第5話「キス風味のラーメン」

「ラーメン屋でラーメン味わいもしない奴に認められても、嬉しくねぇな」


夏生は水を口に運びながら、ふてくされたように言った。


わかっている。

あの『どの写真より、“冬夜”だった』という一言に惹かれていることが。


自分の表現を肯定された。

被写体にとっての“本物”として、それを受け取ってもらえた。


喜ばないふりができるほど、自我は殺せていなかった。


だからこそ、ごまかすように吐き出す。


──認めてしまえば、透明である事の価値を否定する事になってしまう。


それを知ってか知らずか、冬夜は不思議そうにまばたきをした。


「なんで?ラーメンとそれとなんの関係あるの?」


「……お前だってさ。

ライブに来た客がイヤホンしてたら、イラッとするだろ」


「……一理ある」


そう言いながら、冬夜は無言で箸箱に手を伸ばす。

白い指が、さらりと夏生のラーメンをすくいあげ——。


「おい、ちょっと」


抗議するより早く、冬夜の顔が近づく。

まっすぐこちらを見つめる目に、視線に縫い止められた。


次の瞬間。


──唇が、重なった。


熱い麺とともに、微かに甘いスープの味が口内に広がる。

どくん、と心臓が跳ねる。


「……っ!?」


「味わった」


冬夜は変わらない。天気予報士の挨拶のほうが、よほど抑揚がある。


「味わったって……お前な、なにしてんだよ今!!」


言葉が追いつかない。

返す言葉も、考える前にどこかへ吹き飛んでいた。


確かに。

たしかに、味わった。

でもこれは、違うだろ。普通じゃない。色々と、なにもかもが。


「……何してんだ!!」


ようやく声が出た。数秒の沈黙を挟んで。


「ラーメンを味わったんだよ」


「そうじゃねぇ!!!」


店内を見回す。酔った客と喧騒とラジオの音。

幸い、誰もこちらに気づいていない。

けれど、そういう問題じゃない。


「食べ物は、無駄にしてないよ」


ふふん、と胸を張る冬夜に、夏生は思わず頭を抱えた。


真面目の使い方、そこじゃねぇ。


「……人の目とか、いろいろあるだろ。

そもそも男同士が、ああいうのを人前で、って……!」


常識を語る自分に、若干の自己嫌悪すら覚えながら、それでも言わずにはいられなかった。


冬夜は一拍置き、まばたきをひとつだけして——静かに言った。


「人の目とか、男同士とか。

それって、音楽に関係あるの?」


夏生の呼吸は、一瞬止まった。


「周りの目なんて、どうでもいいよ。

それで俺の音が変わるわけじゃない」


——でも。


「お前が俺に好意を抱くかどうかでは、変わる」


手がグラスをつかみ損ね、水がこぼれる。

その音が、妙にやさしく耳に残った。


「お前の写真。良かったよ。

あの視線が欲しかった。……写真なのに、音が聞こえた。お前の音が」


冬夜は、微塵も照れもなく、静かにそう言った。


「俺、お前が欲しい」


理解してしまう。こいつには、もうなにかが見えてるのだと。


「俺を見て。撮って。

君の視線で、“冬夜”を完成させて」


夏生の背中を、汗がつたう。


その瞳は、誰の反応も求めていない。

ただ“必要”を語っている。


「好かれたいんだ、お前に。

……俺を、完成させる為に」


店内の騒がしさが、ふいに遠のく。

まるで、この空間にいるのはふたりだけのようだった。


 

(……とんでもないものに、惹かれてるのかもしれない)


なのに、その引力を断ち切れない。

自分のどこかが、もう応えてしまっていた。

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