第22話 光の開幕
檀上に上がるアレクシウス王子へ、盛大な拍手が鳴り響く。
本番当日を迎えた私は、緊張と不安、そしてほんの少しの高揚感に満たされていた。
今朝は演奏会への出席ということで、それなりに身なりを整えて準備をした。
私はまだ“竜の聖女”として正式にお披露目されていないため、今回はエレナさんの親戚という仮の身分で出席している。
魔法演出についても、サプライズとして披露した後、「魔術士による新たな実験の一環」という建前で、しばらくは公表を控えてほしいという方針となった。そのため、私の魔法演出は“完全オフレコ”という扱いだ。
アレクシウス王子は申し訳なさそうにしていたけれど、事情があるのは分かっているし、私も目立ちたいわけではない。
四重奏のメンバーは、本番直前までリハーサルを重ねていた。
私もギリギリまで魔法の調整をして、それから――ほんの少し、勇気をもらいに薄命竜のもとへ向かった。
着飾った姿に驚いていたけれど、落ち着かない私の様子に、すぐ気づいたのだろう。
呆れたようにため息をつきながらも、信頼を込めた眼差しで「待っている」と言ってくれた。
どんな結果になろうとも、あの存在がいるだけで、心がぐっと強くなる。
アレクシウス王子の挨拶が終わり、壇上へミディーナ、エレナさん、マウロさんが上がる。
練習のときとは違う、煌びやかな正装は、まさに“宮廷楽団”という格式にふさわしい佇まいだ。
そして――オープニング曲が始まる。
最初の一曲は、王子の帰国を祝う、元気でキャッチーな曲。
テンションを引き上げるような華やかなナンバーで、留学を経た彼の経験が、祖国に新たな風を吹き込む、そんなイメージが込められている。
王子の力強い旋律に、セカンドとビオラが寄り添い、チェロの伸びやかな音が全体に深みを与える。
まるで、王子の優しさや温もりを滲ませるような演奏だ。
観客たちは、いつもの演奏会だと思っているのだろう。心地よさそうに耳を傾けていた。
そして演奏が終わると、温かな拍手が会場を包んだ。
アレクシウス王子は丁寧に頭を下げ、バイオリンをロベルトさんに手渡すと、舞台を降りる。
そのまま客席の一番後ろ、私のもとへと歩み寄ってきた。
「緊張してる?」
隣に腰かけて、そっと声をかけてくれる。
私は深く頷き、視線をステージへと向けた。
ロベルトさんが調弦を終えると、目配せひとつでメンバーが息を整え、ゆっくりと弓を引き始める。
二曲目は、落ち着いた哀愁を帯びた旋律。
国を想う王子の葛藤や責任を、切ないメロディーに込めることで、言葉にできない想いを音に託す――そんな構成の一曲だ。
この曲を提案したのは、隣にいるアレクシウス王子で、「要は、“同情するなら協力して”って意味なんだよね」と軽く言い放ったときは、メンバー全員がなんとも言えない表情になったのだった。
曲はそろそろ終盤へと差し掛かる。
このあと王子が留学先での話を少し述べ、いよいよ――魔法による演出が始まる。
緊張で手が震え出す。
受け入れてもらえるのだろうか。だんだんと、怖くなってきた。
「……ね、ハルカ。僕にもひとつだけ、使える魔法があるんだ」
「えっ?」
突然、真剣な眼差しを向けてくる王子。
「それは――笑顔さ。君も、同じ魔法が使えるだろう?」
そう言って、軽やかにウインクする。
王子にしかできないような“魔法”にかけられて、張り詰めていた緊張の糸が、するりとほどけていった。
「ふふっ……はい」
楽しもう。
ここまでのすべては、この瞬間のためにあったのだから。
「――それでは、本日ご来場いただきました皆様へ。私が留学を通じて得た経験をもとに、新たな技法を取り入れた演奏をお届けいたします。我が国に刻まれる新たな歴史の一端を、どうぞご堪能くださいませ」
アレクシウス王子の言葉に続いて、レースカーテンが引かれ、会場の照明がほんのりと落とされる。
私は席を離れ、後方に設置された小さな段の上にあがる。
そこからは、演奏者たちと観客全体を一望できた。
――心臓が、これまで感じたことのないほど激しく鼓動している。
本当に、胸から飛び出してしまうんじゃないかと思うほどに。
けれど、壇上の仲間たちに視線を送ると、力強く返されるまなざしに背中を押される。
互いに頷き合い、息を合わせる。
ドルガスア王国史上初となる、魔法による演出が幕を開けた。
前奏。
ひとつの光球が、ワルツの旋律に合わせて演奏者の頭上をゆっくりと旋回する。
観客の多くが声を上げそうになるのを、必死に堪えているのが背中越しにも伝わってくる。
相手は上級貴族ばかりだ。突然の演出に取り乱すようなことはないだろう、という目論見は功を奏していた。
その静けさのおかげで、私はより深く集中して魔法の制御に専念できる。
光球は、白から青へ、そして赤へと、ゆっくり色を変えてゆく。
まるで複数の妖精が、舞台の上を踊っているかのようだ。
音が盛り上がると、後方に張られた大きな白幕に光球が触れて弾けた。
瞬間、幕に赤いベルベットのカーテンが投影され、まるで舞台の幕が開くように、左右へとすうっと引かれてゆく。
「まぁ……」
「おお……」
音に合わせて優雅に踊る男女の姿が浮かび上がる。
それはまさに、舞踏会のワンシーンだった。
魔法演出にあたって、最初に話し合ったのは“抵抗感をなくす”ということだった。
貴族たちは新しいものに敏感で、斬新すぎる発想はしばしば忌避される。
自分に合わないと判断すれば、容赦なく切り捨てる。それがこの国の上層階級の気質だ。
だからこそ、目新しさと馴染み深さの絶妙なバランスを探る必要があった。
慣れ親しんだ「舞踏会」の映像は、そんな彼らの心にも、自然と入り込める“最適解”だった。
やがて映像は、舞踏会の中の一組のカップルにフォーカスされる。
ヴァイオリンの優美な旋律に合わせ、人々の間を縫うように舞うふたり。
それは観客自身が、この四重奏の音色に身を任せて踊っているかのような錯覚すら引き起こす。
曲が終盤へと差し掛かる頃、映像はぼんやりと霞んでゆき、再び白い幕だけが残される。
代わって浮かび上がったのは、先ほどのカップルの“影”だった。
彼らは演奏者と観客のあいだに立ち、再び踊り始める。
弦が高音を奏でれば、女性のドレスがふわりと跳ね、
低音が響けば、影の男女は力強く床を踏みしめる。
短い1フレーズだけを踊りきると――ふたりは星屑のように輝きを残して、静かに消えていった。
誰ひとりとして、声を発する者はいなかった。
全員が、泡沫のような光の残滓を、じっと見つめていた。
それは、まるで夢の終わりのようであり、同時に、新たな物語の始まりを告げる鐘の音のようにも思えた。
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