鋼の羽 5
後になって知ったけど、あれは発作のようなものだったらしい。
いきなりだ。
少なくとも俺達にはいきなりだった。
千春に用があるとか圭が言うから仕方なく、俺達は千春を探して放課後の校舎をうろうろと歩き回る。
「んな急ぐんか」
「今日中に話しときたい」
「ほんならしゃあないな。皆姿見てへん言うてるし、けど靴あるしなぁ。後は軽音部の方か?」
「かもな」
軽音部の活動の日ではなかったけど、千春は防音の効いた部室の第二音楽室に居る事が多い。
そこで下校時刻ギリギリまでをギターを弾いて過ごす事が珍しくない。家でギターを掻き鳴らしたりなんてしたら近所迷惑以外の何物でもないから、まぁ理解は出来る。
「ち~は~る~居るか~?」
スパンッと扉を開いて、目にした光景に体が強張った。
梁に掛かった黄色と黒のロープ、そこに引っ掛かった見覚えのあるほっそりした体。
その体はゆらゆらと大きく揺れている。
扉に掛けた手の指先からじんっと痺れて、上履きと足の間に見えない膜でも出来たかのようにじゅわっと爪先から感覚が薄れる。
動けない俺を押し退けるようにして圭が部屋に駆け込む。
「はよ誰か呼んで来い!」
「お、おう!」
力無く天井からぶら下がる体を抱えて上げて、圭が俺に向かって怒鳴る。その声で体に感覚が戻ってきて、弾かれるように職員室に向かって駆け出す。
足場を派手に蹴飛ばしていた千春を降ろすのは俺達だけでは出来そうもなかったし、現に圭は千春の体を抱え上げてロープがこれ以上首に食い込まないようにしていた。
「あ、あほ!あほや、あいつ、あほ…………」
職員室に向かって走りながら、歯の根が合わずにガチガチ鳴る。
友達が死ぬ。
急がなくては、死ぬ。
もし圭が咄嗟に動かなかったら、声を出さなかったら、俺は見殺しにした。
動く事すら出来ずに見殺しにした。
それは間違いない事実で。
「気分は?」
緊急搬送された病院で、千春は意識を取り戻した。
俺と圭はその千春に付き添っていた。
時間はかなり遅い。
「……最悪や」
圭の問いに千春は掠れた声で応える。
さっきまで付き添っていた千春の母親は家に帰っている。
息子の自殺未遂の一報が届いた父親から連絡が入って、家から必要な物を取ってから落ち合って戻るからそれまでついていてほしいと俺達に頼んで慌てて出ていった。
入院するかどうかは置いておいて、保険証やらなんやらが必要らしい。
「弟のところへ行こうとしたんか」
圭は手をだらりと下げて空ろな目で千春を見下ろして呟いた。
どういう意味だ?
圭の言葉を受けた千春が俯いた。
「明日が通夜で、そん次が葬式、やったな」
「圭?」
話に置いてかれた俺は二人の間で戸惑うしかない。
弟?
「………………悪いか!」
強い、射殺すような荒んだ瞳が圭をギッと見つめる。
まるで自殺を止めた圭を憎むかのような千春の瞳が、何故か俺の中に暗い影を落とす。
「俺が死んだとこで誰が困るん?少しばかり後味が悪いだけでなんも変わらんやろ」
ほんの少しだけ、圭の瞳が揺れた。
俺は咄嗟に手を突き出して千春をベッドに押し倒した。
驚いたような千春と、圭の方からは息を飲むような音がした。
俺はお構い無しに千春の細い首を締め上げる。
「かっ……!」
無意識に酸素を求めて千春が口を大きく開いて、ぐぐぐっと力を込める俺の手に爪を立てる。
苦しそうに顔を顰めて、ばたばたと四肢を動かして、変な音を喉の奥から絞り出して、死にたくないと言わんがばかりに体を動かす。
母親を亡くしてあんなに傷ついた圭に、更に傷をつける気か?
友達を亡くしたって傷を、つかなくていい傷を、自分の勝手でつける気か?
ならいっそ、目の前で死ぬか?
お望み通り今、殺してやる……。
「ミツ!」
圭は俺を後ろから羽交い締めにするようにして千春から力任せに引き剥がした。
力が緩んだ隙に千春は俺の手を目一杯の力で振り払った反動でベッドに上半身を擦り付けて激しく噎せて、ぜぅぜぅと変な音を立てて肩甲骨が上下する。
「ほらみてみぃ!ほんまは死にたくないくせに死にたがんなや」
「ミツ!」
「ええか!死にたいんならなぁ、俺等の知らんとこで勝手に死ね」
「やめろミツ!」
俺を引き摺り倒した圭が俺を黙らせるようにぎゅうっと胸に押し付けてきた。
制服のボタンが額に当たってなんだか痛い。
あと、同じ洗剤で洗ってるはずのシャツがやたら良い匂いだなんてぼんやり思った。
「千春!お前アレや。今日お前は死んだ、二回死んだ。一回目は自分で殺して、二回目はミツが殺した。だから次は俺の番」
「……はぁ?」
「三番目に殺すのは俺の番!三度目の正直!いつか完璧に殺したるから、その時までお前の命は俺のもんや。ええか、俺の許可無く勝手に死ぬな!わかったな!!」
もうメチャクチャだ。
俺は圭に抱き締められながら、ふつふつと込み上げてくる笑いを押さえきれなくなっている。
可笑しくて、可笑しくて、可笑しくて、堪らなかった。
圭は千春の命なんかを請け負った。
じゃあ、この先千春より先に死ねない。
そんなら俺も安心だ。
いつか圭がどこかへふいっと消えてしまうかもしれない恐怖を手放せる。
責任感が強い圭は一度拾った命を軽々しく捨てられない。
引き攣ったような俺の笑い声が静かな病室に響いて、圭が恐る恐る俺の顔を覗き込んできた。
その視線に笑みを返して、歪な弧を描いたまま上半身を捻って千春を見つめた。
「千春。お前、ヤバイ奴に捕まったで」
真っ青な顔をした千春はきっとヤバイ奴ってのは俺の事だと思っただろうな。
まぁ、そんな事どうだっていいけど。
千春が死のうが生きようが、悲しいけどきっと俺の人生にはそんなに影響はない。
生きていてくれたらそれは良いけど、死んでしまってもこの先の長い人生を大きく左右したりしない。
そんな事より。
圭が俺を呼んだ。
俺の事を呼んでくれた。
その事の方が重要だった。
そっか。
圭は俺を〝ミツ〟と呼ぶのか。
充ではなく、ミツ。
悪くないな。
うん、悪くない。
楽しくて、愉しくて、楽しくて仕方ない。
「……あかん。ミツが壊れた」
千春がドン退いた声を出した。
くつくつ笑い続ける俺を見て、完璧に壊れたと顔を引き攣らせる。
俺達は何の因果かこの先の人生を肩を並べて歩いていく事になってしまう。
長い長い一瞬の道のりを、瞬きのような短い永遠を。
バカみたいに笑い合いながら、最後の
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