第16話
片山中学校・3年生、小島誠。
家は母・小島由紀子と祖母・初江との3人暮らし。
父親はいない――両親は3年前に離婚した。
夜、六畳の部屋に勉強の明かりが灯る。
「……もう、寝るの?」
祖母の声が遠くからするが、誠はうわの空。
参考書を開いたまま、また――髪を1本、抜く。
(……またやってしまった)
机の上には、気づかないふりをしている毛の束。
その向こう。ふすま越しに、母親の声が聞こえる。
「誠は、ちゃんとやってるの? 内申足りるの?
あの学校、簡単じゃないのよ。お母さんも、昔、落ちたからわかるけど……」
その声は、心配からくるものだった。
でも誠には、呪いのように聞こえた。
(落ちたら、また失望される。父さんが出ていったあと、俺が“成功”しなきゃ……)
プレッシャーは、母の過去、家の空気、期待、孤独――全部がのしかかる、見えない“重石”だった。
ある晩、誠は眠れずにベランダに出た。
指先が、また髪を探す。
(もう……いやや)
そのとき――草履の音。
「――その痛み、誇りに変えてみぬか?」
宮本武蔵が、夜の庭に佇んでいた。
「……また、あんた……」
「母の過去、父の不在、家の沈黙。お主は、背負いすぎておる。まだ若きにして」
「だって……母さん、あの学校に落ちて、ずっと悔やんでて……
だから俺が合格して、見返させてやらなきゃって……」
「それは、母上の“夢”だ。お主の“生きる道”ではない」
「でも……俺が結果出さんと、この家……」
武蔵の目が鋭く光る。
「“家族の幸せを支える”ことは尊い。されど、己を壊してまで守る道は、真の強さではない。
戦え、誠。敵は母ではない。“傷つくことを許せぬ自分”こそ、斬るべき相手だ」
誠の目に、涙が溢れた。
その翌日、誠は、学校を早退して、母のパート帰りを家の前で待っていた。
「母さん……話がある」
玄関先で、震えながら言った。
「……俺、最近、自分の髪を抜いてしまってた。怖くて、苦しくて……
勉強のことも、母さんの期待も、ぜんぶ背負おうとして、でも無理で……」
由紀子は目を見開き、何も言わなかった。
けれど、涙がぽろぽろとこぼれた。
「……あんたまで、壊れたら、私どうしたらええんやろって、ずっと思ってた。
……ごめん。ごめんな」
母と息子は、夜の軒先で静かに抱き合った。
3ヶ月後。
受験当日、誠は緊張で手が冷たかった。
だが、頭の中には、武蔵の言葉が響いていた。
「戦うべき相手を、見誤るな。勝つとは、倒すことではなく、壊れずに立ち続けることなり」
鉛筆を握る手は、小さく震えていたが、確かに“前を向いていた”。
夕暮れの屋上。
木刀を背に、武蔵がつぶやく。
「人はしばしば、“期待”という名の業火に焼かれる。
だが、真の勝者とは、その炎の中でも“己”を失わぬ者なり」
彼の背に、春の風が吹いた。
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