第9話 何処で覚えたんだ?
マシューの下には、アリナを含む十人弱の生徒が集まった。
マシューは、資料室の奥の方から運んできた小さな檻の中身を生徒たちに見せた。
「此の中に、生命体の様な物が在るだろう。此れは、あのヴィンスが実際の呪怪から切り落としてきた呪怪の一部だ」
檻の中では、スライムのような見た目をした塊が、にぢり、にぢりと蠢いていていた。
格子ごとの間隔はさほど広くはないが、この呪怪の断片にはすり抜けられぬものなのだろう。
「危険性はひとまず無いと考えて良い。本体より格段に弱いのに加えて、成長も相当遅いからな。これから、ちょっとした実力テストを行う。適当に並んで、順に攻撃系魔法でーー」
「あの、オルセ……えっと、教授、一つ質問が」
1人の生徒が、遠慮がちに声を出した。マシューはその生徒を一瞥した。
「マシューでよろしい。何が気になる?」
「ええと……本体は危険なのに、ヴィンスはどうやって、無傷でそれをとってこれたんですか?」
確かにそうだ。少なくとも、アリナが呪怪に遭遇した時には、そんな芸当をやってのける余裕は微塵もなかった。
「……誰も、無傷だったとは言わなかったよな?」
マシューの声が響いた。
先程よりも、ずっと低い声だった。
「此れを手に入れる為に、彼は彼の残りの寿命を殆ど失った。結果、ステージ4まで進んで、程無くして亡くなった」
生徒達の間に、重い空気が流れた。
たったこれだけのものを手に入れるために、こんなにも大きな代償を払わなければならない。
呪怪と関わるのは、そういう事なのだ。
それなりに覚悟を決めてきたアリナでさえ、その事実は目を背けたくなるものだった。
「私としても、出来るだけ死者は出したくない。だから、この実力テストを行うのだ。 ——あと君、質問の時間は後でとるから話を遮らぬ様に」
マシューの視線の先で縮こまっている生徒は、申し訳なさそうな顔で、はい、とだけ応えた。
「話を戻そう。攻撃系魔法をこいつにぶつけてみろ。変化が無い時もよくあるが、上手く行けば消えたり膨れ上がったりする。……稀に動きを沈静化させる奴も居るらしい。少なくとも私は見た事など無いが。まあ、先ず一列に並べ」
人数が少ないからか、すぐに列ができあがった。
アリナは後ろから二番目だった。
アリナの後ろ、最後尾には、比較的小柄な眼鏡の少年がいた。
ちらと盗み見た、仄かに微笑を湛えた顔に、血色はほぼなかった。
皆無と言っても差し支えない程だ。
「では、まず君からやってみろ」
先頭の生徒は、ポケットから杖型の発動体を取り出し、一振りした。
砂けむりのようなものが噴き出し、呪怪を直撃した。
地属性の魔法だ。見たところ、彼の砂けむりは実体がない。あまり魔力が強いわけではないようだ。
「魔力は少々弱い様だな。ただ攻撃のコントロールは上出来だ」
率直な講評だ。
マシューが長所を言っていなければ、この生徒は精神的に萎縮してしまっただろう。
その後も順調にテストは続いた。マシューは、一人一人の魔法の特徴を捉えて評価の言葉を贈った。
中には、マシューですら見たことがない呪怪の沈静化をやってのけた生徒もいた。
しかし、酷く緊張したアリナの頭には、そんな情報は少しも入ってこなかった。
背筋がみるみるうちに曲がり、視線が足もとに落ちる。
いつにない不安で、アリナの視界がぐるぐると歪みだす。
「次、君の番だ」
ふ、と顔を上げる。
マシューと生徒たちの視線全てがアリナの臆病な心の部分に突き刺さる。
ほう、と息をついて、あの日の記憶の蓋を少し開ける。
哀しみと、怒り、そして憎しみ。
苦しいものではあるが、これら感情と真正面から向き合うと、黒い魔法をより使えるようになるのだ。
三年かけて、ようやくわかった事だ。
発動体は使わず、手をかざす。
両手の間に、漆黒の弾丸ができる。そして紫色、カンパニュラから搾り取ったような紫色の閃光が駆け巡る。
弾丸が程よい大きさに膨張した後、そのまま檻に近づいた。
不器用に、だが渾身の力任せに、弾丸を呪怪にぶつけた。
かっ、と、強い光で教室中が照らされた。
光をまともに食らったアリナの視界が眩んだ。慌てて目を閉じる。
少し経ってから、目を開いた。
アリナの目と鼻の先で、檻の格子はしゅうしゅうと音を立てて、呪怪の方はかなり小さな断片だけになっていた。
辛うじて、赤子の手のひらに収まるだけの大きさは残っていた。
「おい、お前、それ……何処で覚えたんだ?」
先程までの冷静さを失ったマシューの声で、自分の周りの様子を認識した。
皆、驚いたような表情でこちらを凝視している。ひそひそと何かを話す生徒もいれば、明らかに引いているような表情の生徒もいる。
この空間で、自分ただ一人だけ異質らしい。
そう悟った。
「ミス・ノア」
アリナは、感情のないマシューの声に恐怖し、彼の目を直視できなかった。
「話があるから、後で来なさい。ル……ミスター・ガルシアはやらなくてもいいだろう。今日は此れでお終い。明日の講義で最終的な決断をして貰うから、考えておく様に。以上、解散」
他の生徒達が皆出口に向かう中、アリナだけ、その場に立ち尽くすしかない。
この突然の状況の中で、孤独感に苛まれた。
冷や汗が、色白のアリナの頬をつたう。
「此方に来なさい」
恐る恐る足を動かし、ひんやりとした空気の準備室に向かった。
テストを受けなかった眼鏡の少年は、そんなアリナの姿を見つめていた。先程までの微笑が溢れ落ちて、表情が薄らいでいた。
くるりと踵を返して出口に向かった彼の瞳は、桜の花弁で染めたような薄紅色をしていた。
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