第17話 星明かり


 

 夕食を終えて一息つくと、今日の出来事が頭を巡った。

 予想以上に魔法がうまくいって、思わず約束までしてしまった自分に、内心苦笑する。


(……とんでもない約束しちゃったなぁ)


 竜の聖女として演奏会に参加させるなんて、思いつきにしては大胆すぎた。

 申請なしに出演させるのは難しいし、魔法が使えない可能性もある。

 だからと言って、演奏者として出るなんて、さすがに無理。ピアノもヴァイオリンもまともに触れないし、リコーダーも……怪しい。


 結局、ミディーナと一緒に色々案を出してみたけれど、どれもしっくりこなくて、いったん保留。

 ただ一つ決めたのは、「魔法が使える」ことも、「竜と話せる」ことも、今はまだ口外しないということ。


(……人型になれることも、もちろん)


 誰よりも優しくて、私のことを思ってくれる薄明竜――

 けれど、彼の過去や、人間に対するわだかまりはまだ見えない部分がある。

 だからこそ、軽はずみに話すべきではないと思った。


 思考を切り上げて、外に出る準備をする。

 光魔法の練習には、夜の方が向いている。ライブライトのイメージも、暗さがあった方が想像しやすいから。


(……それに、もう少しだけ、彼に応えたい気がする)


 そう呟きながら、私は静かにドアを開けた。


 

 *



「わぁ――――」


 夜に外に初めて出てみたけれど、空は満天の星空だった。

 遮るネオンの光がない世界は、どこまでも空気が澄んでいて、月よりも星空の方が眩しいくらいに瞬いている。

 それにこの暗さなら十分にライトの明かりも調整しやすそうだ。


  塔のすぐそばで練習するにしても、門番たちに一言伝えておかないのは不自然かもしれない。どう説明したらいいだろう。

 外の空気を吸いたくなった――それでも通じるだろうか。


 ふいに、かすかにヴァイオリンの音色が耳に届いた。


 ミディーナのような明るさとは違い、どこか切ない旋律が夜闇に溶けていく。

 庭園の方で誰かが練習しているのだろうか。


(……気になるけど、行くのはまずいかな)


 けれど、もし誰かが演奏しているなら、魔法と合わせてみたい――。

 そんな気持ちがふくらんで、ダメもとで門番に尋ねてみることにした。


 少し回ってから「こんばんは」と挨拶すると、最初こそ門番たちは警戒したが、私だとわかるとすぐに緩んだ。

 そして「ヴァイオリンの音が気になって」と告げると、あっさり「知っている人物だ」とのことで、庭園まで案内してくれるという。


 けれど、魔法の練習をするかもしれないことを考えると、同行してもらうのは避けたい。

 丁重に辞退し、代わりにランプをひとつ借りることにした。交代まで時間があるとのことで、快く貸してくれた。


 私はランプを手に、庭園へと足を運ぶ。

 塔と城の中ほどに位置するその庭園は、小ぶりながらも手入れが行き届き、薔薇のアーチや整えられた植え込みが静かにたたずんでいる。


 ――その奥から、胸を締めつけるような音色が響いてきた。


(…………ッ!)


 アーチを抜けた先にいたのは、月の光を紡いだような金髪の青年だった。

 背は高く、しなやかな筋肉を備えた体つき。ヴァイオリンの演奏も洗練されていて、涼やかな横顔はまるで彫刻のように整っている。

 青の装飾付きの上着は彼の高貴な雰囲気を引き立ている。


 ――まるで、絵本から抜け出してきた王子様そのものだ。


 薔薇咲く夜の庭園で、ヴァイオリンを奏でる青年。

 少女漫画のワンシーンのようで、思わず見とれてしまう。


「そこにいるのは、誰かな?」


 柔らかな声が夜気を揺らす。

 あまりに現実離れしていて、夢を見ているのではないかと疑ってしまう。


「あっ、えっと、こんばんは……」


 近づきながら「竜の塔に住んでいて、その、竜の聖女をやってて、ハルカっていいます」と、しどろもどろに自己紹介をする。

 彼は「君が?」と少し訝しむように私を見たが、門番からランプを借りたことを伝えると、すんなりと納得したようだった。


「なるほど、君が……。でも、聖女様がどうして、こんなところに?」


「あの、ちょっとお願いがあって来ました」


「お願い?」


 私は小さく頷いて、手のひらを開き、青白い光球を浮かべる。


 すると彼は「これは……」と目を見開く。

 旋回する光が私のまわりを舞い、害のないものであることをそっと伝える。

 その瞳が、興味の色を帯びて煌めいたのを、私は見逃さなかった。


「今、魔法の練習をしていて。それで音楽と組み合わせたら面白いかなって、ミディーナ――宮廷楽団の女の子と話してたんです。で、練習しようと思ったら……貴方がいて」


 一度言葉を切って、息を吸う。


「よかったら、練習に付き合ってください!」


 思っていたより大きな声になってしまったけれど、それくらい、気持ちははっきりしていた。

 ミディーナとはまた違う空気を纏った彼だからこそ、試してみたいことがいくつも浮かぶ。


「……優しい光だね」


 青年は、私の手のひらに浮かぶ光球を見つめたまま、そう呟いた。

 その声音には驚きもあったが、それ以上にどこか穏やかな響きがあった。


「竜の聖女が魔法を使うなんて、正直、驚いたよ」


「えっ……ダメ、ですか?」


「いいや。むしろ、今までの聖女と違っていて、少なくとも好感が持てるよ。先代の聖女は……ずっと心を閉ざしていたから」


 少し寂しげだったのは、先代の姿を知っているからだろうか。

 けれど、すぐに気を取り直して、彼は優しい笑みを浮かべる。


「――――僕の音でよければ、その光を重ねてみようか」


 手にしていたヴァイオリンを持ち上げて、チューニングする。

 そして、期待するように目を細めて、すでに気持ちの準備は万端といった様子だ。

 

「君の魔法は、人の心に寄り添うような温かな光だね。きっと、素敵な時間になるよ」


「……はい!」


 言葉にならない嬉しさが、胸に満ちていく。

 この夜のセッションが、何かのきっかけになるような気がした。

 

 そんな予感を抱きながら、私はそっと光を浮かべ直した。

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