第2話 異国に降る雪
唐の国に渡ったのは、それからひと月後のこと。小舟に揺られ、大陸の風を受けて、優夜は遥か彼方の都へと辿り着いた。
迎えに現れたのは、宰相・天陽その人であった。彼女より四つ年上の二十二歳。清らかに整った容貌に、冷静な眼差し。そしてどこか、不器用なほど真っ直ぐな所作。
「このような遠き国まで、ようお越しくださいました」
最初の言葉は、驚くほど柔らかだった。
「宰相様こそ、直々にお迎えくださり……ありがとうございます」
そのとき優夜は、淡い紅梅色の衣を身に纏っていた。絹の織りは極めて細やかで、袖元には唐花の刺繍がひそやかに咲いている。髪は黒羽のように滑らかに結い上げられ、銀のかんざしがひとつ。飾りすぎず、けれど疎かにもせず、立ち姿にはどこか、品のある慎ましさが宿っており、気高くも儚い静けさがあった。
加えて、彼女の佇まいには、どこまでも澄んだ水のような、揺るぎのない透明感がある。言葉もまた、余白を大切にするように丁寧で、声は柔らかく、心に触れても波紋ひとつ立てぬような静謐さをたたえている。その肌は、まるで朝の光にふれる雪のように白く、冷たさではなく、目を細めたくなるような清らかさを感じさせた。
一挙手一投足に、無理のない礼節と、滲むような気品がある。言葉を尽くすよりも、沈黙の奥に美があった。
そして何より、ふと見せるその笑み。
——ほわりと微笑む笑顔は、まるで野に咲く一輪の花のようだった。凛として、けれど柔らかく、誰かの心にそっと寄り添うように咲いていた。
話す言葉は端正に整い、口調も抑えられていたが、そこには迎える者への真摯な敬意が滲んでいた。目元にはわずかに緊張が宿るものの、それさえも、彼女の誠実な心の現れのようだった。
二人の間に流れる空気は、静かで、まだどこか他人行儀だった。けれど優夜は知っていた。彼もまた、無理に笑わぬ人なのだと。そして、天陽もまた感じていた。彼女は飾らず、媚びず、それでいて、芯に光を抱いている。
その夜、正式な祝言は執り行われた。盛大ではなく、静謐な婚礼。天陽は寝所にて、そっと頭を下げて言った。
「私は、政の務めに追われる日々。……あなたに寂しい思いをさせるかもしれません。けれど、ほかに妻を迎えることはありません。あなた一人を、正しく、大切にしたい」
優夜はそれに、首を横にも縦にも振らず、ただ少し笑って答えた。
「ありがとうございます。私は、一人の時間も好きです。……ですから、ご心配なさらず」
それが、二人の最初の夜だった。
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