亡くなり、兄が家を継ぎ、母はお嫁さんと仲良く暮らしていたという。


 ずっとチヤホヤされていたアルテアお姉様は、今はたった一人で、暗闇の中で生きているのだろう。


 その話を聞いたとき、悲しくなったが、わたしが会いに行っても、アルテアお姉様は、きっと嫌がるに決まっています。


 アルテアお姉様は、気位の高い性格ですから、同情されるのは、一番嫌いなはずです。


 わたしはアルテアお姉様が、一日でも長く生きていられるように願いました。


 闇の中でも、アルテアお姉様なら光を見つけられると祈っています。


 そしていつか、アルテアお姉様とお話ししてみたいと思うのです。


 できれば、アルテアお姉様の体の闇を、少しでも吸って楽にしてあげたい。


 混乱しているヘルティアーマ王国に、クレラは側近達を引き連れて、出掛けていきました。


 若い後継者ばかりの国で、国王陛下になれる器の者はおりません。


 クレラは、「ヘルティアーマ王国を我が国にする」と宣言して、闇属性の貴族を王家に住まわせた。


 反対の者も多く、反乱も起きたが、数日で反乱も収まり、ヘルティアーマ王国は、ヘルティアーマ地区とされた。


 クレラは妖精王。


 ヘルティアーマ地区は、わたしが住んでいた頃のような、豊かな国に変わるでしょう。


 わたしは我が子を抱いて、クレラの帰りを待っています。


 我が子の名前は、クレラの名前の一部をもらい、レクラシオンとクレラは名付けました。


「レクラシオン、いい子ね」


 妖精達がレクラシオンを覗き込み、レクラシオンは妖精の動きを目で追っています。


 この子は、妖精が見える子です。


 将来、この子が皇帝になる子です。


「皇妃様、お疲れではありませんか?レクラシオン様が眠っている間に、少しでも休まれてください」


 レクラシオンの養育係のメイドが声をかけてくれる。


「ええ、ありがとう」


 わたしは乳母を雇わなかった。


 永遠の命があるならば、どの子の思い出も大切にしたいと思った。


 わたしは誰にも愛されずに育てられたから、我が子に寂しい想いはさせたくはないのです。


 クレラにお願いしたら、わたしの好きにしてもいいと言ってくれました。


 我が子の泣き声に右往左往することも多いけれど、我が子の寝顔に癒やされ、愛おしく思うのです。


 きっとこの様に幼い頃は、一生のうちのほんの少しの間だと思うのです。


 子供の成長は早いと言われています。


 自分が誰の手も借りずに生きて来たように、この子もすぐに成長するでしょう。


 ベビーベッドにレクラシオンを寝かすと、その寝顔をよく見て、ベビーベッドの見えるカウチに横になる。


 ふと脳裏にアルテアお姉様の声が聞こえた。


『助けて』と……。


 わたしは養育係のメイドにレクラシオンを預けて、ダークホールで実家の前に飛びました。


 実家の家の庭に、離れがありました。


 とても小さな家です。


 窓が開いていました。


 その窓から、ベッドに横になるアルテアお姉様が見えました。


 肌の色は真っ白です。包帯で巻かれているのです。


 お顔が苦しそうに歪んでいます。


 メイドはいないようです。


 わたしは不法侵入になるけれど、静かに小さな家に入っていきました。


 玄関から入って直ぐにお姉様はベッドに横になっていました。


「痛いわ、痛い、体中が痛むの。ベル、私を殺して、楽にして」


 伸ばされたお姉様の腕は、白い包帯が巻かれ、包帯が赤く染まっている。


 美しいお顔は、暖炉の薪のように黒く煤けている。割れた皮膚からは、血が滲んで、とても痛そうです。


 戦争が終わって、もう二年以上経つのに、お姉様の戦争はまだ続いているのです。


 わたしは見るに見かねて、お姉様の闇を吸い取ります。


 お姉様の体の中は、漆黒の闇に満ちています。幾ら吸っても、その闇は薄くなりません。


 どうして、もっと早くにお姉様を訪ねてこなかったのかと、自分の暢気さに呆れてしまいます。


「もう、殺して」


 きっとジュリアンもこうして、シャルマン王子に頼んだのでしょう。


 闇を吸うのが得意なわたしでも、吸いきれません。


 そっと、肩に手を置かれて振り返ると、クレラが立っていた。


 クレラが首を左右に振っています。


 嫌です。


 このままお姉様が苦しむのは辛すぎます。


 本宅の方からは、お母様の笑い声と女性の笑い声と幼い子供の声が聞こえます。


 幸せそうな声を聞きながら、アルテアお姉様はずっと苦しんできたのです。


「ミルメルすまなかった。いつも虐めて、蔑ろにして、ミルメルはいつも優しかった。ありがとう」


「アルテアお姉様」


 わたしはアルテアお姉様の手にそっと触れた。


 痛くないように。


 羽が触れるような、軽く、できるだけ優しく、炭化した手を握った。


「ミルメルがいるのか?」


「アルテアお姉様、わたしはミルメルです」


「ミルメル、今は平和か?」


「ええ、平和ですよ」


「そうか、そうか、私は人を殺しすぎて、罰を受けている。だが、もう、心も体も限界だ。死ぬ前にミルメルに謝罪をしたかったのだ。本当にすまなかった。顔を見るたびに意地悪をして、辛い思いをさせてきた。謝っても許されることではないが、心から詫びたい。本当にすまなかった」


「アルテアお姉様、怒ってはおりません。今は幸せに暮らしております」


「そうか」


「アルテアお姉様、気を落とさずに、わたしが毎日、闇を吸いに来ますわ」


「もういいのだ。ただ殺して欲しい」


「わたしにはアルテアお姉様を殺すことなどできません」


「そうか、それなら、ここにもう来るな」


「アルテアお姉様」


「もう帰れ、痛くて、相手になってやれない」


 アルテアお姉様は目を閉じた。


 涙が、流れて包帯に吸い込まれて、赤い血と混ざって、包帯を汚染させた。


 痛い、痛い、痛いと思念が伝わってくる。


『ミルメル、戻るぞ』


『嫌です』


 すっと視界がクレラの執務室に変わっている。


「お姉様、あんなに痛がって、可哀想、わたしにできることはありますか?」


「何もない、もうあそこに行くな」


「でも、アルテアお姉様が苦しんでいらっしゃるのに、わたしだけクレラに守られて、幸せになっているのよ?」


「それでいいではないか?」


「アルテアお姉様が可哀想よ」


 クレラの胸に顔を埋めて泣くしか、わたしにはできない。


「クレラ、お姉様の闇を吸いに通ってもいいでしょう?」


「レクラシオンはどうするのだ?」


「レクラシオンがお昼寝をしているときに行きますわ。目覚める前に戻ります」


「体を壊すであろう」


「後悔はしたくないの」


 クレラは舌打ちをした。


「あの娘の寿命は、もう長くはない」


「どうして?」


 わたしはクレラの次の言葉を待った。


「あの戦いの後に、ミルメルは残った水を飲ませたのを覚えているか?」


「ええ」


「水を飲まなければ、死は目前であった。だが、妖精の水を飲んだことで、命が延びたのだ」


「それなら、もう一度、妖精の水を飲めば、お姉様は助かるの?」


「もう止めなさい。悪戯に命を延ばせばいいというものでもないと思わぬか?生きている限り、ずっと痛み苦しみ、血を流しておるのだ。妖精の水の効果は切れているだろう。彼女の命の灯火は、近いうちに消える」


「アルテアお姉様」


 わたしの飲ませた一杯の水のせいで、アルテアお姉様は苦しみ続けたのだと知った。


 生きていることは罪だろうか?


 痛みがあっても、体が炭化していても、生きていてくれれば、いつでも会える。生きていて欲しい。


 今日触れた、アルテアお姉様の手は、温かだった。


 失いたくない。


 クレラがわたしを強く抱きしめた。



 +



 そうだった。


 ミルメルの嘆きを聞いていて、思い出した。


 前世の記憶だ。


 俺とミルメルは妖精の国で暮らしていた。


 妖精達と二人で、緑豊かな妖精の国でノンビリと。


 あるとき、旅人が妖精の国に迷い込んだ。


 旅人は、足に怪我をしていた。


 気の優しいミルメルは、旅人の怪我の手当てをして、滋養のある食事を提供して看病もした。


 その旅人は、ミルメルを乱暴し、抵抗したミルメルに闇の術をかけた。


 横たわるミルメルは、炭化していた。


 俺は旅人を殺した。


 ミルメルには、妖精の水を飲ませ、全身を妖精の水で洗った。


 炭化した肌からは、血が流れ出し、愛らしい顔は、漆黒に染まりひび割れていた。


 美しい顔や肌は、まるで暖炉の薪のようになっていた。


 俺はミルメルを助けるために、妖精の水を飲ませ続けた。


 ミルメルは、ミルメルの姉のように、死を望み始めた。


 あまりに変わり果てた姿と痛みを訴える声に、俺はミルメルの首を絞めた。


 次に生まれ変わった時は、誰にも穢されずに、深い闇の中に落とされぬように必ず守ると誓った。


 ミルメルを殺した後、俺は自害した。


 亡骸は、妖精の森の小屋の中にあるはずだ。


 俺はもう二度とミルメルを殺したくはない。


 失うのがこれほど怖いことだと思い出せた事は良かったのか?


 生まれ変わって、今度こそは失いたくはない。



 +



「ミルメル、明日、一緒に闇を吸いに行こう」


「本当に?」


「安らかな最後を迎えるまで、毎日、通おう」


「クレラ、ありがとう」


「泣き疲れたであろう。少しでも眠りなさい。レクラシオンが起きたら、起こすぞ」


「ええ、お願いします」


 クレラは、わたしを抱いて、寝室に入った。


 そっとベッドに横にされる。


 わたしは目を閉じた。


 睡魔はわたしを包んで、眠りに誘っていく。



 +



 翌日、クレラと共にアルテアお姉様を訪ねたら、アルテアお姉様の苦しそうな声は聞こえなかった。


 窓は開いていた。


 ベッドの上に静かに横になっているアルテアお姉様の手は、胸の上で組まれていた。


 アルテアお姉様は死んでいた。


「やっと厄介者が死んで、我が家は戦争犯罪者の家族と呼ばれることはなくなったわ」


 お母様の笑い声が聞こえた。


「体裁が悪かったのだ。痛い、死にたいと大声で叫ぶから、近所の者から苦情も出ていた。仕方なしに毒を盛ったが、誰もが『これで静かになって良かった』という」


 お兄様が毒を盛った?


 お姉様は殺されたのです。


「こら、静かに。これは我が家だけの秘密です」


 あれほどアルテアお姉様を愛していた母親の言葉とは思えません。


 わたしは手を握りしめて、邸の中に入ろうとして、クレラに止められた。


 クレラは首を左右に振っています。


『関わるな』


『でも』


『もう、この家に来ることはない』


『はい』


 わたしは外から祈りをした。


 テスティス帝国には、神はいないけれど、ヘルティアーマ地区には神はいることになっている。


 昔を思い出し、アルテアお姉様に苦しみのない静かな眠りが続きますようにと祈った。


『戻ろう』


『はい』


 ダークホールでクレラの執務室に出ると、わたしはクレラにしがみついて泣いた。


 たくさん虐められて、泣いた事も多くあったけれど、アルテアお姉様は最後に謝ってくれた。


 その事が嬉しく、その存在が亡くなった事が悲しかった。


 アルテアお姉様は、あのままのアルテアお姉様でよかったのだ。


 努力家で探究心があって、貪欲で、王妃になることを約束された姉だった。


 わたしが失踪したから、国が滅びた。


「違う、ミルメルは俺の元に来ただけだ」


「そうね」


 クレラは優しく正してくれた。


 わたしは自分で自分の幸せを手に入れに来ただけだ。


 誰も悪くはない。


 誰かの責任にするならば、ヘルティアーマ王国の国王陛下だろう。


「こんな辛い戦いは、二度と起こしてはならないわ」


「子供達が育つ前に、平和な世界に替えよう」


「わたしも手伝わせてね」


「ああ、毒殺をするような家族は、取り締まらなくてはならない。いいか?」


「ええ、お願いします」


 わたしはクレラに頭を下げた。


 その後、アルテアお姉様の遺体は検査されて、毒物が発見された。


 死因は他殺による毒殺として調査が行われた。


 家族は沈黙をしていたが、家宅捜査が行われ、毒物が発見された。


 母はアルバお兄様に罪をなすりつけた。


 アルバお兄様は母に罪をなすりつけた。


 そして、誰がお姉様に毒を食べさせたのかと尋ねると、アルバお兄様の妻のミリアンだった。


 結果的に家族三人に罪があると裁かれた。


 母様は北の農地開発所に送られた。


 アルバお兄様は東の炭鉱に送られた。


 ミリアンは西の農地開発所に送られた。


 刑期は未定とされている。すなわち死ぬまでであろう。


 アルテアお姉様の遺体は、父の墓の横に埋葬された。


 英雄であったのに、最後は寂しい最後だった。


 けれど、アルテアお姉様は最後の最後まで戦い抜いた。やはり自慢の姉だった。


 そっと墓地に花を供えて、ダークホールで我が子の待つ部屋に戻った。


「まんまんまん!」


「ごめんね、レクラシオン。もう何処にも行かないわ」


「うー、うー、うー」


「抱っこね」


 レクラシオンは手を挙げて、妖精を掴もうとしている。


「妖精は、友達よ。握っちゃ駄目よ」


「あい」


 ふっと背後に、クレラが立った。


「ぱあぱぱぱ」


 レクラシオンはクレラに手を伸ばす。


「お帰りなさい」


「ただいま」


「レクラシオンがお待ちかねよ」


「ああ、おいで」


 クレラがレクラシオンを抱きしめると、ギュッと抱きついた。


「早く大きくなりなさい」


「あうあうあう」


 メイド達はほのぼのした家族団らんを見て、黙って微笑んでいる。


 わたし達は基本的に夫婦で子育てをしている。


 この先、何人、子供が生まれても自分達でやっていけるように、日々学んでいる。


「クレラ、お姉様のこと、ありがとう」


「いや、悪事は取り締まることが必要だ。帝国を作ったから、地区の治安を守るのも、俺達の仕事だ」


 頼もしいクレラの言葉を聞いて、わたしは一生、この人と生きて行くと改めて決意した。


『愛してるわ』


『俺も愛してる』


 クレラはレクラシオンを抱いたまま、わたしに誓いのキスをした。




○○終○○

 


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精霊王の花嫁 綾月百花 @ayatuki4482

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