甘さ控えめ

雨里まお

放課後の甘味

「どうした、まだ帰らないのか?」

頭上から降ってきた言葉にすぐに返事が浮かばなかった。見上げると、目が合う。それだけのことなのに、息を飲んで窓の外へと視線を逸らした。

雨が降り出したのは午後の授業が始まる頃からだった。すっかり本格的に降り出した雨の中、校庭には傘が色とりどりの花を咲かせている。

「――家の鍵を忘れたんです」

ようやく吐き出した言葉は少しだけ震えていた。「そうか」と短く言葉が返ってくる。嗚呼、馬鹿な嘘をついてしまった。

鍵を忘れたからってなんだっていうんだろう。せめて傘を忘れた、にすればよかった。そうすれば優しい先生は傘を貸してくれるかもしれない。でも、それで先生が濡れちゃうのも嫌だな、なんて。杞憂に気を取られていると先生が再び口を開いた。

「なら少し付き合ってくれないか」

ついうっかり見上げてしまって、もう一度目が合う。ニヒルな笑みに迎えられ、今度は視線が逃げられなかった。


みんなには内緒だぞ、なんて言葉に絆されて向かった先は理科準備室。促された椅子に腰掛けて、差し出されたどら焼きを受け取る。栗の入った、ちょっといいやつだ。

「賞味期限が近くてさ。でもひとりで2個も食べたら太るだろ」

先生はそんなことを言いながら、たったのふた口でどら焼きを食べてしまった。なにか飲み物も用意してくれているようで電気ケトルが熱を生み出す音がする。

整理整頓という言葉からはかけ離れた机の上に、まっさらな紙コップがふたつ並べられた。そこに緑茶のティーバックがぽいと放るように投入される。

「いただきます」

包装を破き、どら焼きを口に運ぶ。咀嚼して、飲み込む。出来るだけゆっくり。かちん、と音がして、紙コップにお湯が注がれた。熱い液体に包まれ、ティーバックがぷかりと浮いてくる。緩やかに緑色が溢れて、味気ない紙コップを彩った。

「どら焼き、好きなんですか?」

「奥さんが和菓子にはまっててさ。色々買うんだよ。持たされるんだけど、食べきれなくてな」

みぞおちのあたりがちくんと、甘く痛む。きっと、嘘をついてしまった罪悪感だ。きっと、そうに違いないんだ。

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甘さ控えめ 雨里まお @mao-ame

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