第7話 庭に仕掛けられた謎


 正午を過ぎたころ、クラリスは指定された「動きやすい服装」へと着替えていた。


 薄手のチュニックに、淡いグレイのスカート。いつものドレスに比べればずっと軽やかで、歩きやすい靴も用意されていた。


 それだけで、まるで別の“場”に足を踏み入れるような感覚だった。


(午後の試験……いったい何をさせられるの?)


 胸の内に緊張が走る。けれど、不思議と怖くはなかった。

 この選抜戦のなかで、自分は“見る”ことを求められている――その確信が、少しずつ自信になってきていた。


* * *


 余裕を持ってやって来た第一庭園は、城の南東に位置する静かな広場だった。


 高く刈り込まれた垣根が、外の視線を遮っている。

 中央には噴水があり、陽光を受けて水面がきらきらと輝いていた。


 すでに何人かの候補者たちが集まっていた。

 ルナ・セレストの姿もある。彼女はクラリスに気づくと、軽く手を振ってみせた。


「よかった、あなたも来たのね」


「ええ……これから何が起こるんでしょうね……。そこにはもはや興味が出て来ました」


 そう返すと、ルナがくすりと笑った。


「ほんと、王子ってこういう仕掛け好きよね。あの晩餐会も相当だったけど……今日も“ひねり”がありそう」


 まるで何かを知っているような言い方に、クラリスは首をかしげた。


 そのとき。


「――失礼、遅れてしまったかな?」


 朗らかな声とともに、レオニス王子が現れた。


 淡い青の騎士服を思わせる軽装に、陽を浴びて金の髪が揺れる。

 従者を一人も連れず、まるで“平等な立場”として現れた彼に、場の空気がふっと変わるのが分かった。


「皆さん、昨日はお疲れさまでした。提出いただいた文面は、すべて目を通しました」


 その一言に、何人かが息を呑んだ。


「観察力、記述力、そこに込められた想い――私は、すべてを“読む”ことから、皆さんの力を見極めようと思いました」


 クラリスは、王子のまなざしが自分にも一瞬だけ向けられたのを感じた。

 言葉にしない何かが、その視線に込められていた。


「さて、第三次試験は――『実技』です。とはいえ、力比べをするわけではありません。これから皆さんには、ある“事件”に挑んでもらいます」


 ざわめきが起こる。


「この庭園のどこかで、“ある問題”が発生しています。それを観察し、調べ、真相を解き明かしてください」


 まるで舞台劇の導入のようだった。


「皆さんは“解決者”です。与えられた時間は、一時間。途中で報告に来ても構いません。報告内容の正確さと、洞察の深さによって評価が決まります。

 この試験で、候補者はさらに半数以下に絞られる。……最終的に、残るのは八名となります」


 ざわめきが広がる。十八名から、さらに八名へ――。


 クラリスもまた、その言葉の重さに喉が詰まる思いだった。


(いよいよ……次が“分岐点”になる)


 そして、王子はひとつ微笑んだ。


「もちろん、仕掛けは“ひとつ”とは限りません。どうぞ、目をこらして、耳を澄ませて。この庭に潜む“仮面”の奥を――見抜いてください」


* * *


 試験が始まった。


 候補者たちはそれぞれの方向へ散り、庭園内を歩き始めた。


 クラリスは、ゆっくりと呼吸を整えると、最初の一歩を踏み出す。


 足元の小道、花壇の配置、植え込みの陰――

 視界のすべてが、観察対象になる。


 水音、鳥のさえずり、風に揺れる葉の音。


 そのなかに、何か“異質なもの”があるとすれば――それを見つけるのが、クラリスの“役目”なのだろう。


 そして、数分後。


 彼女は、庭の奥のベンチで、何かを見つけた。


(……あれは?)


 無造作に落ちたハンカチ。

 刺繍には、見覚えのある紋章。


 それを手に取ったとき――クラリスの中で、ひとつの“違和感”が確信に変わった。


(この事件……きっと、“誰かが仕掛けた仮面劇”だ)


 王子は、また試している。

 “誰が見抜けるか”を。


 そして今度は、ただ観察するだけでは足りない。

 “真実にたどり着く”力が試されている。


 クラリスはそっと手帳を開き、メモを走らせた。


 午後の光が、彼女の肩を照らしていた。


 ハンカチを手にしたクラリスは、あらためて周囲を見渡した。


 ベンチの隣には、花壇に沿って小道がのびており、その先に誰かの足跡が残っていた。

 まだ土が湿っているため、比較的はっきりと形が読み取れる。小さなサイズ――女性のものだろう。


 クラリスはしゃがみこみ、土の状態や草の倒れ具合から足跡の向きを読み取った。

 ――南東の生け垣へと続いている。


(落とし物じゃない。誰かが“落としたように見せかけた”)


 わざとらしいほど目立つ場所に落ちていたそのハンカチと、その近辺の足跡の“整いすぎた不自然さ”。

 そして、刺繍の紋章。


(これは、王都でもよく知られた侯爵家のもの。……私でも分かるくらいだもの)


 つまり――「これは重要な手がかりですよ」と言わんばかりの配置。


(事件の“始まり”として、目につきやすい場所に置かれた……そう考える方が自然)


 クラリスはベンチに腰掛け、しばし思考を整理する。


 王子は言った。「仕掛けは一つとは限らない」と。


(ということは、これは“事件の入口”にすぎない可能性もある)


 そのときだった。

 植え込みの向こうから、二人分の話し声が聞こえた。


「ねえ、さっきのテーブルの下、見た? あれ、何かおかしくなかった?」


「……うん、私も気になってた。あの足音、途中から止まってた気がする」


(他の候補者も、動いてる)


 クラリスは小道の奥へと歩を進めた。

 垣根の隙間に、人ひとりが通れるほどの抜け道がある。かがみながら進むと、そこには日陰に包まれた静かな空間があった。


 そしてその一角に――一枚の手紙が、風にあおられながら落ちていた。


 クラリスはそっと拾い上げる。


 筆跡は乱れていた。内容も、感情的な言葉が並んでいる。


 《裏切ったのね》《あなたの秘密、もう隠しきれない》


(……誰かの“告発文”?)


 手紙の紙質は上質で、書かれたインクも新しい。


 すぐに芝の端で、インクの染み具合を確認すると――雨には打たれていない。つまり、今日の出来事だ。


(この事件には、“背景”がある)


 単に“誰が手紙を落としたのか”ではない。

 これは人間関係のもつれを模した“舞台装置”――感情、関係性、そして隠された意図。


(演劇のように……けれど、演技では済まされない)


 王子は“真実”を求めている。

 それが作られたものであろうと、そこに込められた“気配”を見抜く目を試している。


 クラリスはふたたび手帳を開き、観察と仮説を記録していく。


 ――ハンカチ、足跡、手紙。

 それらはすべて別々の要素のようで、どこかで交差している気配がある。


(“つながり”があるはず……)


 ふと、遠くから軽やかな笑い声が聞こえた。

 それは――ルナの声だった。


 見上げれば、庭の中央で彼女が誰かと談笑しているのが見える。


(彼女は、何を知ってるの?)


 そう思いながら、クラリスは小道を戻り始めた。


 王子の言葉が胸によみがえる。


 “仮面の奥を見抜いてください”


 その仮面は――時に優雅で、時に無垢で、時に残酷で。


 その裏側にあるものを見つけるには、ただ“見る”だけでは足りない。

 思考し、線を引き、全体を見通す目が必要だ。


(残るのは、八名。……この試験に残りたいのかと言われると、正直興味はない。ただ、仕掛けられた謎から逃げるようなことはしたくない。

 私は“真実”にたどり着ける?)


 クラリスは、再び足を止めた。


 そして、ゆっくりと深く息を吐いた。


 午後の陽光の中、クラリスの目は、いつになく澄んでいた。

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