第7話 現実と仮想「バーチャル」
『E-qual-S03-1。認証完了。演習空間を封鎖します。』
重厚な扉が、低く唸るような音を残して閉じた。
それと同時に、鏡花の腕からリングが外れる。
「始めて」
闇の中に、一筋の白い線が床を走る。
その軌跡は
空間がまだ完全に塗りつぶされないうちに、彼女は声を落とした。
「S03部隊、その部隊のリアルリンクを出して」
『“
「S03部隊」接続開始。
通信遅延ゼロ。映像、音響、脈拍──すべて実時間で再現されます。
これは“触れることができる記録”ではありません。
——触れることのできない現実です。』
白の世界が、白光のまばゆい残像を残しながら移り変わっていく。
——無音。
次の瞬間、背後で爆発音が炸裂した。
轟音と共に、瓦礫が跳ね、空気が震え、大地が
鏡花の心臓が反射的に跳ね上がる。
咄嗟に身を
そして一拍置いて、自分の行動に気づく。
……なにやってるんだろ、私。
部屋で枕を投げたときは、現実から仮想へ。
今は、自分自身が“現実”にとって"仮想"の存在だった。
鏡花は静かに立ち上がり、息を潜めながら周囲を観察する。
銃声が響き、空では撃ち落とされたミサイルが火花を散らして爆ぜていた。
原型もなく崩壊している建物。
必要以上に散乱した瓦礫。
壁に深く刻まれた巨大な切り傷。
押し潰されて原形を留めていない車。
無残に
ここに残された爪痕すべてが、彼らの“能力”の
鏡花は、それを理解している。
歩き出した、鏡花の周りには誰もいなかった。
——いや、実際には「いた」。
何人もの武装兵が動かぬまま、地に伏していた。
そのあまりに静かな惨状のなか、彼女は足を止めない。
鏡花は、足元を爆発させて推進力を得て、その場から逃げるように離れた。
——早く、みんなを探さなきゃ。
空中で爆散するミサイルの軌道を目印に、おおよその位置を絞って真っ直ぐに走っていく。
滑走しながら、音声モニターに呼びかけた。
「みんなどこにいるかわかる?」
『現在、各個体は散開中です』
「うーん……じゃあ、一番近くにいる人に案内して。急いでるからカーナビってやつできる? 昔、そんな機械があったってリクお兄ちゃんがいってた。目的地まで連れてってくれる便利なやつ」
『カーナビ? ですか……。了解しました。
目的地を“リクお兄ちゃん”に設定しました。音声案内を開始します。
逆走の恐れがあります、進行方向をご確認ください。』
鏡花は、その場で爆炎を
『目的地“リクお兄ちゃん”まで、残り約2キロメートルです。音声案内を再開します。
この先、時速50キロの制限道路となっておりますので、スピードの出しすぎにご注意ください。
——200メートル先、信号を右方向です。』
彼女は身体に
そして、眉間に
「ねぇ、みんなが戦争中に、何をふざけてるの……?」
『……………。』
返答はない。
ただ、どこか気まずそうな沈黙だけが返ってきた。
鏡花はため息をひとつ吐く。
「もう、普通にやって」
そう呟くやいなや、何かに気付いた彼女は表情を、一変させる。
その場から、熱の残像を残して消えるように駆け出した。
鏡花はトップスピードで駆け出し、音声モニターに向かって焦りを隠さず声をかける。
「最短、最速ルートで案内をお願い!」
『了解。正面のビルの壁に向かって、ずっと直進です。』
この空間はバーチャルとはいえ、物体をすり抜ける感覚には強い違和感がある。
鏡花はそれを避けるように目を閉じ、音も風も振り切る勢いで突き進んでいった。
『五秒後、停止してください。』
指示通りに能力を解除し、さらにブレーキ用の能力を発動する。
だが、勢いは殺しきれず、地面に転げるように倒れ込んだ。
痛みが身体を駆け、能力による反動が肺を焼くように重くのしかかった。
だが、鏡花は肩で息をしながらすぐに立ち上がる。
その視線の先。
白の特殊服に身を包み、黒髪を揺らす少年がそこにいた。
彼は、この戦場を一人で歩いていた——。
「リク兄……? なんで、こんなところに一人で……!」
現実と仮想の境界が曖昧になり、思わず声がこぼれる。
勿論、その言葉に返事はなかった。
鏡花は一瞬、暗い表情を落とし、リクの姿を見守るように視線を向ける。
彼は足を少し引きずっていた。
その姿は、痛々しくも、あまりにも無防備だった。
足怪我してる? いや、それより……。
「ねぇ、アイに報告して。リク兄が……一人で戦場にいるって」
鏡花は知っていた。
この戦場において、あの黒髪の少年はひとりでは“生きていけない”ことを。
彼は、能力者として戦うには——自分よりも、ずっと非力な存在だった。
『メインAIはこの行動を把握しています。
知らないのは、あなたとあなたの家族だけです』
「知ってて……なんで止めないの……?」
『止める? 本人が立案した作戦です。
多少の無理をしなければ、戦況は動きませんからね』
——リク兄は、いつもそうだ。
自ら囮になって、相手の作戦を調べる。
今回も、自分を犠牲に索敵できない敵を炙り出そうとしてるんだ。
あの人はいつも誰かのために、自分を簡単に投げ出す………。
『それに、近くには戦神であるS4がいます。
もしたとえ、彼を守れなくて命を落としたとしても——』
「痛みは、残るんだよ……!」
鏡花の声が震えた。
それは、怒鳴りでも泣き声でもない。
ただ、ひとつの“真実”を突きつける言葉だった。
「訓練空間と同じで、たとえ傷が残らなくても……その痛みだけは、消えないんだ……」
AIがそんな当たり前のことを知らないはずがない。
けれど、その後に続くはずの言葉はなかった。
鏡花も、それ以上は問わなかった。
ただ、目の前にいる少年の背中を見つめ、静かに歩き出す。
どこまでも無防備なその背中に、そっと追いつくために——。
* * *
銃声と爆発音が遠くで飛び交う中、黒髪の少年は瓦礫を踏みしめながら、朽ちた建物の中へと入っていく。
その奥、剥がれた壁際に小さな女の子がひとり膝を抱えて座っていた。
肩を震わせながら声にならない
入り口の足音に気づき、女の子は怯えたように顔を上げた。
その瞳に映った影を見て、こわばった表情がほんの少しだけ緩む。
黒髪の少年――リクは、驚かせぬように距離を保ちながら低く静かな声で言った。
「そっちに、行ってもいいかな?」
女の子は、一瞬ためらってから、小さく頷いた。
リクはそっと近づき、しゃがみ込んで彼女の頭を撫でる。
その手には、誰にも奪えない静けさが宿っていた。
まるで嵐の中に差し込んだ一条の光のように。
「もう、大丈夫だよ」
誰もが知っている。
彼は戦う力を持たない。
直接的な戦闘という意味では
誰よりも無力だった。けれど——。
──戦場に立つ彼は、誰よりも優しかった。
少し離れた場所からその光景を見つめながら、記憶の底に沈んでいた光が、脳裏によみがえる。
泣いていた幼い自分。
そっと寄り添い、頭を撫でてくれたあの手の温もり。
いま、目の前に広がるのは、あのときとまったく同じ光景。
リク兄は、どんな場所にいようと本当にかわらないんだなぁ……。
胸の奥がきゅっと締めつけられ、呼吸が浅くなる。
目の奥がじんと熱くなり、唇をかみしめた。
……私たち“ナンバーズ”は、戦争に巻き込まれた人たちを救うために戦ってる。
だから、いつまでも泣いてちゃダメなんだ。
あのとき助けられた少女は、今この瞬間、助ける側の道を見つけようとしている。
かつての自分が、いまの自分を見上げるように。
──そして未来の自分が、彼の背中に重なってゆく。
涙になりかけた想いが、目のふちでじっと踏みとどまる。
鏡花は視線を逸らさず、その瞬間を焼きつけた。
過去と未来のはざまで、自分の“在るべき姿”を確かめてるように。
鏡花の視線の先、女の子が少し落ち着いたのをみて、リクが優しく声をかけた。
「今からお外に向かうんだ。いけるかな?」
「お外に……?」
少女はわずかに首を振り、目を伏せながら
「おそと……こわい」
その言葉に、リクは一瞬だけ視線を落とした。
瞳の奥に浮かぶのは、わずかな
「外はこわいよね、僕も……実は戦うのがすごく苦手なんだ。
だから、君を抱えて空を飛んだり、悪い奴らをやっつけたり、そういうカッコいいことはできないかもしれない」
彼は、どこか寂しげに、けれど柔らかな笑みを浮かべた。
その笑顔が、鏡花にはひどく痛々しく映る。
「きっと……この死を振り撒く戦場から、君を救い出すことを、僕一人ではできない」
握られた拳に、悔しさがにじむ。
「でもね、そんな僕のことを必死に守ろうとしてくれる仲間たちがいるんだ。
彼らは、今この場所で、君たちを助けるためにこの戦場に来てる。」
黒い瞳の奥にあったのは、こらえきれない悔しさと、それでも——誰かを信じようとする強さだった。
「傷ついて、泣いて、ボロボロになってでも……その人たちは必ず、僕らのところに駆けつけてくれる——それが僕の、大切な家族。彼らは、ヒーローみたいな人たちなんだ」
彼の顔には、澄んだ光と共に、深い影が差していた。
必死に作った笑みは口元だけで、ぎゅっと握りしめた拳がかすかに震えている。
渦巻く悔しさも、頼るしかない怒りも、その姿が言葉よりも
この場所で、一人では生きていけない。
そんな彼に——家族を頼らないという選択肢は存在していなかった。
リクの心の深淵に、初めて触れた鏡花の胸に小さな光がふっと
その
リクをまっすぐに見据えて、心の中で彼女は強く誓う。
——私が、この人を絶対に守るんだ。
たとえ、相手がどんな
沈黙のあと、リクはそっと言葉を継いだ。
「だから、大丈夫。君はちゃんと助かるよ。……信じて。僕と僕の家族たちを」
少女は、リクの顔をじっと覗き込む。
不安の
それでも、静かに——頷いた。
リクはその小さな体を抱き上げ、不安げな彼女に
「……たとえ、何度、世界に抗ってでも——必ず、君を助けるからね」
少女を胸に抱え、庇うように足を引きずりながら、不器用な足取りでリクは出口へと向かっていく。
そこに立っていた鏡花は、黙って一歩退いた。
通路を開けるように、静かに身を部屋の外へと引く。
こちらに向かって歩いてくる彼にそっと視線を落とす。
女の子を抱きかかえるリクの姿は、どこまでも脆くて——どこまでも優しい覚悟を背負っていた。
鏡花は、ほんの少しだけ唇を緩めた。
それは微笑みとは違う。
けれど確かに、心からの何かだった。
この時間が壊れないことを願がうかのような、そんな表情を浮かべていた。
——こんな人だから、皆が信じるんだ。
次の瞬間だった。
背を向けた鏡花の直感が鋭く
瞬時に周りを見渡す。
そこには、いつの間にか現れた無数の兵士たち。
——百を超える影が、周囲を取り囲んでいた。
……この子を囮にしたの!?
一瞬で状況を理解した鏡花は、まだ何も知らず歩いてくるリクに片腕を伸ばす。
「リクお兄ちゃんっ!! きてはダメ!!」
その叫びと、ほぼ同時に鏡花の背後で低い発射音が響く。
RPGのような武器の先端が閃き、小型ミサイルが空を裂いて放たれた。
鏡花はその音と共に一瞬で表情を切り替える。
爆発から得る推進力で、射線状に身を滑らせる。
そして、叫ぶように限界以上の演算処理を脳内に走らせた。
「私が——守るんだぁああああああ!!」
祈りにも似た絶叫に呼応するように、地面から炎の壁が噴き上がる。
ミサイルの軌道を塞ぐように火焔が防壁を描いてゆく。
小型ミサイルが通過する軌道に、防壁が重なった。
地面から立ち上る炎の壁とミサイルがぶつかる。
筈だった——ここが仮想ではなく現実であれば。
ミサイルは、彼女の身体をすり抜けるように通過し、先ほどまでリクたちがいた地点に着弾した。
激しい爆音。揺れる大地。
その衝撃で巻き上がった瓦礫や粉塵は空を覆い、視界を奪っていく。
質量と質量がぶつかり合った余波が、まるで暴風のように周囲を叩きつけていた。
爆音が
足も手も、ただ震えていた。
今の私ではなにもできない。
誰かを守ることも——。
それでも、彼女は声を張り上げる、声にならない叫びを。
その叫びは轟音にかき消され、喉は震えているのに誰にも届くことは無い。
世界が、それを拒むかのように無音の叫びとなっていた。
それでも、彼女は震える足で、前をむく。
——彼らなら。
そんな願いを胸に、見えない道を突き進んでいく。
そして、その先で彼女は目を見開いた。
白い特殊スーツを着た少年が、少女を庇うように覆いかぶさっているのが見えたからだ。
違和感を覚えた彼女は、辺りを見渡す。
眩しいほどに白く、鮮明な視界。
……外の瓦礫と爆煙は、どこにもなかった。
鏡花の視界に広がるのは、白いドーム状の内壁、静かな照明が優しく中を照らしている空間だった。
ここは……小型……核シェルター内部……?
思い至った瞬間、鏡花は腰を抜かしその場に崩れ落ちる。
……流石だよ……アレス兄さん。
そこには、先ほどまでなかった半球状の装置があった。
ポッドのような核シェルターが、リクと少女を包むように設置されていた。
「……よかった」
声にならない吐息のような声が、静かに漏れた。
次の瞬間、どうしようもなく涙があふれた。
「本当によかった……でも、どうして……」
鏡花は顔を両手で
「どうしてこんなにも……悲しいのかなぁ……?」
その空間には、泣きじゃくる彼女を慰める声も、手もなかった——。
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