第3話 洞窟の外

 足がくたくたになってきた。


 魔法も長く使った事がなくて、途中で力を失った。


 洞窟の中は真っ暗になってしまった。


 足下が見えずに、何度も転んだ。


 滑って、足首を挫いてしまった。


 痛くて、もう歩けない。


 妖精達は『もうすぐだよ』『頑張って』と励ましてくれていたけれど、彼らの姿はまだ見えるけれど、彼らの声を聞く力もなくなってきた。


 暗い洞窟の中で、また転んで、涙も出てきた。



「痛いし、寒いし、何も見えないし、このままここで死んでしまうのかしら?」



 そう思うと、わたしの手に妖精の小さな手が触れる。


『頑張って』と小さな声が聞こえた。


 優しい声だった。


 仕方なく立ち上がって、ゆっくり歩いて行く。


 ふと顔を上げると、星が見えた。


 どうやら洞窟を出られたようだ。


 春の木々の清々しい香りがした。


 わたしは足を引きずりながら、完全に洞窟から出た。



「ここは、どこ?」



 外に出たが、そこは真っ暗で、森の中だと思われる。


 こんな夜に森の中などいては危険だ。


 野生動物の餌食になるだけで、何もいいことはない。


 もう一度、洞窟の中に入ろうとしたとき、ランプの灯りが見えた。



「よく来た」


「貴方は誰?」



 わたしは目を瞬かせて、声の主をよく見る。



「ここに貴方を呼び続けた者だ」


「声の主?」


「声は妖精達だ。長い洞窟をよく歩いた。疲れたであろう」


「もう、くたくたよ」


「そうか」



 声は若い男性の声だ。


 姿はシルエットしか見えないけれど、悪意はなさそうだ。



「馬車を用意させているが、そこまで歩けるか?」


「どこかしら?」



 闇が、薄くなり、辺りがよく見えるようになった。



「これは、闇魔法かしら?」


「そうだ」


「わたしの力より、ずっと強いのね。こんなに明るくなるなんて」


「明るくはないが、見えるだろう?」


「ええ」



 男性は、わたしに近づいてきた。


 わたしは、もう一歩も歩けないほど疲れていた。



「こちらに来なさい」



 手を差し出されて、わたしは躊躇いながら、その手を掴んだ。


 そっと手を引かれて、足が前に出るが、フラフラと体が揺れる。


 そう思っていると、躓いて、転んだ。



「痛い」



 繋いでいた手は、簡単に外れてしまった。



「歩けそうもないな」



 わたしは頷いた。


 とても歩けそうにない。


 洞窟の中でも何度も転んで、足も挫いてしまった。



「それなら、少し触れるが許せ」



 男性はそう言うと、わたしを抱き上げた。


 抱き上げて、そのまま歩き出した。


 わたしは驚いた。顔に熱がたまり、咄嗟に声も出ない。



「下ろして」


「落ちると危険だ。じっとしているんだ。下ろしても歩けないのならば、おとなしくしていなさい」


「はい、ごめんなさい、重いでしょう?」


「どこが重い?ちゃんと食べているのか?」


「食べているわ。ただ、お姉様より食事の量が少ないだけよ」


「食べ物はもらえなかったのか?」



 わたしは頷いた。



「わたしは修道院に行くことになるからって、家族とは違う料理だったの」


「なんだと?」


「急に質素な料理を食べることになったら辛いのは、わたしだからって、お父様が決められたのよ」



 男性は眉を寄せた。



「あなたのお名前を窺ってもいいかしら?」


「紹介が遅れたな。俺はアクセレラシオン。長すぎるから、親しい者はクレラと呼ぶ。所謂愛称だ。ミルメルもクレラと呼ぶがいい」


「あら、わたしはまだ自己紹介もしてないのに、名前をご存じなのね?」


「そうだな、ミルメルの事を初めて知ったのは、10年前だったか。洞窟を抜けて、春の祭りを見に行った事があった。そこで、黒髪の可愛らしい女の子を見つけた。俺は妖精と意思疎通ができる。妖精がミルメルの名前を聞いてきた。寂しそうに舞を見るミルメルの心が暗く沈んでいたのを覚えている。地面に黒い落とし穴でも作りそうなほど、沈んだ気持ちの原因は、あの舞だと知った。この季節になると、俺は毎年、ミルメルのことが気になって仕方がなかった。だが、もう森の洞窟に入ることを家族に止められて、ミルメルに会いに行くことはできなくなった。だから、俺の代わりに妖精達がミルメルを呼びに行っていた」


「洞窟に入ってはいけないの?」


「ああ、俺は遠隔で洞窟を維持してきたが、もうその必要もなくなった」



 急にガタガタと大きな音がして地面が揺れた。背後を見ると、山が崩れて洞窟はなくなっていた。


 わたしは驚いて、目を丸くする。



「山が崩れそうだったのだ。ミルメルが来るまで護っていたが、もうその必要もなくなった」


「でも」



 帰れない。


 わたしはそう思った後に、もう帰るつもりもなかった事を思い出した。



「帰りたければ、国まで送り返そう」


「帰らない」


「そうか」



 彼はどこか安堵した声を出した。



「馬車を出してくれ」


「畏まりました」



 いつの間にか、森の中に馬車があった。


 御者が馬車の扉を開くと、彼はわたしを抱いたまま馬車の中に乗り込んだ。


 抱きかかえられたまま、椅子に座ると、御者が扉を閉めた。それから、直ぐに馬車は動き出した。



「あの、どこに行くの?」


「俺の邸だ」


「ここは、どこ?」


「聞きたいことがたくさんありそうだね。まずは邸に行って、食事でもしよう。その前に、お風呂かな?妖精達が、転んで怪我をしていると言っているが、怪我もしているの?」


「ええ、転んでしまって。ドレスもきっと汚れてしまっていると思うの」


「邸に戻ったら、直ぐに準備をしよう」


「お膝の上に抱っこされていたら、アクセレ……んっ」


「ほら、名前が呼びづらいだろう。クレラと呼べばいい」


「それなら、クレラ、お膝の上に抱っこしていたら、クレラが汚れてしまうわ」


「もう、今更だろう。洋服の一着や二着など気にしない」


「ありがとう」


「そうだ、ありがとうでいいんだ」



 クレラは、わたしの頭を撫でる。



「それにしても、10年、妖精の声は聞こえなかったのか?」


「聞こえていたけれど、お父様が森に入ってはいけないとおっしゃったから」


「それでも、今日は入ってきた」


「ええ、なんだか家に居るのが嫌になって、森の中に入ったの。可愛い妖精になれたらいいなと思っていたのだけれど、わたしは魔力が足りなかったみたい。妖精になるどころか洞窟の中で、魔力が尽きてしまったの。やっぱり情けないわ」


「魔力か?ミルメルには、魔力はたくさんあるが、使い方が悪いだけだ」


「魔力が見えるの?」


「見えるな。ずいぶん綺麗な気が漂ってくる」


「綺麗な?魔力に綺麗とか汚いとかあるの?」


「あるよ。ミルメルは魔力を使ったことはあまりなさそうだね?」


「師匠はいないのよ。魔力はどう使うのかしら?だって、わたしの魔力は……」



 闇の力だとは言えなかった。


 わたしは俯いて、黙った。


 力なく、息を吐くと、

 


「少し、休みなさい」



 クレラは、わたしが疲れてしまったのだと思ったのか、わたしの頭を撫でて、優しく抱きしめた。


 わたしは頷いた。


 こんな風に抱き上げられた事もなかったので、少し、ほんのちょっとよ、嬉しかったの。



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