第5話 ミルメルが帰ってこない

 花祭りが終わり、ブレザン侯爵家の一家とマクシモム王太子は夕方には帰宅した。


 皆でサロンに入り、メイドがお茶を淹れている。


 邸の使用人達は、まだ片付けに追われている。


 お茶を淹れるから、お茶を飲ませてやろうと呼びに行かせたが、ミルメルが部屋にいないとのこと。


 メイドに部屋の様子を見てもらうと、持ち出した物もないという。


 キッチンにいたシェフは、『食事を食べに来なかったので、お祭りに行かれたと思っていました』と答えた。


 着替えも食べ物も持ち出さずに、家出をしたようだ。


 なんと馬鹿な妹だ。


 着替えはともかく、食べ物と水くらいは、持ち出さなければ生きていけない。


 そんな事も分からないとは、情けない。


「今日はわざわざ古いドレスなんて着て、みっともなかった」


「ミルメルは舞のドレスを着たがっていたのよ。お父様が、頑張れば着られるかもしれない……なんて、期待を持たせるような言い方をするから、毎年、あの子、舞の練習をしっかりしていたのよ。舞わせたら、わたくしより上手だと思うわよ。わたくしは練習もしていないもの」


「ミルメルに舞わせるだと?一度も父はそんなことは言ってはいない」


「わたくしだって、みそっかすのミルメルに、舞わせるつもりは微塵もないわ」


「そうですとも、ミルメルは、もっと早くに修道院に入れてしまえば良かったわ。まさか、家出をするなんてブレザン侯爵家の恥」


「お母様、まだ家出とは決まっていませんわ」


 わたくしは、とにかく落ち着こうと、紅茶を一口飲んだ。


「アルテア、ミルメルは森のような緑色のドレスを着ていなかったか?」


「そうね」


 わたくしの婚約者であるマクシモム王太子は、無口だが、影で時々ミルメルの事を気にかける。


 その事が、気に入らない。


 わたくしの婚約者なら、わたくしだけを気にかければいいのに。


「マクシモム王太子、折角、王都から来てくださったのに、ご迷惑をかけますわ。あの子の事ですもの。数日、家出をしたら、お腹を空かせて戻ってきますわ」


「そうね、あの子はどこにも行く当てもないのですから、数日で帰ってきますわ」


 お母様はわたくしに合わせて、くださいました。


「だが、森のような色のドレスを着て、森の中に入っていたら、森の中では同一色配色で、その姿は消えて見えるのではないか?」


「この森は迷いの森。一度入った者は戻って来ないと言われていますのよ。ね、お父様」


「そうである。昔、ミルメルが一度、森の中に入った事があるが、偶然が重なったのだろう。戻ってきたが、この村の者もこの森の中には入らない。人食いの森なのだ」


「それなら、捜索隊を」


「マクシモム王太子、それは必要ありません。ミルメルにもこの森の恐ろしさを教えてある。自分で入ったのなら、それは自死を選んだ事になる。自死をするような娘は、我が一族には要らぬ」


「……」


 お父様は、厳つい顔で、怒鳴った。


 マクシモム王太子は口を噤んだ。


 あらら、ミルメル、帰ってきたら、お父様に殴られるわね。


 馬鹿な妹。


 お父様も、マクシモム王太子がいる前で、大声を出してお行儀が悪いわ。


 まったく恥ずかしい。


 今日はわたくしの誕生日なのに、家出なんて迷惑だわ。 


 シェフが大きなケーキを焼いて、豪華な料理も準備されていますのよ。


 本当に、気が利かないんだから。


 心配してもらおうと、誕生日の日に家出をするなんて、帰ってきたら、聖魔法を全身に浴びさせて、闇の魔力を浄化してしまおうかしら?


 そうしたら、闇の力も弱くなるわ。


 魔力が弱くなれば、体が弱る。


 動きたくても、動けなくなるはずだ。


 修道院に入れるのもいいかもしれないけれど、聖魔法の生け贄にするのも悪くない。


 研究のために、その身を差し出せば、我が家の功績にもなる。


 闇属性の者は、この国にミルメルしかいない。


 他国には闇属性しかいない国もあると聞いた事がある。


 その国と戦争になったときに、闇の力を削ぐ方法を研究したいのだ。


 ミルメルで研究をしたいと言えば、自ら身を差し出すだろう。


 ドレスの一着でも、プレゼントしてあげれば、ミルメルは言うことを聞くはずよ。


 いつもわたくしのドレスを見て、羨ましそうにしていたのだから。


 好き嫌いは別として、貴重な研究材料なのだ。


 未成年にそんな研究はできないが、わたくし達は、成人になったのだから、これからは、ミルメルを好きなように研究できる。


「ミルメル、早く帰ってくるといいわね」


「ああ、そうだな」


 マクシモム王太子は、大きく頷いた。


 ミルメルと話をしないくせに、心から心配しているようで、なんだか苛々しちゃうわ。


「お料理の支度が整いました」


 宰相がやって来て、美しいお辞儀を披露した。


「そうか、では、ダイニングルームに移動しよう」


「マクシモム王太子、一緒に参りましょう」


「ああ、では行こうか?」


 王太子はわたくしに手を差し出して、エスコートしてくださいます。


 なんだかんだ言っても、彼はわたくしを好きですもの。


 ミルメルなんて関係ないわ。


 両親は満足げな顔をしている。


 ダイニングテーブルに並べられた料理は、わたくしの好物ばかりだ。


 わたくしは、ミルメルを妹だと思った事はない。


 同じ顔をして、瞳と髪の色が違う他人。


 ミルメルを見ていると、鏡を見ているようで気持ちが悪い。


 わたくしが黒くなくて、本当に良かったわ。



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