王子の花嫁選抜戦、私は棄権しますと言ったのに
ひだまり堂
第1話 棄権希望者、なぜか最前列
「第一王子・レオニス殿下が、花嫁候補を百人募る――だなんて、まるでおとぎ話のようね」
社交界では、今やその話題で持ちきりだった。
美貌の王子が花嫁を求めて、百人の貴族令嬢を王城に召集する――その知らせは、瞬く間に王国中を駆け巡った。
舞踏会か、才能試験か、それとも仮面を付けての恋の駆け引きか?
社交界は憶測と噂で満ちあふれ、娘を持つ母親たちは一様に目を光らせ、機会を逃すまいと奔走していた。
けれど――
「……はあ。どうして私が、こんなところに……」
控え室の隅、古めかしいソファに沈み込むように座る少女は、重たいため息をひとつ落とした。
「王子の妃なんて、普通は高位貴族のご令嬢がなるものでしょう?」
呟いたのはクラリス・グレイ。
グレイ子爵家の三女。
落ち着いた色味のドレスに包まれた細身の身体。髪は夜会巻きもせず、編み込んだだけ。化粧も控えめ。
それもそのはず。他の参加者たちは煌びやかに着飾り、宝石を散りばめたドレスや香水の香りを漂わせていた。比べてクラリスは、まるで「付き添いの侍女」のような浮き方をしている。
(いや、違う。選ばれたんじゃなくて、押し込まれたんだわ)
クラリスは諦めのような笑みを浮かべた。
王子の花嫁選抜戦――それは国王の布告により、十七歳から二十歳までの未婚の貴族令嬢の中から「候補者百名」を集めて実施される、かつてない一大行事だった。
表向きは「平等な機会」と謳われているが、実際は名家の娘が圧倒的に有利とされている。クラリスのような準上位貴族の末娘にとっては、舞台に立つことすら場違いなのだ。
(書類、勝手に出されたのよね……)
父が多額の借金を抱えていたのは知っていた。だから、王宮からの選抜通知が届いた日、すべてを悟った。
自分が「王子の妃候補として売られた」ことを。
(棄権すればいいって思ったけど……)
「選抜戦規定により、一度承認された候補は途中棄権を認められません」
と、王城の役人に冷たく言われたときの悔しさを思い出し、クラリスはもう一度、長い息をついた。
「……なら、せめて早々に脱落して、帰るだけ」
黙っていれば誰の目にも止まらない。落第して静かに退場できる。
それが今の彼女にとって唯一の希望だった。
――その時。
「花嫁選抜試験、第一審査を開始します。候補者は、指定の座席へお座りください」
甲高い声が部屋に響き、百人の候補者たちが一斉に立ち上がる。
クラリスも慌てて立ち、列に並ぶ。手元の番号札を見る。
(99番……ということは、後ろの隅のほう、よね?)
控えめに会場に足を踏み入れ、席を探す。が――
「……えっ、いちばん前、ど真ん中?」
あったはずの席は、まさに会場中央、正面の王子の玉座から一直線のど真ん中。
視線の集中砲火を受けながらも、係官に促されて渋々腰を下ろす。
(……なにこれ、なにかの罰?)
背筋にじんわりと冷たいものが流れる。
けれどそれを表に出すことなく、クラリスは手を組み、無表情を保った。
「では第一審査。課題は――『歴史に学ぶ正義』」
壇上の試験官が声を響かせた。
「問題文を配布します。よく読み、制限時間内に“あなたの考える正解”を記述してください」
各自の机に封筒が配られる。クラリスはそっと開き、問題文に目を落とした。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
【設問】
以下の史実に対し、あなたの考える“正解”を述べなさい。
《第十三代国王ヴァレンティウスは、王妃アリシアの暗殺未遂事件の責任を問われ、后妃制度を廃した》
この一連の決定について、王家の正統性と矛盾する点を挙げよ。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
(……え?)
クラリスは一瞬、文章を見返した。
教科書に何度も載っていたエピソード。
アリシア王妃は“悲劇の妃”として語られ、ヴァレンティウス王の改革は「民のための理想的な政治」として高く評価されている。
だが――
(“暗殺未遂”なのに、“后妃制度を廃した”?)
直感が告げる。
これは、何かがおかしい。
文章に潜む違和感を手繰りながら、クラリスは思考を巡らせる。
(制度そのものを廃止するほどの理由には見えない。むしろ、“王妃の身辺警護”の強化が自然なはず。
なのに、なぜ“制度そのもの”が消されたの?)
仮説が浮かぶ。
――后妃制度の中に“王家の敵”がいたのではないか。
――王妃アリシア自身が、暗殺未遂の標的ではなく、“加害者側”だったのでは?
(……后妃制度そのものを廃止、ね)
クラリスは、眉をひそめながら問題文をもう一度読み返す。
(王が複数の妃を持つ制度そのものを廃止した、ということは――)
アリシア王妃の暗殺未遂事件。
もしそれが「后妃同士の争い」で起きたなら、制度の廃止はまだ理解できる。
けれど、それで“王が責任を問われる”のは妙だ。
(まさか……愛妾の中に、王妃の命を狙った者がいた?
それとも……王自身が、誰かを唆した可能性も?)
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
(でも……そんな不遜なこと、答案に書いてしまって大丈夫かしら)
不敬罪――王家に対する侮辱として、罰せられるという噂もある。
けれど、仮に落第したとしても、それはそれで望むところだ。
(捕まらないなら……むしろ都合がいいかも)
苦笑しかけて、慌てて表情を引き締めた。
その思考を、筆に乗せる。
公式記録に残された“正義”を疑う、異端の解答。
書きながらも、震える手を抑えられなかった。
(これで……きっと落とされる。これ以上、王子に関わることもない)
それが、最後の願いだった。
* * *
数時間後。
広間に試験結果が掲示される。
クラリスは人混みに隠れてそっと見上げた。
「第一審査、通過者は四十三名。その中で最高評価を得たのは――」
読み上げた係官が声を止める。
「――クラリス・グレイ候補です」
静まり返る空気の中。
百の視線が、彼女に突き刺さる。
「……えっ」
思わず声が漏れた。
そのとき――玉座の前から、すっと歩み出た男がいた。
白銀の装飾が施された制服、整った顔立ちに、鋭くも冷静な眼差し。
この国の第一王子、レオニス・アルヴァ。
「君……君の答案、実に興味深かったよ」
「え、あの、私……変なことを書いてしまったかと……」
「変? いや。素晴らしく“正しい”と感じたよ。……少なくとも、僕にとってはね」
王子はゆっくりと微笑んだ。
「やはり君は、気づいてしまう人間なんだな」
その意味深な言葉に、クラリスは思わず息を呑む。
「次の審査も、楽しみにしているよ。棄権など、許さないからね――クラリス・グレイ」
その言葉が意味するものを、まだ彼女は知らなかった。
――これはただの花嫁選抜戦ではない。
この試験の本当の目的は、“嘘の歴史”を覆し、“真実”に辿り着くことだった。
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