八、不死鳥は踊り食いで

 想像の範疇を越える事象を前にしたとき人が捕る行動はいくつかあるが、シキとイーダは思考が停止するタイプだったらしい。


「……でっかいなあ。魔核も大きかったら持って帰るのどうしよう」

「……大きいですねえ。食べきれなかったらどうしましょう」


 己の根源的な欲がそれぞれの口からこぼれているのは、自己防衛のためか。

 ふたりが現実を直視したくない思いにかられるのも仕方のないことだと思えるほどに不死鳥は大きく、その身が放つ熱気はすさまじかった。

 山頂付近。あまりの熱気に大気が揺らぎ、岩だらけの景色はこの世の地獄めいている。未だ噴火していない火山に代わり、火口にうずくまった不死鳥の身体が時おり炎を噴き上げる。

 いや、炎などと生易しいものではない。燃える翼の一片が撫でた山の岩肌は、口に含んだ冷菓のごとくとろりと溶けて流れ落ちる。


「お前ら、しっかりしろ。岩が流れて来るぞ」


 小声で言ったグラトニーは、ふたりの襟首をつかんで別の岩陰に転がり込んだ。そのすぐそばを冷菓のように甘くはない灼熱の溶岩が、三人の産毛を焼きながら山肌を焦がして流れ落ちていく。


「ふおぉ、想像以上の灼熱ですぅ。これじゃあお肉がこんがり焼けすぎちゃいます」

「一瞬、防げたところでそこで手詰まりになるね。こんな魔具程度でいけると思ったのは、甘かったかぁ」


 諦めまじりにつぶやいて、そろりそろりと後退するふたりの背中が何かにぶつかった。


「喰うぞ」


 後退するふたりとは正反対に立ち止まったグラトニーが低く宣言する。


「喰うって……お兄さん、あの熱平気なの?」


 わずかな期待を込めたシキの問いに、グラトニーはあっさりと首を横に振った。


「無理だな。俺が特別製なのは腹のなかだけだ。多少死ににくいだけで、身体は人間のつくりと大差ない」

「だったら逃げなきゃ!」

「逃げて、どうする。一度の噴火ならお前が残してきた魔具で港町は守られるかもしれない。だが、不死鳥がこの山に居ついたら? あの腹のしたの卵が孵ったらどうなる。親だけでも島周辺まで熱くなっているんだぞ。二匹に増えた場合、どんな被害が出るかわかったものじゃない、今が人の身で近づける最後のチャンスだと思ったからこそ、お前も出発を決めたんじゃないのか」


 シキはぐ、と言葉に詰まった。

 うずくまる巨鳥の羽根の合間に、太陽のごとき光を閉じ込めた球体を彼も目にしていた。不死鳥が火山島を巣に選んだのは、卵に与える熱源を求めてのことだろう。不死鳥自身の身体で熱し、地中からの熱を与え、それでも未だ孵らぬ卵のために灼熱のマグマが噴きだすのは、そう遠い未来ではないとシキの知識が訴えていた。


「それは、でも……」


 冷静に言ってのけるグラトニーにシキは反論ができない。はじめは燃える鳥のうわさを聞き、貴重な魔核欲しさに港町に居ついた彼だった。

 けれど予想外の港町の居心地の良さに、町を守りたいという気持ちが強くなっていった。町を守る魔具を作り、炎を防ぐ魔具を作ってはみたものの攻撃の手段はない。何とか手だてはないものかと苦悩していたところへ伝説の魔人が現れたのは、天の采配に違いないと喜び勇んで島にやってきた。

 けれど。


「でも、だからって、お兄さんを犠牲にするなんて……」


 出会ってから交わした言葉は多くない。けれどシキは魔人にも確かに人格があり、生きていることを知ってしまった。そのうえで彼を死に向かわせるなど、できなかった。

 グラトニーを死なせたくない。かといって町を救うための妙案も浮かばない。無力感にうつむいたシキの隣で、身じろいだのはイーダだ。


「どれくらい近づけば、暴食の力を使えます?」


 熱気に汗を流し前を向く彼女の瞳は、不死鳥の炎を映しながらも自身の意思の光に輝いている。そこに、さっきまであったはずの諦観は見当たらない。


「喰いつくにはそうだな、腕が届く距離にはいたいところだが」


 一度、言葉を切ったグラトニーはイーダの目を見ながら続けた。


「恐らく、近くを通過するだけでも身が焼けるぞ。相手を見て時には逃げるのも、生き物として正しい選択だ。俺が喰えるだけ喰って魔物の身を削いでいる間に浮揚板で島を出ろ。そして王に報告するんだ。金に物を言わせて何かしらの手を打つだろう」

「やです」


 明解なイーダの返事に、グラトニーが眉を寄せる。


「同情心で命を危険にさらすな」

「だってグラトニーさん、喰うって言ったじゃないですか」


 場にそぐわぬ明るさでイーダがにひ、と歯を見せて笑った。


「わたしにとって生きることは食べることです。危険だからって食べる(いきる)のをやめろなんて、あり得ないです! 独り占めはさせませんよ!」


 笑顔のなか、ぎらりと輝いたイーダの瞳の貪欲さにグラトニーの口角がうっかり持ち上がる。


「は! 良いだろう。それだけ食に貪欲なら、生にも食らいついてみせろ」

「オッケーです! 顎の強さには自信がありますよ!」


 意気揚々と不死鳥に向かって行こうとするふたりを呆然と見ていたシキは、はっとして声をあげた。


「待って! これ、持って行って」


 ポケットを探り、取りだしたのは炎を防ぐ魔具だ。手甲めいた形状で、手の甲部分に青色や緑色をした複数の魔核が嵌っている。


「まだまだ完璧じゃないけど、数秒なら炎を防げるよ。手のひら側で一定以上の熱を感知したら発動して、炎を防ぐ防護壁を貼ってくれる。発動から数秒で効果は切れるけど、熱源があれば魔核が砕けるまでは防護壁が再展開されるから」

「おお、これなら接近途中で気づかれてもだいじょぶですね!」


 イーダは受け取り、さっそく右手にはめた。

 にぎにぎと指を動かして装着具合を確かめるイーダの隣で、グラトニーがシキを見やる。


「助かるが、お前はどうする。俺たちが反対側に回り込んでいる隙に山を駆け下りられるか?」


 問いかけながらもグラトニーの視線は不安げだ。なぜならシキの脚は慣れない登山でよろけている。室内作業が主な学者のなけなしの体力は、いかだ漕ぎと山登りでもはや底を尽く寸前だと見てとれた。

 けれどシキはにっと口角を上げて、疲れた顔で笑ってみせる。


「僕は魔具の研究をしてるんだよ? 渡した魔具以外にも風を起こす魔具や、水の被膜を作る魔具で自分の身くらい守って見せるし、何なら援護だってするよ。それに、いざとなったらこの魔具で土に穴をあけて、もぐらみたいに隠れてやり過ごしてみせるさ」


 ふくらんだポケットのあちこちから様々な魔具を取り出して披露するシキの指は震えていた。熱気に汗をかきながらも青ざめた顔で、それでもこの場に留まると言い張る彼に、グラトニーは呆れながらも笑みをこぼす。


「魔核は喰い残せるよう、努力してやる」

「あ! 本体も残してくださいよ! わたしのごはんっ」


 言って、イーダは額のゴーグルを下ろし浮揚板を起動させる。グラトニーが後ろに乗ったのを確認するや否や、彼女は板の後方を思い切り踏み抜いて叫ぶ。


「全速ぜんしーん!」

「ちょ、まて、速いっ」


 発進と同時に最高速度をぶちかまして岩陰を飛び出したふたりは、ほぼ垂直に山の頂上のはるか上へと駆け上る。

 不死鳥が不審な叫び声に顔を向けたとき、そこにはすでに誰の姿もない。シキは浮揚板の全力噴出に吹き飛ばされて転げ、岩の影に落ちていた。

 ふたりを乗せた浮揚板は空の高みへと飛び上がり、中天に達した太陽を背にして急降下。うなる風の音を耳に聞きながら、グラトニーは吹きつける風のあまりの強さに目を開けられずにいた。


「接敵まで五秒! 四、三、二、旋回しますっ」


 ごうごうと鳴る風のなかに聞いたイーダの声を合図に、グラトニーは浮揚板から飛び降りた。

 一瞬の浮遊感。

 目をあけたグラトニーと、うずくまる不死鳥の視線が絡まった。

 宝石をはめ込んだような深紅の瞳が大きく見開かれ、かすかに開かれた長い嘴から炎がこぼれる。


「フィイイイイイイイイイイッ!」


 甲高い鳴き声とともに熱風がグラトニーの肌を焼く。けれどそれで立ち止まる魔人ではない。というよりも、空中に放り出された身では止まりようがない。


「『暴食』!!」


 着地を待たず発動した権能が、威嚇のために広げられた不死鳥の右翼を捉えた。常人よりやや頑丈なだけの口端が炎に舐められじりりと焼け焦げる。そんな感覚には構わず、グラトニーは忌々しい腹の空虚に灼熱を喰わせた。ずるりと音を立てそうなほど多量の炎が、グラトニーの腹を内側から焼く。


「フィイイッ!」


 巨躯から放たれるけたたましい鳴き声は、身体を形成する炎を喰われる不快を表していた。

 魔物の感情と連動しているのか、その体躯を構成する炎が勢いを増し宙を舐める。いくら暴食の魔人と言えど、己の数倍もある相手を瞬く間にひと呑みとはいかない。

 右翼を腹に収めつつあったグラトニーは、その身に迫る炎に気がついていながら逃げるそぶりも見せなかった。少しでも多く敵を喰らい、島についてきたふたりの人間の生存確率を少しでも上げるべく、ひたすらに不死鳥の翼を腹に収めていく。

 けれど喰らう速度より羽ばたきのほうがよほど速い。

 熱風と共に叩きつけられる不死鳥の炎にグラトニーが飲み込まれる寸前、飛来したイーダが魔人の身体を掴んで飛び去る。


「フィィィッ」 


 不死鳥の怒気を孕んだ声に応え、追い縋るように伸びた炎が浮揚板の末端を焦がす。


「おい!」


 浮揚板の限界を試すような速度を出していても、包み込むような炎の壁からは逃れようがない。後方から迫る右翼は喰われて形を成していないが、前方から迫る左翼を避けるには、積荷を減らして彼女ひとりで今からでも真上に飛ぶほかない。

 そうと知って腹に回った腕から逃れようとするグラトニーをよそに、イーダは地面と平行に飛びながら空いた右手を不死鳥の翼にかざした。


「防護壁展開です!」


 彼女の叫びを待っていたかのように、その手の甲の魔核が一斉に光りをにじませる。キン、と澄んだ音を立てて形成された透明な壁が、迫る炎を退ける。


「一、二、三秒っ」


 右手を突き出したイーダが三つ数えると同時、透明な壁がパキンと割れた。砕けた破片は宙にかき消え、しかしその時にはふたりを乗せた浮揚板は、炎の及ぶ範疇を駆け抜けていた。


「間いっぱーつです!」


 彼女が誇らしげに胸を張った拍子に浮揚板が速度を落とす。


「気を緩めるな、火に呑まれるぞ!」


 背後に迫る炎の余波を見てとってグラトニーが叫ぶけれど、急加速するのに二人乗りは向いていない。


「あわっ、やば!」

「ちっ」


 自分が飛び降りるほかない、とグラトニーの脚に力が込められた時。


「そーれ!」


 気の抜ける声がして、不死鳥の翼に覆われたイーダとグラトニーの視界に小さな丸い球が映り込む。

 球体にはめ込まれた青い魔核が煌めいた、一瞬のち。

 小さな球が四方八方に水を噴き出した。不死鳥の翼に触れた途端にジュウッと鳴って消える様はまさに焼石に水。グラトニーたちに迫る脅威は微塵も変わらない。

 けれど続いて投げられた球のひとつが、不死鳥の腹のあたりに飛んだ。

 噴き出した水が降りかかる先は、身を起こした不死鳥の腹の下。大切に温められてきた卵があった。親鳥の熱気で大半が蒸発するなか、卵に届いた水はほんのわずか。

 けれど変化は劇的だった。

 ジュ、とかすかな音を立て水と触れた卵の表面が黒ずんだ。

 白んで見えるほどの灼熱に包まれた太陽に揺らぐ黒い点のように、光でできたかのような卵にできた黒いしみ。

 それを認めた途端、不死鳥の動きが停止した。


「全速ぜんしーーーーん!」


 今が好機とばかりにイーダが浮揚板を急発進させる。グラトニーは煮える足場に落ちることもあるまいと、慌ててイーダの腰につかまった。

 無事、火口から距離を稼いだふたりを確かめて、シキは岩場の向こうに隠れて移動する。その直後。


「フィイイ……フィイイイイイイイイイィィィィッ!」


 絶叫と共に不死鳥の身体が爆発した。爆発したと錯覚するほどの勢いで炎を噴き上げた。


「わわ、わ! 防御壁展開っ」


 慌てて方向転換したイーダが襲いくる炎に手のひらを向ける。イーダとグラトニーからやや離れた岩場の向こうでもパキンと冷えた音が鳴ったところを見るに、シキもまた魔具で炎から身を守っているらしい。

 吹き荒れる炎に呑まれる。

 防護壁に守られてはいても間近に迫る炎の脅威に、イーダの身体は勝手に震えて息を飲む。けれど吸い込んだ大気は熱されて、のどを焼くと本能的に感じ取った彼女は呼吸を止めた。

 時間にして三秒。防護壁が崩れるのとふたりを乗せた浮揚板が灼熱のカーテンを潜り抜けるのは同時。


「げほっ」


 熱風を逃れて生ぬるい空気を吸い込んだイーダの後ろで、グラトニーが咳き込んだ。


「グラトニーさん、燃えちゃったんです!?」

「燃えてない。炎を喰ってすこし喉が焼けただけだ」

「ですか。気を付けてくださいね、わたし肉の焼き加減にはうるさいので!」


 冗談とも本気とも聞こえない軽口を叩きつつ旋回すると、卵を包み込むように翼を撓めた不死鳥の姿があった。深くうつむくように長い首を折り、抱いた卵を見つめる瞳には慈しむような光が宿っている。

 けれどイーダとグラトニーの関心は、親鳥の慈愛になど向く暇がない。


「ありゃー。さっき食べた翼、復活してますね? すごいなあ、食べても無くならないお肉です」

「熱源があれば復活する、のか? まずいな、ここで戦って勝てる相手じゃない」


 山頂を旋回しながら状況を確認していたふたりは、不死鳥の目の色が変わったことに気が付いて身構えた。

 熱せられた卵の表面に残る黒い染みのような色を目にして、不死鳥の瞳からは怒気がほとばしる。そしてそれをぶつける相手は当然、グラトニーたちだ。


「フィイイッ」


 鋭い鳴き声と共に、不死鳥が巨大な翼を広げて飛び上がる。卵を守らねばという本能よりも、敵への怒りが勝ったのだろう。

 一直線に向かってくる不死鳥を見てグラトニーは口の端を吊り上げた。


「向こうから来てくれるとはありがたい。イーダ、海に出ろ!」

「お安い御用です! ちょうど涼みたいところだったんですー!」


 言うが早いか、イーダは旋回をやめて山肌を駆け下りる。下りのためただでさえスピードが出やすいというのに、イーダが容赦なく浮揚板を力強く踏み込むせいで加速が止まらない。こんな状況でなければ飛び降りて逃れているほどの速度だ、とグラトニーは密に肝を冷やす。

 怒れる魔鳥に勝るとも劣らない速度で下山を果たした浮揚板は、降りて来た勢いそのままに海上を沖へと向けて滑空する。

 波を後方へと吹き上げながら、浮揚板が海上を進む。揺れがひどいのは不安定な波の上で平行を保てないためだ。


「間もなく、落ちます。これ以上は、もうっ」


 必死に操縦するイーダの悲鳴じみた声を最後に、浮揚板は完全に均衡を崩し、限界以上の速度を出したまま波にぶつかった板は砕けて散った。乗っていた二人はあっけなく放り出される。

 イーダはつんのめるように海へ落ち、グラトニーは錐もみ状態で宙に舞った。暴食しか能力のないグラトニーに空中で出来ることはない。浮揚板での高速移動ですら苦手だというのに、空中へ身体を放り投げられた状態で気を失えない現状は拷問に等しかった。

 それでも、逃してなるものかと海面すれすれを飛んできた不死鳥の目が己を捉えていると知って、グラトニーはひっそり笑う。


「いいぞ、来い。喰ってやる」

「フィィィィイイイイイイイイッッッ」


 空に投げ出され、逃げ場のないグラトニー目がけて不死鳥が突っ込んでいく。


「『暴食』」


 がぱりと開いた口の中に見えるのは虚無。

 飽くなき食への欲が渦巻く暗がりは、目ざとく獲物を見つけて絡めとる。

 憎き敵を貫くはずであった不死鳥の鋭い嘴が底なしの食欲に迎え入れられた。


「フィッ!?」


 手ごたえのなさに驚いた不死鳥が声をあげるが、もう遅い。

 ずぶずぶと沈みこむように長い嘴が、巨大な頭がグラトニーの腹に収まっていく。


「ぐっ……」


 あまりの熱さに思わずグラトニーは呻いた。

 間近に迫った不死鳥の燃える体が彼の皮膚を焼く。腹に収まった未だ消えぬ炎が腹の内から彼を焼く。喰った力が焼けたそばからその身を修復するため死にはしないが、死んだほうがマシだと思えるほどの苦しみが身体の外と内から彼を苛んでいた。

 それでもグラトニーは喰うことをやめない。

 人の背丈ほどもある不死鳥の首を半ば飲み込んだころ、とうとう彼は海に落下した。

 どぽん、という鈍い音とは裏腹に結構な衝撃がグラトニーの身体を襲う。ともに落ちた不死鳥の熱で、沸騰寸前の海水が皮膚を焼く。焼けたそばから権能の力が修復していく感覚はひどく気分が悪く、それでも喰いついた獲物を離すものかと気合を入れたのだが。

 海のなか、不死鳥の身体を睨み据えたグラトニーの目の前で、燃える巨体が掻き消えた。

 喰うものを見失い、権能が途切れた。開いた口に海水が流れ込む。


「ごぼっ!?」


 慌てて海面に顔を出したグラトニーの視界に、海面に浮かぶ熾火が見えた。今にも消えてしまいそうなその火が羽根のような形を取っては崩れ、また形を成そうと揺らめくその真ん中に、真っ赤な魔核がきらめいている。


「お兄さーん! それ、その火を消しちゃってー! 外側の火を完全に消さないと、熾火の熱で不死鳥が復活しちゃうから!」


 小島の端に立ったシキが叫ぶのが聞こえて、グラトニーは慌てて水を掻く。

 じじ、とふくらみかけた炎に焦りながらも慣れない波に四苦八苦して、少しずつではあるが不死鳥の魔核に迫っていると、不意に後ろからばしゃばしゃと騒がしい音が聞こえてきた。


「なんだ?」


 思わず泳ぐのをやめ振り向いたグラトニーが見たのは、盛大な水しぶきをあげながら迫りくるイーダだ。


「グラトニーさーん! 待ってくださーい!」


 壊れた浮揚板の破片に腹ばいになり、大きく回した腕で水を掻き、伸ばした両脚で交互に水を蹴りつけるイーダの必死の形相にグラトニーは固まった。

 異様な速度で水上を移動してきた彼女は、驚き停止したグラトニーを易々と追い越して燃える魔核にたどり着く。

 ふひぃ、と滴る海水を拭いあげ、にんまりと笑って獲物を見つめる。


「最後のひとくち、最後のひとくちだけでもわたしがいただきですっ」


 ぱか、と開いた口がためらいなく魔核を含んだ。

 途端に、じゅ、と音がして、彼女の口から白煙が昇る。


「おい、無茶するな!」


 慌てたグラトニーが彼女の肩を掴み、引き寄せる。

 両手で顔を掴んで口中を確認しようとするより早く、涙目の彼女が口を開く。


「口に入れた途端、灰になって。不死鳥、おいしくないです……」


 言いながらも、頬張った魔核を名残惜し気に味わう彼女に、グラトニーはもはや脱力するほか無かった。

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