第10話 オートマタとナンバーズ「兵器」
蟹座——。
黄道十二星座の中で最も「暗い」星座。
忠義に厚く、
「蟹」の姿に象徴されるように、外側は硬い甲羅で自分や仲間を“守る”ことに徹していた星座。
だが、その内側は非常に柔らかく傷つきやすかった——。
* * *
荒廃した都市に、電子音声のアナウンスが響いた。
『蟹座部隊。五等星アセルルス・ボレアリスとの仮想訓練を開始します。』
そのときの鏡花は、目の前にいる少女に目を奪われていた。
青く透き通る青髪。
エリスより少し背が高いくらいの
そのあまりに無垢な姿に思わず声が漏れる。
「何この子……かわいい……」
刹那、少女の姿が掻き消える。
「——!?」
風切り音すら置き去りにして、レアリスは鏡花の右側へ回り込む。
振り上げられた小さな拳が、すでに目前へとに迫っていた。
(この速度が……”五等星“!?)
思考より先に、身体が動いた。
白の特殊服から発生した可燃性物質を発火させる。
ドンッ!
右側面で起きた鋭い爆発が推進力となって彼女の身体を大きく左へ弾き飛ばす。
スレスレのところで拳が空を切り、生じた風圧が頬を撫でる。
地面を転がりながら即座に受け身をとる。
「っ……!」
体勢を立て直し、前方に目を向けた瞬間。
鏡花は、目前に迫る光景に顔を
立て直した鏡花の視線の先——砂煙を突っ切って、レアリスが再び肉薄していた。
最高速度で距離を取ったはずなのに、一瞬で詰められている。
「くっ……!」
鏡花は舌打ちし、今度は足元を爆発させて真上へ跳躍した。
その直後、鏡花が先程まで立っていた、アスファルトが轟音と共に砕け散る。
(私たちナンバーズが、“使えない兵器”と呼ばれている理由は——)
ただのパンチ。
それだけで、小型爆弾のような破壊力を叩き出す。
レアリスの一撃が地面を穿ち、破片が四方へと飛び散る。
(この……“オートマタ”たちの、規格外の速度と力のせい……)
砕けた瓦礫は煙をあげながら、廃車や朽ちたビルへと次々に激突する。
あんなものが直撃すれば、生身の人間ならただでは済まない。
上へ大きく跳躍した鏡花は、その光景を静観しながら体勢を整え、両手で小さな炎の玉を練り上げた。
だが——。
眼下の噴煙の中から、レアリスは一向に姿を現さない。
その行動に警戒しながら、噴煙の影響を受けていない高所の瓦礫へと着地する。
(彼女たちの“頭脳”は——戦闘特化へと進化を遂げたAIだ。
たった一度の戦闘で、こちらの能力を学習してくる可能性がある……だから、気を付けないと)
その直後、背後に気配。
だが、その程度、彼女は予測していた。
振り返り際、掌に隠してあった炎の球をレアリスへと射出する。
レアリスは即座に、予め持っていた圧縮されている瓦礫を指先だけで投げつける。
その塊が火球に命中し、高速で飛んできた炎を遮断する。
(……!! あの瓦礫を使って、飛んだ私を撃ち落とそうとしてたの!?)
盾にされた瓦礫が十字に広がる爆風と火炎に包まれる。
その爆風のわずかな隙間を、レアリスがすり抜けてきた。
腰を落とした低姿勢で、一瞬で間合いを潰すように。
鏡花は、目元のかすかな震えを押し殺しながら、真正面から相手の動きを見据えていた。
落ち着き冷静に、即座に次の一手に移ろうとする。
(え……?)
轟音と共に足元の感覚が、一瞬で消える。
——レアリスが、瓦礫の足場を踏み砕いた。
それは、空中へはみ出していた、瓦礫の先端部分を狙ったかのように。
鏡花が立っていた、先端は支えを失い、下へと落下する。
「しまっ……!」
彼女は足元を失い、宙へ投げ出された。
咄嗟に落下する瓦礫へ爆発を引き起こし、上空へと逃れようとする。
だが——それこそがレアリスの狙いだった。
爆風の勢いを借りて高く跳んだ、鏡花の視界。
目まぐるしく動くその隅で、レアリスの姿が映る。
(——やられた!!)
レアリスは既に投球の構えに入っていた。
手には、予め持っていたもうひとつの瓦礫の塊。
空中で無理やり身体を
ゴッ!
鈍い衝撃が、肩を襲う。
「がっ……ぁ……!」
脳天めがけて放たれたそれを、右肩で受けとめた。
骨が砕ける嫌な感触が全身に広がる。
激痛が駆け抜け、右腕の感覚が一瞬で失われる。
呻き声と共に、鏡花の身体は
涙で霞む視界の中、必死に下を確認する。
そこに、いた——青い髪の少女が。
無表情。無感動。
感情のない兵器が、完璧に落下地点を予測していたかのように移動を終えている。
そして静かに、真下でこちらを見上げていた。
その兵器は、ただ落ちてくる自分を“待っている”。
鏡花の脳裏に、蜘蛛の巣に落ちる、
痛みか、恐怖か、それともその両方か。
彼女は顔を大きく
そのまま近くの廃墟ビルの窓枠へと、転がり込むように逃げ込んだ。
ビルの中で、音を立てて瓦礫の中に叩きつけられる。
全身に広がる鈍痛。
打撃の衝撃と痛みで意識が遠のきそうになるが、それを奥歯を噛みしめて抗う。
(いたい……いたい……!!!)
鏡花は震える左手と両足を使い、這うようにして窓の外を
レアリスは、先ほどと同じ場所で静かにこちらを見上げていた。
その無感情な瞳は、まるでこう告げているかのようだった。
——どこへ逃げようと、無駄だ。
鏡花は痛みを一瞬忘れ、逃げるように身を引く。
(無理だよ……あんなの……)
痛み、恐怖、絶望が視界を
涙が頬をつたって流れ、瓦礫の
——戦いたくない。
でもそれは、兵器として決して許されない。
あんな化物が、一等星よりも"遥かに弱い"五等星。
その現実に、十二歳の少女の心は崩れかけていた。
そのとき、ふと記憶が甦る。
そこは、エスルームの賑やかな食卓だった。
『鏡花、にんじんもちゃんと食えよ!』と笑うレックス兄。
『無理しなくていいよ』と頭を撫でてくれたセリア姉。
『ならにんじんは、俺のものな』とにんじんをさらうカイ兄。
『鏡花のカレーは本当に美味しい』と微笑むリク兄。
そして——。
『鏡花ちゃんだいすき!』と抱きついてくるエリス。
涙は、まだ止まらない。
けれど、今流れているのは、恐怖の涙ではなかった。
悔しい——。
こんなところで諦めたら。
もう二度とあの温かい場所には、戻れない。
そんな気がした。
鏡花は、左手で涙を拭い、ゆっくりと身体を起こす。
涙でぐしゃぐしゃの顔、赤くなった鼻。
それでも、その瞳の奥には再び小さな炎が灯っていた。
* * *
瓦礫の陰で、鏡花は特殊服から耐熱性の帯を取り出す。
感覚のなくなった右腕を、自身の胴にきつく縛り付けた。
瞳を
恐怖も痛みも、呼吸の奥底に沈めていく。
灯火が浮かび上がる瞳が、もう一度見えた瞬間。
彼女の足元が崩壊する。
床が下のフロアへ、吸い込まれるように崩れ落ちる。
だが、鏡花はそれを“予見”していた。
コンマ数秒早く空中へと身を躍らせていた。
宙に浮かぶ彼女は、紅蓮の炎に包まれる。
そして、包まれた炎を
火炎の
レアリスはそれを意にも介さず、炎の中から無表情で飛び出してきた。
こんな炎で、足止めにならないことなど、鏡花は最初から理解していた。
だからこそ、第二陣を仕込んでいた。
炎の烈波の中に紛れていた四つの
手裏剣のように圧縮した灼熱の熱塊が、レアリスの死角から放たれる。
レアリスは、恐るべき反応速度で、空中に投げ出された身体を捻り、次々と回避する。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ——。
だが、その一瞬すら、鏡花の掌の上。
指先から伸びる四本の
レアリスの身体を通り過ぎる刹那、鏡花の指先を伝う糸が巧みに操られる。
空中で不自然に曲がる熱塊の挙動に、レアリスは即座に異常を察知。
即座にそれに対応して、糸を順に切断していく。
ひとつ、ふたつ——。
しかし、残った二つはレアリスの右腕と太ももを正確に抉る。
ジュウゥッ……! という肉の焼ける音。
悲鳴もあげず、レアリスは抉られている右腕で、太ももに喰い込んだ熱塊を強引に引き剥がす。
それと同時に、彼女の右腕が根元から吹き飛んだ。
(脚を……庇った!? まずい……!)
床に着地した鏡花に向かって、脚が無事なレアリスは一直線に突っ込んできた。
鏡花は、親指につけていた五本目の熱糸を引く。
背後から鉄球のように圧縮された熱球が、レアリスの進路を塞ぐように飛来する。
(これで距離をとれる——)
だが、その“
レアリスは——残った左腕を犠牲にした。
鉄球に正面から突っ込み、左腕を肘上から粉砕されながら真っ直ぐ、こちらに向かってくる。
(っ……!?)
鏡花は咄嗟にレアリスの脚に注視を置く。
右か、左。どちらに飛ぶのかを見定めるように。
レアリスは右脚を軸足に大きく踏み込んできた——。
反射的に軸足の外側、左へ逃げるために能力を使うはずだった。
回避行動を取ろうとした鏡花の左腹部に、凄まじい衝撃が突き刺さる。
「がっ……!?」
血反吐を吐く鏡花の瞳に信じられない光景が映っていた。
(もう……腕が再生したの…………?)
最初に失われたはずのレアリスの右腕——その拳が、鏡花の身体を吹き飛ばし、ビルの壁ごと貫いた。
鏡花は、身体を外へと弾き出された。
その勢いのまま隣にあったビルの壁を更に突き破る。
そして、地上近くの瓦礫の山へと身を放り出される。
弾丸すら弾き返す白の特殊服は、殴打された部分が砕け、血に染まっていた。
血だらけの彼女は全身の感覚を失われ、瞳の色がおちていく。
——満身創痍。
意識が遠のいていく中、鏡花の脳裏に浮かんだのは真っ白の空間だった。
静寂に包まれた白い空間。
その中に現れる兄と姉たちの姿。
誰も、自分が動けないことに気づいていない。
彼らは変わらぬ笑顔で談笑しながら、少しずつ遠のいていく。
——まって……置いていかないで……
声にならないその想い。
彼らの背が離れていくなか、エリスが現れる。
きょろきょろと周囲を見回す小さな少女は、鏡花に気付かずに兄たちの元へ駆け寄っていく。
(あぁ、そっか。私は"こうなってしまう未来"が怖いんだ)
ひとりだけ、エスルームに取り残されること。
それが彼女の“底”にあった本当の恐怖だった——。
「だったらさ……ここで燃え尽きるわけにはいかない……よね」
喉が潰れるほどの衝撃を受けたはずなのに、彼女は言葉を紡いだ。
——息を吸え。
——心の臓を動かせ。
——鼓動を上げろ。
——全てを燃やし尽せ。家族のために。
絶望の底から、最後の炎が燃え上がる。
吹き飛ばされた瓦礫の中から、鏡花は赤と金の火焔に包まれて立ち上がった。
彼女は、炎に包まれた自らの手を見つめる。
さっきまで感覚がなかった右腕が、確かに“動いていた”。
鏡花の全身は、身体と火焔の境界がわからないほど、美しく燃え上がっていた。
そのとき、無傷のレアリスが姿を現す。
ふたりは、その場で静かに睨み合う。
鏡花の瞳から恐れは消えていた。
——先に動いたのはレアリス。
最短距離で駆ける。
鏡花は左手を突き出し、掌から放たれた
レアリスは咄嗟に足を止め、後方へと跳躍する。
これまでとは違う熱量に危機を感じたのだ。
ここで初めて、レアリスが鏡花から距離を取った。
「猶予をくれてありがと、レアリス」
鏡花は右手を天に掲げる。
周囲の熱が一気に収束し、巨大な熱球が練り上げられていく。
(この身体がどれだけ、
一瞬にして熱さられた空気が暴風を生み出す。
瓦礫が舞い、廃墟が
"それ"は彼女がその場で留まるほどの、脅威を感じさせる熱量だった。
レアリスは、次の鏡花がとった動きをみて背を向ける。
——目の前の光景から逃げるように。
鏡花は、大地に熱球を穿とうとしていた。
掲げた右腕を地面に向かって振り下ろす。
「——
その言葉と共に、凝縮された太陽のような熱球が大地へと叩きつけられる。
巨大な炎柱が周囲にあったビルごと飲み込む。
そして、天を突いた。
すべてを溶かし、蒸発させる超高熱の渦。
『警告。ボレアリス制限解除。』
冷たいアナウンスが響くが、咆哮する炎がその音をかき消す。
彼女は、熱を発するのを止めなかった。
辺り一面が、熱で構成された壁のように覆い尽くされている。
確かに当たっていた、逃げ場などない。
(どうして、こんなに頑張ってるのに……どうして……)
——そのときだった。
灼熱で埋め尽くされた“牢”の中から、ぬっ、と腕が突き出される。
その腕は、鉱石のように煌めく青い腕。
「……っ!!!」
青い腕が、高熱の渦の中にいた鏡花の首をいともたやすく掴み上げた。
その瞬間、鏡花の顔から血の気が引いていく。
目を見開きながらも、瞳の奥では確かな“諦め”が揺れていた。
叫び声をあげる猶予すら与えられない。
締め付けられた涙腺が耐えきれず、熱で乾ききった頬に一筋の雫が伝い、蒸発していく。
泣きたくないのに涙が溢れた。
叫びたいのに声が出なかった。
矛盾した感情に突き動かされるまま、彼女はただ、壊れそうな顔で震えていた。
(……私たちナンバーズが、不良品と呼ばれている理由……)
そして、掴まれた首から身体を持ち上げられる。
(——それは、オートマタたちにも、私たちナンバーズと同じく“個体特有の特異能力”があるんだ……)
炎の奔流の中から姿を現したレアリス。
その全身は、美しくも冷たく煌めく青い鉱石で
——もう、目の前の“それ”は、可愛い少女などではなかった。
"守る"ことに特化した完全無欠の兵器。
世界を変えた、戦場の星々。
“オートマタ”——それがレアリスの、真の姿。
静かに、けれど無慈悲に、その美しい鉱石の手が鏡花の首を締め上げる。
熱は跡形もなく霧散し、静寂だけが戦場に残された。
(こんなときですら……無表情、なんだ……)
何の感情も浮かばないその顔が、鏡花の視界に強く焼きつく。
次の瞬間——。
首の骨が折れる、鈍く冷たい音が空間に響いた。
そして、モニターに無慈悲な赤文字が浮かび上がる。
【MISSION FAILED】
崩れ落ちていく世界で、淡々とした電子音声が流れた。
『蟹座部隊。五等星アセルルス・ボレアリスとの仮想訓練を終了します。』
ーーーーーー
現実へ引き戻された瞬間、鏡花は呼吸を忘れていた。
胸が苦しい。
酸素を求めて大きく吸い込むと、喉の奥が燃えたように熱く、息をするのも苦しい。
咳とも嗚咽ともつかない音を漏らしていた。
限界まで使い切った力と、焼き切れた神経の反動。
そのまま、地面に崩れ落ちた。
(どうして、世界はこんなにも残酷なんだろう……)
鏡花の意識が沈む。
彼女は、そのまま医療室へと搬送された——。
………
誰もいない封鎖された記憶の箱庭で、機械のアナウンスが流れる。
『S03-1 強化プロセス。一段階目完了。二段階目に移行します。』
【E-qual-S03-1 第二段階進捗率 1%】
真っ暗な空間に、その文字だけが冷たく浮かび上がっていた——。
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