若き王 アルフとの記憶
帝国の誇る皇城はその日、静けさに満ちていた。
豪華絢爛な城に立て篭もるのは皇族と、彼らを支持する一部の特権階級者だけ。対する民衆の側は巻き添えを避けるため、ひとり残らず国の外へと逃げ出していた。
「グラトニー」
城の門前でたたずむグラトニーに声をかけたのは、ひとりの青年だった。
「アルフ。いや、アルフ王と呼んだほうが良いか?」
振り向いたグラトニーが冗談めかして言うのに、青年アルフはケラケラと笑う。
「やめてくれよ。俺がただの人間だって知ってるだろ」
「そうだな。魔人を恐れず対話を試みた、勇気ある人間だ」
「運がよかっただけだよ」
運が良いだけで年若い青年が民心を集め、誰もが恐れた帝国に反抗する気にさせられるだろうか。多くの味方を得て、新たなる国を作り上げようと奮い立たせられるだろうか。そして、帝国に生み出された最凶の兵器と呼ばれる魔人までも協力者にできるだろうか。
運もあるのだろう。鬱憤の溜まった人びとが立ち上がり、帝国の道具であることに嫌気の刺した魔人たちと彼の思惑が一致した。けれど、それだけではない。
この困ったように笑う青年の人柄がそうさせるのだろう。彼が彼であったから、成し得たことなのだろうとグラトニーは凪いだ気持ちで前を向く。
「いよいよだな」
不意に、城壁の向こうでどよめきが上がった。内部に侵入した魔人が動き始めたのだろう。事前の取り決め通りであれば、もうじき自分の出番だとグラトニーは一歩前に踏み出した。
その背を見つめてアルフはすがるようにつぶやく。
「……これが済んだら」
立ち止まったグラトニーに、アルフは希望をにじませる。
「これが済んだら、いっしょに」
「済んだら、約束通り俺を封印してくれ」
アルフの声をさえぎったグラトニーは振り向かずに続けた。
「今日、皇族以外の連中を喰い終えたらもう、何も喰わなくて良いように」
静かな声は祈りのようで。願いを口にできなくなったアルフはきつく拳を握りしめ、うつむいたまま声を絞り出す。
「…………やっぱり、他の魔人の力じゃ駄目なのか。火を操る魔人がすべて焼き払うとか」
諦めの悪い若き王の言葉に、グラトニーは振り向いて静かに諭す。
「何度も話し合っただろう。火は人間でも扱える。魔人が帝国を見捨てたという、明確な証拠が必要なんだ。城に喰らいついた痕を残すのなんて、人間には無理だろう」
「でも……でも、そのためにグラトニーが無理をするなんて、やっぱり間違ってる」
拳を握り、駄々をこねるように繰り返されてもグラトニーが苛立つことはない。むしろ、魔人のために心を砕いてくれるその姿に嬉しさすら感じながら首を横に振る。
「いいや、間違いなんかじゃない」
「でも!」
「俺が人を喰うのなんて今さらだ」
グラトニーが告げれば、アルフは傷ついたように眉を寄せた。どうしてお前が悲しむんだ、とおかしな気持ちでグラトニーの口角はやんわりと持ち上がる。
「皇族の言うままに何人も喰ってきた。その数が今さらもう何人か増えたところで、俺の罪に変わりは無い。むしろ、今日を最後に喰わなくて良くなるなら喜んで喰うさ」
反乱軍と魔人と、そういう約束が結ばれていた。魔人が誰かに頼まれて権能を使うのは今日が最後。以降は、魔人自身が望まない限り権能を発現する必要はない。
魔人はアルフの願いを聞く。代わりにアルフは魔人の願いを聞く。それが次代の人の王と魔人との間に交わされた契約だった。
皇族の周囲を守る者たちを喰らう役割を請け負ったグラトニーは、人の王に自らの死を願った。あまりにも多くを喰ってきた己の命の終わりを。
けれど死は与えられないとアルフが答え、魔人としての終わりならば許容できると告げられたグラトニーは、人を喰えなくなる呪いを施した首輪を欲し、己の身の封印を願ったのだった。
もう誰も喰いたくない。
帝国に縛られ道具として多くの国を、多くの人々を喰らってきた魔人の願いは揺るぎないものとなっていた。
優しい魔人の抱く深い悲しみが想像できるからこそ、民に慕われた若き王はかける言葉を見つけられなかった。
「……グラトニー」
「アルフ、剣を持て」
途方に暮れたようなその声を断ち切るように、グラトニーは前を向く。
「魔人が、俺たちが最後の包囲網を破るから、お前は皇帝を討て。帝国を討ち滅ぼして、明るい国を作ってくれ。もう二度と、魔人が作られることのない国を」
グラトニーの願う人々の未来に、彼自身の姿はない。けれどもその未来を願うグラトニーの声は明るかった。
しばしの沈黙を挟み、それに応えたアルフの声もまた――。
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