五、南の海へ

 王城からは海が見える。

 華やかな都を眼下にはるか水平線が陽光を跳ね返すさまは、それは見事な景色なのだと、若き王は語った。そして、捨てる命ならばこの都を守るために使わせろ、とも。

 そんなわけで王からの指令を受けたグラトニーとイーダは、王都を出て海沿いに南下しているところであった。


「魔人さんのお腹のなかってどうなってるんです?」


 省エネのためのんびりと進む浮揚板のうえ、物足りなさそうに流れていく景色に目をやっていたイーダが振り向いた。

 小柄な少女の腰に捕まるグラトニーは「前を見ろ、前を」と彼女の首を戻しながら口をへの字にする。


「どうってなんだ。腹は腹だろう」


 ばたばたと翻る衣服の下、標準よりも薄っぺらい腹がちらつく。ラストの私室で魔核の力を補充したおかげか、貫かれた傷はすっかり治り、そのうえ骨と皮だけの状態からわずかに回復しているとはいえ、まだまだ薄い。


「いえいえ、だってあの大きな鋼鉄蠍の尾を丸呑みしてるんですよ? なのにお腹はぺったんこのまんまなんて……ずるいです!」


 そう吠えたイーダの腹はと言えば王都で食べられるだけ食べた結果、少々ふっくらと丸くなっていた。比例して顔も丸くなっているのは、当然のことである。


「ずるい……? それはよくわからないが、権能で喰った物がどこに行くのかなら、俺の腹のなかだ。帝国の連中が調査したからな、間違いない」

「調査です?」

「ああ」


 イーダの腰につかまる手を離したグラトニーは、自身のみぞおちからへその下までを指でまっすぐになぞる。


「裂いた状態で喰えば、裂け目から喰ったものが見えた。だが、一度喰った物は取りだせない。調査に参加した研究者は、胃袋自体が異空間化してるとかなんとか言っていたが」

「……食べもしないのに生きたままさばくなんて、料理人でもしないです。帝国はろくでもない人ばっかりですー」


 おえ、と舌を出したイーダは、ふと遠くに視線をやって目をきらめかせた。


「町ですよ、グラトニーさん! おいしいものがあるかも!」

「俺は情報が欲しい」

「それじゃあ、急ぎましょう!」


 イーダが浮揚板の後方をぐんと踏み込み、板の前方を高くする。途端に、浮揚板は出力を増し、速度を上げた。


「おい、魔核の節約をするんじゃ!?」

「王サマにいくつかもらってるから大丈夫ですー! 路銀だってもらったし、それでも足りなくなったら日雇い労働でもして魔核代を稼げばいいんですよー!」


 威勢よく言うイーダはもう誰にも止められない。

 ふたりを乗せた浮揚板は、ぐんぐん加速していった。


 ***


「……俺は今に空気との摩擦で擦り切れる気がする」


 ただでさえ痩せているグラトニーはさらにげっそりしながらのたのたと歩く。

 はるか遠くに見えていた港町にたどり着いたのは、陽もまだ高いうちだった。潮の香りがする通りには、朝からの労働に一区切りをつけた人びとがひしめいていた。彼らはあちこちに設置されたテーブルにつき、思い思いに食事をとっている。早くも酔いに顔を赤らめた男たちもちらほら見られ、波の音さえかき消す喧騒が町を包んでいた。

 王都とはずいぶん雰囲気の異なる町だ。

 細い木で骨組みを作り、ヤシの葉を屋根に葺いた港町の建物は潮風を軽快に受け流す。道を埋め尽くす勢いで広げられた座席の数々は、乱雑でいて全体の調和を壊さない。どの座席がどの店のものであるという決まりはないらしく、道行く人々は銘々心惹かれた店で品物を購入し、気の向く場所で腰を下ろして食事を楽しんでいるらしい、祭りのような賑わいがそこいらじゅうにあふれていた。

 その様子をよだれを垂らさんばかりに眺めるイーダの横で、グラトニーは彼女が抱えた浮揚板から少しでも距離を取ろうをするかのように、こっそりと離れて歩く。


「何言ってるんですかグラトニーさん、あれしきのスピードで擦り切れるんならわたしは今頃もっとスレンダーですよぅ!」


 開けられた距離を遠慮なく詰めてイーダが笑う。串焼きを食べる彼女の屈託のない笑みにグラトニーはぞっとした。

 いくらグラトニーが痩せているとはいえ、ひとり乗りと二人乗りでは重さが違う。重さが増して出力が落ちる二人乗りで命の危機を感じるほどの速度を出すということは、乗り手がひとりのときイーダが出す速度は一体どれほどなのか……。

 つい思い浮かべそうになった想像を、グラトニーは頭を振って追い払う。恐ろしいことを思い描き、肝を冷やす趣味は彼には無かった。


「それよりも、王に言われた燃える鳥のことを調べるぞ。情報を得るならどこに行くべきか……何を食べてるんだ」


 安らかな終わりを迎えるため、王に言い渡された課題は三つ。そのひとつ目を調査すべく表情を引き締めたグラトニーが思案気に視線を巡らせたとき、イーダの両手には串焼きが握られていた。

 先ほどまで抱えていたはずの浮揚板は、いつの間にか腰に括り付けられている。


「あ、これです? これはクラーケンの串焼きです!」


 満面の笑みで左右の串を見せつけるイーダだが、それぞれの串に刺さっている物体は見た目がひどく異なっていた。

 一方は彼女の顔ほどの大きさの小ぶりなクラーケンが丸ごと串刺しにされている。もう一方も大きさこそ似ているものの棒めいた形状をしており、香ばしい焼き色がついていること意外に二つの串には類似点が見当たらない。


「クラーケンの幼体の丸焼きと、クラーケンの成体の串焼きだよ!」


 威勢の良い声が飛んできたのは、すぐそばの屋台からだ。

 日に焼けた男が白い歯と毛のない頭部を陽光に輝かせながら汗をぬぐう。汗かオイルか、艶々と主張するたくましい二の腕でもって炭火にかけた焼き串を裏返しては、あたりに香ばしい香りを振りまいていた。


「うちのクラーケンは鮮度バツグンだからよ、幼体も成体もやわらかっくてうまいって評判さ。ぜひ熱々のうちに食ってくれ!」

「はい! いただきまふっ」


 言い終えるよりはやく、イーダは湯気を立てるクラーケンにかぶりついた。幼体に頭から食らいつくその姿は海獣の戦いを見ているようだ。

 クラーケンより大きい海の魔物は何だろうか、と大海に思いを馳せるグラトニーに屋台の親父が身を乗り出した。


「どうだい、兄ちゃんも一本! あっつあつでうまいよぉ!」


 親父のとなりでは頬袋をいっぱいにしたイーダが目を輝かせながら何度も頷いている。

 むぐむぐむぐむぐむぐむぐ、ごっくん!


「これはぜひっ! 食べるべきですよ、グラトニーさんっ」

「いや、俺は」

「長きにわたる断食で弱った顎では噛みきれないのでは? ということでしたら、心配ご無用です! このクラーケン、ぷりっぷりの歯応えなのにさっくさく噛み切れちゃうんです! それなのに旨味はしっかり詰まってて。わたし、こんなに味の濃いクラーケンは食べたことがありません!」

「お、お嬢ちゃんわかってくれるかい! うれしいねえ! こいつを獲ってる海はちょいと特殊でね、生育がゆっくりな代わりに味は極上なのさ」

「なるほど、そこでしか味わえないものがある! それが旅の良さですねっ。うーん、それにしても程よい塩加減がたまらないでふっ」


 破顔する親父の前で、イーダはうれしそうに串にかぶりつく。

 嚙み切ったそばから白い湯気がほこほこと上がり「熱い熱い」と言いながらも、クラーケンの身を噛み締める彼女の姿は幸せそうだ。

 けれどグラトニーは薫香を伴って屋台から漂う煙にわずかに目を細め、迷惑そうな顔をするばかり。


「それより、聞きたいことがある。燃える鳥がいる場所を知っているか?」

「ああ、それなら」


 屋台で長年、様々な客を相手してきたのだろう。グラトニーの態度に気分を害した様子もなく、親父はふたりの頭上を越えた先を指さした。


「あそこに煙が見えるだろ」


 太い指が示したのは喧騒に満ちた町の向こう。大小さまざまな舟が停泊する港をさらに過ぎた海原のただなか、空と海の青色に染まる景色に不似合いな灰色の煙が立ち上っていた。


「海に浮かぶ火の山、ボルケイノ。元々火山でな、何十年かにいっぺんちょろっと噴火してるんだが、そいつがこのところずっと煙を吐いててな。強い火の魔核を待つ魔物があそこに巣を作ってるってぇ話だぜ」

「わぁあ! あんなに煙がもくもく。あれなら成体のクラーケンの丸焼きも作れそうです!」


 いつの間にか串焼きを完食したイーダの歓声に、屋台の親父は苦笑した。


「やめとけ、嬢ちゃん。成体はかてぇぞ。うちの屋台の成体だって、試行錯誤を重ねてようやく身の味を損なわず、かつやわらかく焼き上げる火加減を探して、それを最高に引き立てるタレを作り上げたんだからよぉ」

「おお、それは素晴らしいです! そんな至高の串焼きに出会えた幸運に感謝を!」

「おいおい嬢ちゃん、そいつは大げさだぜ」


 全力で喜ぶイーダに苦笑しながらも親父はまんざらでもなさそうに笑っていたが、ふと表情を引き締める。


「一応言っとくが、島に遊びになんて行くなよ? ただでさえカッカしてる山が火の魔物の熱に当てられていつも以上に不安定になってるって聞いてるからな。いつ噴火するか予想ができない状況らしいぜ」

「らしい、とは? 誰に聞いた話だ」


 もしや王の手の者か、とさぐるように視線を鋭くしたグラトニーに、親父は不思議そうに眉を跳ね上げた。


「誰って、学者先生だよ。魔具研究してるとかいう、変わり者の。今も火の山を観測するって、船着き場に寝泊まりしてるはずだぜ」


 ***


 屋台の親父に教えられた船着き場は閑散としていた。

 すでに漁の時間を終えたのだろう。停泊する舟の数は多く、人の数はまばらだ。ところどころに座り込んだ人が魚をさばき、あるいは焚き火を燃やして何か炙っているのは、売り物にならない魚で腹ごしらえでもしようというのだろう。


「もう今日のお仕事終わっちゃったみたいです。人がいませんねえ」

「行けばわかると言っていたが……」


 港のあちこちに見える人影は網を繕う男、貝の入ったかごを抱えた女、海をのぞきながら歩く老人と様々だが、誰もが港に馴染んでいる。ひと目で学者とわかるような容姿の者は見あたらない。


「もう一回、おじさんのところに戻ります? さっきはお客さんいっぱい来てお話ゆっくり聞けなかったですし」

「……そうだな、仕方ないか」

「やった! では次は、食後のデザートに海辺の果物の屋台に寄りましょう!」


 ふたりが踵を返したそのとき。

 どんっ。

 大きな音と鈍い衝撃が地面を揺らした。


「な、なんです?」

「魔物か、地震か?」


 グラトニーとイーダが慌ててあたりを見回すと、波が跳ね並んでいる舟もぐわぐわと大きく揺れている。もしや、と遠くに目をやるが海のなかの火山は先ほどまでと変わらない姿で佇んでいる。

 ならば原因は何だ、と身を強張らせ、だぽだぽと波が港を叩く音に警戒を強めるふたりに対して、周囲の人々は「あー、またか」とすぐにそれぞれの用事に戻っていく。


「これはいったい……」


 どういうことなのか。顔を見合わせたふたりのそばで、足音が鳴った。


「おふたりさん、旅行者かね?」


 声をかけてきたのは海沿いを歩いていた老人だ。彼もまた落ち着き払った様子で、長い眉毛の下からグラトニーとイーダを見上げている。


「あ、はい。この町には着いたばかりで。あの、さっきの音と揺れは何でしょう。何かが爆発したのではないのです?」

「爆発しとるよ」


 にこにこと言う老人に、イーダが「ええっ!?」と驚きの声をあげた。老人は彼女の反応に「ほほ」と楽し気にしながら腕を持ち上げる。


「ほれ、あそこじゃ」


 節くれだった指が示したのは港の端で燃える焚き火。ではなく、よく見ればそれは掘立小屋が燃えているのだった。

 ただでさえ簡単な作りの港町の家々より、さらに輪をかけてシンプルな作りの小屋だ。柱は拾って来た廃材だろう、屋根は近くに生えている木の葉がそのままかぶせられただけ。

 グラトニーとイーダは風景に溶け込むその質素な小屋を見過ごしていた。いっそ子どもが作った秘密基地と言ったほうがしっくりくる小屋は、なるほど一度目を向けてみれば港町のなかでは異質だっただろう。だが、今となってははっきりした様相はわからない。


「燃えてるな……」

「燃えてますね」


 簡素な造りの小屋はよく燃えていた。

 爆発音のあと、いっそう勢いを増した炎はいまや小屋をすっぽり包み込んでぱちぱちと燃えている。ふと、その火のなかに人影が見えた。


「え、なかに人が!?」


 イーダが叫んだとき。


「はあああー! また失敗だあ!」


 燃え盛る炎をかきわけて飛び出してきたのはひとりの青年だった。長い髪を首の後ろで無造作にくくり、ずり落ちかけた眼鏡もそのままに火から逃れた彼は足を止める。


「水棲生物の魔核で相殺されるはずなんだけどな。なにが足りない? 鳥型魔物の風に働きかける力か。いやでも火に空気を与えてもより激しく燃え上がるだけだから、むしろ空気は内側のみにとどめておくべきで……」


 青年は衣服でくすぶる火の粉をはらうのもそこそこに、火中を出るやいなや懐から取り出した紙に何かを書きつけはじめる。

 すねまである白い長衣にはたくさんのポケットがあり、すべてが物で満たされてもこもこと膨らんでいる。それでもまだ足りないのか、腰に巻いたベルトにはいくつもの袋が下げられていた。

 けれど、それよりも今、いちばん注目すべきは青年の長い髪の先が燃えていること。


「あわわわわわ、燃えてますっ」

「あれあれ、水水!」


 イーダと老人が慌てて声をあげると、青年も自身の背中で火が踊っていることにようやく気が付いたらしい。


「あ! わ! 死ぬ! 燃えて死んでしまううぅぅぅぅ!」


 すぐそばにたっぷりと水をたたえた海があるというのに、パニックになった青年はなぜかグラトニーたちのほうを目がけて駆け寄ってきた。

 走ったことで風が生まれ、燃える毛先の炎も一気に勢いを増す。イーダと老人は炎を避けるために慌てて青年から逃れる。イーダが水の入った筒を手に取るけれど、そのときには青年はふたりの間を駆け抜けていた。その先に立つのは、事を静観していたグラトニーだけ。


「はあ……『暴食』」


 ため息をひとつついたグラトニーが権能を発揮する。

 がぱりと開いた彼の口のなかの暗闇に、青年の髪の毛ごと炎がばくりと消えた。グラトニーがちらりと視線をイーダに向けると、彼女はハッとして腰のナイフを引き抜いた。

 ずぞ、と飲み込まれかけた青年の長い髪をばっさりと切ったのは、イーダだ。グラトニーの鼻先を掠めた刃が獲物を切断したために、暴食の権能は毛先と炎を喰らって収まった。

 けふ、とグラトニーが口から黒煙を吐く。


「あ……」


 涙目で振り向いた青年はグラトニーを見て肩を震わせた。その隣では老人がしわに埋もれていた目を見開いている。

 向けられた二組の視線が未知への恐怖に染まる未来が予想出来て、グラトニーは目を伏せた。けれど。


「すっごい! え、え。お兄さん平気なの? 口開けて見せて! どういう機構? 特殊な魔具なの? ちょっとお兄さん、詳しく聞かせてよ!」


 青年はグラトニーに詰め寄り、グラトニーの口を無理やり開かせた。すでに権能はおさまり、開いた口のなかは普通の人間と変わりない。人よりもやや鋭い犬歯をじいっとながめ、その口中に火傷も焦げ跡も無いのを見て取って青年は目を輝かせる。


「すっごい! どうして火傷してないんだろ。なにか特殊な魔具を持ってるの? どんな魔具なの!? この機構を応用すれば僕の作りたいものに一歩近づけるかも……!」


 ぐいぐいとグラトニーに迫る青年の、そのあまりの勢いに老人は驚きを忘れて苦笑を浮かべた。


「ほれほれ、学者先生や。そうまくしたてちゃあ答えられやせんじゃろ。小屋を建て直すにも燃えてる間は手が出せんし、旅人さんらをオンの店にでも連れてってやりなさい」


 そう言う老人の顔には異能への恐怖など見当たらない。むしろ「変わった奴じゃが悪い奴ではないのでな、付き合ってやっておくれ」と孫の友人に接するような老人の態度に、グラトニーはどう反応して良いかわからない。

 そうしている間に、イーダと青年はグラトニーを囲んでもりあがる。


「甘味ですか! それは願っても無いです! 行きましょう、行きましょう!」

「ほんと!? やったあ! お兄さんのこといろいろ教えてね!」

「もちろんですっ。甘味のためならグラトニーさんの得意なことや苦手なものからスリーサイズまでまるっとばっちり喋っちゃいますよ!」


 イーダの発言に我に返ったグラトニーがちょっと待てと言うよりはやく、結託したふたりが彼の両腕を捕まえて駆け出した。


「ちょ、おい!」

「さあ行きましょう、やれ行きましょう! まだ見ぬ甘味がわたしたちを待ってます!」

「うん行こう、さくっと行こう! まだまだ知らない世界の不思議が僕を待っている!」

「俺を持ち上げるな、走るな、手を離せっ」


 グラトニーの悲鳴じみた声を残してにぎやかな一団は港から遠ざかる。

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