ヨロズ。
@rokutousei_san
ヨロズ。
遠くから聞こえる爆発音と、人々の悲鳴で目が覚める。
白いはずの天井は、緊急時を知らせるランプで赤く染まり、点滅を繰り返していた。今までもこういうことは何度もあったものの、こんなにも足音が慌ただしく鳴り響いていたことはあっただろうか。
爆発音が、未だ鳴り響いて壁が揺れ続けているなんてことは、あっただろうか?
「キサラギ!」
外から扉を叩く音がする。
おかしい、いつもなら自動で開くはずだ。
早歩きで扉に近づき、こちらの状況を簡潔に伝える。
「ヨロズ先生、こちらは転落物ナシ、危険物ナシ、負傷ナシです。」
「あぁよかったよ、キサラギ。緊急ランプが点灯しているからもうわかっているかもしれないけど、私たちは避難しなきゃならない。こちらからはどうやら扉が開けられないみたいなんだ。そちらにもキー入力用のパッドがあるだろう?そこに今から言うワードを入れてくれ。」
少しきょろきょろと見回すと、確かに入力用のパッドがある。
「了解しました、ヨロズ先生。」
パッドに手を伸ばし、言われたとおりに数字、アルファベット、記号の羅列を入力していく。
「よし、上出来だねキサラギ。数秒後に扉が開くよ。」
少し時間がたって、いつもより少しゆっくりと扉が開く。部屋の外には煙が立ち込めており、想定していたよりもひどい状況にこの施設がおかれているのだということが分かった。
「先生、いったい何が…」
私の言ったその言葉にかぶせるように先生は話し出す。
「ごめんね、君にそれを話しているような時間はないんだ。私たちはとにかくこの施設から出なきゃならない。いいね?」
いつもより少し切羽詰まった声。理由を話してくれない姿には違和感を覚えたが、それほどに追い詰められているのだろうと思うと、あまり気にはならない。
「わかりました、先生。」
そういうと先生は私の手を引いて走り出した。
ゆっくりと人の声や、足音が遠ざかっていく。普段私が来ないような、そんな場所をいくつもいくつも通り過ぎる。
フラスコの中の小人、様々な生物の特徴を併せ持った空想上の産物。人々の夢によってふたたび現代に現れた太古の爬虫類。
この施設には私を含め、《欲望》によって生まれた幻想達が多くいる。
それら一つ一つは複数の生物の犠牲と、拙作たちによって成り立っている。幻想を形にするために多くの努力と犠牲を惜しまない人間たちの考えは、私が理解するにはあまりにも複雑だ。先生に聞いたところで教えてすらくれないだろう。
今いたエリアの端まで来ると、先生は何やらごそごそと作業を始めた。
何をしているのだろう。気になって覗こうとすると、先生が振り返った。
「キサラギ、申し訳ないのだけれどここからはこの箱に入ってくれるかい?」
差し出されたのは、段ボール。
「先生、避難しているだけならば堂々としていれば良いのでは?」
先生はメガネをくい、と上げながら苦笑いを浮かべる。
「そうしたいところなんだけどね、この先のエリアがちょーーっと君が生身で歩くには危なくてね。だから段ボールに隠れてくれるかい?彼らにばれるわけにはいかないんだ。」
「…なるほど、そういうことなら仕方ありません。」
私はおとなしく段ボールに入り空いている隙間から外を覗き見る。
「いいかい、絶対に物音はたてちゃだめだからね…って言わなくてもわかるか。」
静かにうなずくと、ゆっくり段ボールの蓋が締まる。
少しの間は動き出さなかったものの、何かを開くような音が鳴ると先生はゆっくりと歩きだした。
隙間から外を覗いてみると、そこは先ほどの白い空間とは一変して、水槽が多く並んでいた。以前見せてもらった本で記されていた、水族館というのが一番適切な表現方法になるだろうか。ふわふわと漂うビニールのような何かが見える。
白い空間しか知らない私にとって、隙間から覗き見たその世界は一段と輝いて見えた。
先生は何故このエリアで私を外に出したがらなかったのだろう。外を眺めながらぐるぐると思考を巡らせてはみるものの、結局どうしてなのかはわからなかった。
水槽の中には大きな魚…?の様なものが悠々と泳いでいた。
私の身体よりも数倍大きな体。曲線を描いて動く尾鰭。
私はそこに、幻想達にはないであろう“美しさ”を見た。もしかしたらこの魚は、人間の欲望によって作り出されたものではないのかもしれない。
…外の世界にこんな生物が居るのだろうか。
すこし胸がどきりとした。
暫くの間、大きな魚をうっとりと見つめていると、カツカツとハイヒールを鳴らす音が聞こえてきた。
「あれ、ヨロズちゃんじゃん。あんた組み換えのほうでしょ、ただでさえシステム停止してて【天使】が居なくなってんだから、対応しなきゃでしょ?」
はつらつとした声色の女性だ。私は恐らく会ったことがないだろう。
「…ニノマエ先輩。」
「まったく。ヨロズちゃんったら露骨に嫌そうなカオしないの、私たち二人とも外の出身なんだから。仲良くしましょ?」
外の、出身。
私はその言葉に思わず息をのむ。
この施設では様々な実験・研究をしているがために、あまりに多くの“外に出してはいけない情報”を保有している…らしい。私も詳しいことは知らないが、情報が外に出てしまうと混乱を招くため、基本的に施設内で生まれた人たちが職員として同じく実験を行っているそうだ。
つまり、外の出身者は極めて珍しいということ。
先生は思わずため息をつく。
「私とあなたでは担当するエリアが違うでしょう。」
「その通り、担当するエリアが違う。君がこちらへ来るなんてよっぽどの用事がないとあり得ないよね。」
ニノマエセンパイはハイヒールの音を高々と鳴らしながら距離を詰めてくる。
「何が言いたいんですか。」
「そうだね、簡潔に伝えよう。…もしかしてだけど君、この混乱に乗じて脱走しようだなんて考えてないだろうね。」
…脱走?
先生はその言葉に言い返すことなく、ただ黙っているようだった。
「あれ、当たっちゃったの?やっぱり私の勘はよく当たるね~」
ニノマエセンパイはクスクスと笑いながら私の入った箱を軽く叩く。
「え、じゃあこの箱君の私物かい?随分と前時代的な運び方するねぇ。」
「まぁ、そうですね。そのほうが落ち着くといいますか。」
私物?中に入っているのは私だ。それに先生は脱走じゃなくて避難するために私を運んでいるはずだ。
「ふぅん…ま、私は別に止める気はないさ。君と二度と話せなくなるってのが残念でならないけどね。」
ニノマエセンパイはそう言いながら箱を少し撫で、先生に何かのカードを渡したようだった。
「餞別だよ、受け取りな。」
「…どこに隠し持ってたんですか。こんなもの…」
「ふふ、私がこれ以上持っていても使わないからね。まあ彼のものだから、それなりに権限はあるはずさ。」
「これ、形見みたいなもんでしょう。私が貰っていいものなんですか。」
「何を言ってるんだい、これはスペアさ。原本を君なんかに渡すわけがないだろう?」
「…ちょっとでも心配した私が馬鹿でした。」
先生はため息をついた後、再び歩き出した。
「あぁおい!別れの言葉の一つもないのかよ!」
ニノマエセンパイは笑いながらそういった。先生はそんなセンパイに呆れつつも、少しうれしそうに見えた。
結局先生は振り返ることなく、そのエリアを後にした。
「…彼もまた、幻想に捕らわれたってわけか。」
ニノマエは煙草をふかしながらクジラを眺める。
「なぁトウベ、君なら彼を止めたかい?
……なんてね、もう君は居ないというのに、聞いても仕方のないことだ。」
くすくすと笑いながら煙を吐く。立ち上る煙は、いつもよりもゆっくりと天井に向かっているように見えた。
「…ここから逃げ出して、無事でいられるはずがないというのに。」
きっと次に会うときは、彼は肉塊になっているだろう。
「ふふ、天使を連れて逃避行とは、なかなか乙なものじゃないか。」
段ボールを叩いたときに感じた違和感。私物にしては随分と空間が開いていた。
きっと彼が遺伝子組み換えエリアのシステムを停止させ、【天使】を連れ去った真犯人なのだろう。
「流石のトウベでもそこまでしなかったってのに、彼って割と大胆なんだな。話せなくなるのが惜しいよ。」
煙草の煙があたりに充満し、火災警報器の音が鳴り響く。
暫くするとスプリンクラーが作動し、エリア一帯に水が降り注いだ。
「まあ、これくらいしてやってもいいだろう。」
きっと運営側は犯人が逃走していると見て、すでに捜索を開始している。こんなもの多少の足止めにしかならないが、無いよりはましなはずだ。
「あんなに初々しかったヨロズちゃんも、いなくなっちゃうのか。」
少しさびしさを感じながら、水に濡れた煙草を少し噛み締める。
いつものような甘い味はしなかった。
「トウベ博士のカードキーか…」
先生はそう呟きながら別のエリアに足を踏み入れる。
トウベハカセ。私はその人物に少なからず聞き覚えがあった。
世紀の天才科学者、トウベ・アミ。様々な分野において重要な論文を複数作成し、どの界隈においても彼が知らないことなどないほどに知見に富んでいた。人は彼のことを生き字引と呼び、称賛するとともに遠ざけたがった。
そんな彼は、数年前に海難事故で命を落とした。
不慮の事故だった、とされている。詳しいことは分かっていないらしい。
そんなことをぐるぐると考えながら外を眺めていると、先生が小声で声をかけてきた。
「…さっき、ニノマエ先輩が話していた通り、私たちは今から施設を出る。君には自由に生きてもらいたいんだ。そのあとのことなら私がいくらでも保証する。」
ニノマエセンパイが言っていたことは本当だったのだ。
この施設で脱走するということは即ち死を意味する。きっとこのままでは死ぬのがオチだろう。
「きっと君には理解できないだろうが、人間というのはね、自由を求め自由を与えたがるものなんだ。」
先生はそう話しながら、箱をトントンと叩く。
「いや、理解できないと言い切るには惜しいか。君はベースが人間だからもしかしたらいつかそれを理解するときが来るかもしれない。」
先生はそう告げて、箱の隙間から紙切れを差し込んだ。
「もうすぐこの施設のエントランスに出る。君は【天使】を模して造られているから何で撃たれても平気だろう。…私はそうはいかない。だから一直線に施設から離れるんだ、そして出会った人にこの紙を見せて。そしたら誰でもきっと助けてくれる。」
そういいながら先生は箱の蓋を開ける、周りには青々とした植物が生えており、蝶が舞っていた。先生は私を箱から出して、頭を撫でた。
「よし、ここからは君も外に出て歩こう。外はもうすぐそこだしここまでくれば出てきても問題ないからね。人いないし、このエリア狭いからちょっと歩くだけでついちゃうし。」
先生は私の手を引いて歩きだした。
床に目を向けると、蟻が私たちの進む方へと列をなしているのが見える。この先に彼らの餌があるのだろうか?それとも、私たちが彼らの餌なのだろうか。
そんなことを考えながら先生の手を握り返した。
「さ、この扉をくぐればもうエントランスだ。」
先生は自身の職員カードを取り出し、慣れた手つきで扉に差し込んで操作する。するとゆっくりと扉が開き、私と先生はまたゆっくりと歩きだす。
「…誰もいない、のか。」
先生は首をかしげながら別の扉についているパッドに自身のカードを差し込む。
差し込んだ、その瞬間だった。
あたりにあるスピーカーが大きな音を鳴らして周りへ異常を伝える。
「チッ、なるほどな。向こうはこれが分かっているからなかなか追ってこなかったわけだ」
先生はいつもより少し焦っているようだった。
「システムは既に回復してたのか。」
つまり、泳がされていたということ。
奥の扉がゆっくりと開く。
「…ヨロズ研究員、こんなところでいったい何をしているんだい?」
硬い革靴を重々しく鳴らしながらゆっくりと近づいてきたのは、所長だ。
この施設全体の総括者、私でも顔を知っている。
「………所長、貴方こそなぜここに?」
先生は私に後ろへと移動するように促した。
「許可なく施設を出ようとする不届き者がいると聞いてね。」
所長の後ろから武装した研究員の人たちがぞろぞろと出てくる。
「ヨロズ研究員、残念だよ。君も優秀であったというのに。」
研究員の人たちは一斉に銃を構える。
先生が、死んでしまう。
先ほどのエリアから逃げ出した蟻たちが私の足の上に登ってくる。
先生の手も震えている。きっと策がないのだろう。
私は思わずきょろきょろと周りを見渡す。
なにか、この状況を覆すことのできるものは…
**
「これはスペアさ」
「原本なんかを君に渡すわけがないだろう?」
**
そういえば、ニノマエセンパイから貰ったトウベハカセのカードキーは?
そう思いだすや否や私は先生の着ている白衣のポケットに手を突っ込み、急いでカードキーを取り出す。先生は一瞬動揺していたもののすぐに思い出したのか、私からキーを受けとってパッドに素早く差し込む。
トウベハカセは余程信頼を得ていた人だったのだろう。先生が操作する間もなく扉が開いた。所長たちは明らかに動揺しているようだった。
「キサラギ!早く出ろ!」
そう先生に促される。
「でも、せんせいは、」
「なにをしている!早く撃たんか!撃て——————。」
広いエントランスに、一発の銃声が鳴り響いた。
「…先生?」
恐る恐る後ろを振り返る。
ぽた、
ぽた、
ぴちゃん。
血の匂いと銃を撃った後、ほんのりあたりに香る火薬の匂いが混ざり合う。
先生のお腹にゆっくりと赤いシミが広がって、すぐにシャツを赤く染めた。
「せんせい、せんせい。」
思わず先生の方へ駆け寄る。
「…キサラギ、私は、きっともうだめだ。」
「そんなことありません、きっとまだ、まだ、」
そういいながら先生を支えようと肩を持とうとしたが、重さに耐えられず、ゆっくりと地面へおろすことしかできなかった。
「…だから、君に僕の名前をあげよう。ヨロズ、如月ヨロズ。
うん、いい名前だね。」
先生は私の言葉を聞いていないようだった。
「君はこれからよろずのことを時の流れとともに見るんだ、死というゴールは無い。」
そう言いながら頬を撫でて、先生は微笑んだ。
頬にはまだ生暖かい血がつく。その感触は初めて感じるものの、全くよい感触ではなかった。
自然と頬に涙が伝う。
「幻想達よりも美しいモノがこの世にはごまんとある。だから君は、変わりゆく美しいモノを見届けてほしい。
…私たちの忌々しい実験のせいで、君は死ねない。そして、不老不死を作り出すという人類最大の禁忌を犯してしまった罪を、我々は償わなければならない。外界へはもう出られない。楽園へ…行くことはできない。だからせめて君は、生きてくれ。
…私の分までね、そのための名前だから。」
そう言って先生は私から手を放した。
「ヨロズ、言ったことはもちろん覚えているよね。さぁ、走って。」
銃声なんて、気にもならなかった。
ただ先生に言われた通りに、
走って、
走って、
走って、
走って、
森を抜けて、
灯りを見た。
私はあまりその時のことを覚えていない。
とにかく言われたことをやらなくちゃいけない気がして、
時々何かに貫かれて体が熱くなったのも気にならなくて、
ただただ、忘れてはいけないことを繰り返して走った。
私は如月ヨロズ、先生に助けてもらった。
私は如月ヨロズ、先生に助けてもらった。
私は、わたしは如月ヨロズ。わたしはきさらぎよろず、
わたしは—————。
赤いランプが点滅している。
このランプも緊急時を知らせるための物なのだろうか。
「お嬢ちゃん、どこから来たの?わかる?」
「上町西区にて身元不明の少女を保護。およそ十歳前後と思われます。所持品に紙切れ一枚…なにかが書かれていますが、解読できません。」
ここはどこなのだろうか、この人たちは何なのだろうか。
「黒井ちゃ~ん…この子しゃべれるかわかんないよぉ…全然話しかけてこないし…」
「真面目にやってるの?全く…
……お嬢ちゃん、自分のお名前言える?」
名前。
私の名前。
先生から貰った、大切な名前。
「私は、如月ヨロズ。貴方達は誰?」
ヨロズ。 @rokutousei_san
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