第37話 竜の聖女


 舞踏会の会場へ向かう前、私は魔術士団と宮廷楽団の打ち上げに顔を出していた。

 大成功を迎えて、心地よい疲労感と熱気が両団の間に広がっている。次々に感謝の言葉や意欲的な声が寄せられ、私自身もその輪の中にいられることが嬉しく、胸の奥がじんわりと温まった。

 そこへ、聞き慣れたぶっきらぼうな声が飛んできた。

 

「んだよ、まだいるのかよ」

 

「シルヴィオくん?」


 宮廷楽団メンバーと話していた彼が、椅子に座り込んで休憩していた私に駆け寄ってくる。

 邪険にされるとは思わず、首を傾げると「舞踏会、行かないのかよ」とため息交じりに言われた。

 その言葉に「うっ」と息が詰まる。

 魔法演出チームに混じって城内に帰ってきたけれど、実はまだ「聖女」としての仕事は残っていた。

 

 舞踏会――社交界への挨拶だ。


 一応、政治的な立場もあるため顔を出さないわけにはいかない。

 舞踏会のためにダンスの練習もしたけれど、正直、苦手だ。ライブでダンスの振り付けをマネすることはあっても、全身で動くとなればワケが違う。

 目線をそらせば、シルヴィオくんが殊更深く息をついた。


「殿下。お前とダンスするの楽しみにしてるぞ」


 アレクの名前を出されたら動かないわけにはいかない。

 でも、ほんの少しだけ不安があった。魔術士団のみんなと一緒に演出したとはいえ、魔力をかなり使った。


「前に魔法を使いすぎてぶっ倒れたんだろ?これ、ポーション。やるから」


 そうして、1本のビンを差し出してくれた。

 毒々しいほど鮮やかな緑の液体が詰まった小瓶。薬草の匂いが鼻を刺した。


「…………苦い?」


「すっげぇ不味い」


 なんで、笑顔で言うかなぁ。

 それでも私は、ビンを開けて一気に飲み干す。薬草特有のえぐみが口に広がったけれど、何とか飲み込んだ。


「行ってくる!」


「おう!」


 シルヴィオくんが手を振って押し出してくれる。

 いつだって彼は、不器用ながらも私を支えてくれる大切な仲間なのだ。



  *


 

 舞踏会の会場へ足を踏み入れた瞬間――

 眩いシャンデリアの光に思わず目を細める。優雅なワルツが響き渡り、会場を一層華やかに彩っていた。だがそれ以上に、貴族たちの熱気が場を沸き立たせている。

 

(……どうしよう)


 完全に場違いだ。

 無計画に来てしまったことにさっそく後悔する。

 入り口で立っているわけにもいかず、すぐさま壁際に移動して、別世界のような空間を眺める。

 深紅、翡翠、群青と、宝石のような豪奢なドレスが咲き誇る会場。ビシッと決めた燕尾服に、豪華な装飾を施した衣装を着ている人もいた。

 シンデレラはこんな気持ちだったのかな、とおとぎ話の光景に目を疑ってしまう。

 

 この大勢の中から王子様を探しだすなんて至難の業なんじゃないかと思ったけれど、ひと際、女性が群がっている場所があった。


(たぶん、あそこだよね)


 アレクシウス第一王子は、現在、婚約者不在の未婚男性だ。

 艶やかな金髪に、柔らかく微笑む端正な顔立ち。知性と優雅さを兼ね備えたその姿は、誰もが憧れる“絵に描いた王子様”そのものだ。

 そんな人とお近づきになれるチャンスを逃さない女性なんていないだろう。我先に、どころか若干、殺気立ちながら数多の少女たちが声をかけている。


 ―――殿下。お前とダンスするの楽しみにしてるぞ


 シルヴィオくんが言っていたのは本当だろうか。

 この場所にきて、改めて怖気ついてしまう。

 色んなしがらみがある中で、たくさんの人に囲まれながら柔軟にそれをかわしていく。

 そんな人が私と踊ってくれるのだろうか……声をかけていいのかな。


 たくさんの人をかき分けて、少しずつ彼に近づいていく。

 すると、パチリと目が合った。


「ハルカ!」


 満面の笑みで歩み寄ってくる。

 誰もが魅了される完璧な王子様、そして―――私にとっても王子様だ。


「聖女様。一曲、踊っていただけませんか?」


 スッと手を差し出されて、眩しい笑顔を向けられる。

 迷うことなんてできなかった。

 緊張しながら手を重ねると、グッと強く握られ、引かれるようにダンスホールへと導かれる。

 整った横顔に胸が小さく弾み、真正面から向けられる眼差しに心臓の高鳴りが止まらない。


 腰に手を添えられた瞬間、鼓動が一気に跳ね上がる。

 ゆったりとしたワルツに合わせて身をゆだねれば、優雅な世界に引き込まれる。


 リズムがわかっていても、なかなか身体はついていかない。

 四苦八苦する私を気遣うように、アレクは緩やかにリードして、温かく見守ってくれる。

 ごめんね、と呟けば「ハルカと踊れること自体が光栄なんだから、気にしないで」と手を包み込むように握ってくれる。

 気持ちにゆとりが出てきたところで、ふいに別の目線を感じた。

 華やかな空気にそぐわない、冷ややかな視線がちらりと入り込む。アレクもそれに気付いたのか、大きくターンして場所を移動した。


「……ねえ、アレク。偽物の件、結局、誰が…」


 私は小声で問いかけると、彼は苦笑して声を潜める。


「ごめん、今は聞かないでほしい。まだ、しっぽを掴んだわけではないんだ」


 そう言って、私の身体を支える手に力を込めた。


「だけど、もう二度と君を危険な目に遭わせない。誓って、見張っておくよ」


 その真摯な言葉に、私は静かに頷いた。


 ―――アレクが言うなら大丈夫だ。


 そんな安心感が伝わったのか、彼は力強く頷くと私の身体を包みながら、大きく反転した。

 ぐるりと世界が回り、まるで万華鏡のように世界が輝く。


「ねぇ、ハルカ。これからこの国の音楽は、もっと変わるよ。君の魔法は、たくさんの人の心を揺り動かした」


 アレクの目は、私を通して、もっと先を見据えていた。

 緑翠色の瞳が輝きを増し、その意志の強さに心打たれる。

 私の魔法がアレクの行く道を支えるなら、これ以上に嬉しいことはなかった。


 やがて曲が終わりの余韻を響かせる。

 名残惜しそうにアレクは私の手を離すと「疲れただろう?」と、少し切なそうに声をかけてきた。


「あそこのバルコニーで、少し夜風に当たっておいで。―――きっと、月が綺麗だから。君と並んで見たかったけどね」


 戸惑う私を視線で促す。

 踊ったせいもあって身体が火照っているのは確かだ。私は頭を下げて、踊ってくれたことに感謝しつつ、バルコニーへ向かった。

 

 

 * 



 ガラス張りのバルコニーへと続く扉を押し開ける。

 ふわりと夜風が頬を撫で、ドレスの裾を揺らした。

 背後で扉が閉じられると、舞踏会の喧騒は遠のき、静寂が訪れる。


 空には大きな満月が昇っていた。

 やわらかく、いつまでも見つめていられる優しい光。

 その光に照らされて、バルコニーには一人の男性が立っていた。


 ――ありえない、と私は思った。


 彼はずっと檻のなかにいるものだと。

 決して破られることのない格子に隔てられたままなのだと。

 煌びやかな世界に私がいる間も、あの塔の中で待ち続けてくれる。

「気にしない」と言うだろう。でも、私が耐え切れなかった。どんなに想っても、彼の足かせは外れないと。


 けれど、今――目の前にいる。


「っ、うっ……うぅ……」


 込み上げる想いが、涙となってあふれ出す。しゃっくり混じりに嗚咽がもれ、頬を伝う滴を拭おうとしたそのとき、大きな手が私の頬に触れた。


「……もう、寂しくないだろう? だから――泣くな」


 その言葉にハッと顔を上げる。

 困ったように、それでも不器用に笑うその表情は、最初に触れてくれたときと同じだった。

 無骨な指先が優しく目元をなぞり、私の髪に触れてゆっくりと撫でる。

 私と彼の間に、もう冷たい鉄格子は存在しなかった。


「うんっ」


 自然と涙が止まる。冷たい風さえ心地いい。

 月明かりの下のシグリードは、かつて迎えに来てくれた姿とは違い、竜の翼を持たない――完全に人の姿だった。

 その違和感に気付いた私へ、彼は静かに語る。


「……お前が攫われたと聞いて、俺は塔の中でただ、歯噛みするしかなかった」


 アレクが「シグリードに攫われた」と伝えたとき、彼はそんな葛藤のなかにいたのか。私が驚くと、彼は苦笑しながら続ける。


「竜の姿のままでは、あの窓を抜けられなかった」


 けれど――と、シグリードは微笑んだ。


「お前がくれたものが、俺の中で確かに生きていると気づいたんだ」


 一歩、彼は歩み寄る。


「だから初めて、自分の意志でこの姿を保てた」


 誇らしげに笑い、毅然と立つ。


「……ようやく、本当の意味で、お前の隣に立てた気がする」


 穏やかに目を細める「薄明竜」を、誰が想像できただろう。

 三百年近く幽閉されていた竜が、私に語りかけている――それだけで胸が熱くなる。


「――だがもう、竜の聖女ではなくなってしまったな」


 舞踏会の音色が、かすかに届く。

 シグリードも、私がさきほどまであの場にいたことを知っているはずだ。

 華やかな光景を思い描く瞳は、どこか寂しげだった。


「そんなことないよ。竜の聖女だからこそ、できたんだよ」


 シグリードの視線が、シャンデリアの輝きから、静かに私へ戻る。

 深く、深く――海のような青い瞳。


 この世界で私を支えてくれたのは、ほかの誰でもない、シグリード。

 あなたが触れてくれたから、私の胸に火が灯った。

 今度は私の番だ。


「シグリードがいたから、ここまで来られたの。私、あなたの聖女でよかった。あなたに出会えて、本当に良かった」

 

 ぎゅっと彼の手を握り締めて、離れることのないように祈る。

 もう二度と、孤独になんてさせない。


「ずっと傍にいてくれて……ありがとう」



 シグリードが教えてくれた魔法。

 それが今、この手のなかで大きな光となり、私と彼の道行きを照らす。

 音楽の祝福を聴きながら――


 Fin.





✦・┈┈┈┈┈┈┈┈ ・✦ ✦・┈┈┈┈┈┈┈┈ ・✦✦・┈┈┈┈┈┈┈┈ ・✦

あとがき


正直に言えば、この物語は文字よりも「音」と「光」で魅せたい作品です。


第1話でタクトを振ったあの瞬間から

ミディーナとの初めての共演

星空の下、アレクシウスのヴァイオリンに光球が舞うシーン

四重奏演奏会でのワルツ、バラード、ロック、それぞれの魔法演出

合同練習のときの、魔術士団の演出紹介


そして、最後のお披露目式典。


もし、頭の中に少しでも音が流れ、光が舞ったなら、

それはきっと、私とあなたが一緒に見たステージです。


そして、それらを感じることが少しでもあったなら、一言、アクション、感想。

どのような内容でも、一言でも構いません。どうか、私に伝えてください。


また、ほんの少しでも「誰かに見せたいな」と思っていただけたら、X(旧Twitter)や他のSNS、レビューなどで広めていただけると、とても嬉しいです。


ご愛読、本当にありがとうございました。

あなたに「楽しい時間」と「心が震える瞬間」を贈ることができたのなら幸いです。


――また、いつか“ステージ”の幕が再び上がることを願って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る