第9話 空と地「星の名」

 なぜ、私たちは空を見上げるのでしょうか。


 終わりのない宇宙のなかで、私たちはいつだって星に惹かれていた。


 スペクトル天文学では、星は熱と光、そして輝きによって分類される。


 その尺度は——「等級」と呼ばれていた。


 ……それは、まだ私たちが“空”に希望を託していた時代のこと。

 光に意味を求め、輝きに名前を与え——そのひとつひとつに祈りのような想いを重ねていた。


 小さな私は、兄さんや姉さんたちと一緒にこの空間で造られた星空をよく見上げていた。


 ——だけど今、私たちの世界にある“星”はそれとは違う。


 地球は戦火の渦によって大地が荒れた。

 夜空の星々を覆い隠すように、大気は濁りきっている。


 そして、その戦火の中にはいつだって“彼ら”がいた。

 恐れられるほどに強く、圧倒的な力を持つ、星の名を冠した化け物たちが。


 ——彼らはもう空になどいない。

 地に堕ちて、私たちの世界にいる。


* * *


 時刻は早朝4時を回った頃。

 鏡花はリアルリンクを切ったあと、記憶の箱庭に残っていた。


 天井にはかつての地球で見ることができていた満天の星空が広がっている。


 鏡花は、星々の下で芝のような斜面に寝転がっていた。

 夜空を眺めながら、ふと昔を思い出す——



「リク、あの光ってんのなんだ?」


「星だよ。遠い遠い宇宙にある、光のかけらみたいなもの」


「……星? 俺たちが戦う“あいつら”のことか?」


「違うよ。僕らが戦うのは、“オートマタ”って呼ばれる兵器たち。

 でもね、あいつらの名前は、この光——“星の名前”から取られてるんだ」


「へぇ……空にあるこの光の名前が、あいつらには付けられてたのか」


「うん、本当の星って——きれいで、静かで、ただ空にあるだけのものなんだ。

 だからこそ、それをみんなには知ってて欲しい」


 彼らは静かな空間で寝そべりながら、空に浮かぶ光に魅入られていた。

 褐色肌の少年が、不意に声を上げる。


「じゃあ、あいつらのオリオン座部隊とかケンタウロス座部隊ってのも星から来てるのか?」


「うん。昔の人たちは、星と星を線でつないで夜空に“絵”を描いたんだ。

 それが“星座”って呼ばれていて、今もそれがオートマタたちの部隊名に使われているんだ」


 その言葉に、子供たちの目がぱっと輝く。

 鏡花のすぐ近くにいた、黒髪の少女がみんなの胸にあった疑問を言葉にする。


「空に絵があるの……?」


 その一言で、子供たちは視線をリクに向ける。

 彼は、その視線を真っ直ぐ受け止め、やさしく微笑んだ。

 そして空に向かって、ゆっくりと語りかけるように声をかけた。


「アイ。この研究所がある座標から見えていた冬の夜空を出して。

 それと、星を線で繋いで星座を描いてほしい」


 リクの声に応じて、天井の夜空がゆっくりと回転を始めた。

 星々の光が、その動きに合わせて細く長い軌跡を描く。

 まるで、時を越えても消えない流れ星たちが空を横切っているようだった。


 空間は静まり返り、誰もが息を呑むようにしてその軌跡に見入っていた。


 やがて夜空の回転が止まり、光の軌跡は次第に点へと収束していく。

 その瞬間——星々をなぞるように、淡く細い光の線が空に浮かび上がった。


 まるで、見えない誰かの手が夜空に“絵”を描いているかのような——そんな、不思議な瞬間だった。


「……わぁ」


 子供たちの感嘆とともに浮かび上がった星座。

 そこには、“空に描かれた物語”が確かに存在していた。



 金髪の少女が瞳を輝かせ、声を上げる。


「ねぇ、リク! さっき言ってた“オリオン”って、どれ!?」


「ほら、あそこの男の人。ベルトみたいに星が三つ並んでるところが、オリオン座の“腰”なんだ」


 その言葉を合図に、子供たちが我先にとリクのそばに駆け寄る。

 指差す方向をたどろうと、子供たちの頭が次々と彼のまわりに集まる。


「どれだ?」

「おい、レックス邪魔だ退け!」

「お前が退けコラ、カイ」

「二人ともこんな時まで喧嘩しないでよ〜」

「メルクリオ、バカは放っておきなさい」

「リク、見にくいから、アレ落としていい?」

「……モクソン、それはやめておけ」


 リクは子供たちに揉みくちゃにされながら、少し困ったように笑う。


「オリオン座は、二等星以上の明るい星たちが七つあってね。

 胴体の部分、砂時計みたい形をした星たちが主なんだ」


 リクの言葉で子供たちは皆、また夜空へと吸い込まれるように視線を移す。


 オリオン座の"星の名"をひとつひとつ示していく。


「左肩がペテルギウス、右肩がベラトリクス。

 で、腰のベルトがアルニタク、アル二ラム、ミンタカ。

 下に行って、左脚がサイフ、右脚がリゲルだよ」


「げっ……ペテルギウスとリゲルって、“全天二十一”のオートマタ?」


「うん、どっちも“等級”は一等星だね——」


 そのときの私は、セリアお姉ちゃんの膝の上に座っていた。

 みんなが何を話しているのかは、よくわからなかった。

 でも、それでも、笑い声と光に包まれたこの空間が。


 ——私は、たまらなく好きだった。


 あの時間のためならば……。

 どんなことをしてでも、私は“向こう側”に立つ。


 その決意とともに、脳裏に浮かぶのは——

 白い特殊服をまとい、戦場に並び立っていたあの子供たちの姿。


 鏡花は、ゆっくりと立ち上がる。


「オートマタとの模擬戦闘訓練もぎせんとうくんれんを始めたい。項目を出して」


『睡眠不足は頂けません。一度休憩してから、改めて訓練を行うことを推奨します。』


「お願い。一度だけでいい。それが終わったら……ちゃんと寝るから」


『……かしこまりました。では、モニターを展開します』


 鏡花の前に、八十八星座の一覧が浮かび上がる。

 その中から彼女は、迷いなく蟹座の一角を選び取った。


『現在のあなたの能力では、その五等星に勝利することは極めて困難です。

 違う相手に——』


「始めて戦う五等星の相手は、レアリスに決めてるの」


——それは、セリアちゃんが初めて勝てた五等星だから。


『“レアリス”ではなく、ボレアリスです。正式名称:Asellus Borealis《アセルルス・ボレアリス》。視等級4.6、意味は“北のロバ”。四等星に限りなく近いので——』


 音声が言い終える前に、鏡花は静かに戦闘開始のボタンを押した。

 その操作によって、電子音声が中断して切り替わる。


『蟹座部隊、オートマタ五等星アセルルス・ボレアリスとの模擬戦闘訓練が始まります。』


『記憶領域、復元完了──』

『戦術演算起動』

『アセルルス・ボレアリス:対象認証』

『アルゴリズム展開、開始』

『戦闘環境、仮想演算空間にて構築中』


 空間が揺らぎ、天井の星空が一瞬で消え去る。

 星が消えて、汚染された大気がおおう空へ。


 穏やかで心地の良い芝の斜面は、徐々に姿を変えていく。

 その緑は色を失い、崩れたアスファルトと瓦礫の広がる廃墟へと変貌へんぼうしていった。


『制御プロトコル、リンク確認』

『対象との同調率:99.9%』

『戦闘アルゴリズム:アグレッシブモード』

『再現対象:アセルルス・ボレアリス、戦術記憶より顕現けんげん


 やがて、荒廃した廃墟都市で“地に堕ちた星”が現れる。


 鏡花が初めて対峙する五等星オートマタ。


 それは、青い髪を揺らしながらその場で静かに佇んでいた。


 目の前の青髪の少女は、星の名を持つ“化け物”とは思えないほどに、あまりに小さく、あまりにも無垢で可愛らしい姿だった——。

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