二、王都では食い倒れを
真っ昼間の草原に走る道の上をひとつの影が這いずっていた。
瀕死のナメクジより遅いその影の主はグラトニー。辛うじて地に落ちていない浮揚板に乗せたイーダを引きずって、踏み固められた土の上を行くその足取りは重い。
「何が、最新技術、だっ。魔核が尽きればただの板きれじゃないか………」
道に沿って茂る草いきれのせいだけでなく息切れのひどいグラトニーにできるのは、少しでも前進することと悪態をつくことだけ。
二人を乗せて王都まで運んでくれるはずの浮揚板はずいぶん前に魔核の力が付き、ちょっと飾りのついた板と化していた。
昼間は灼熱、陽が落ちれば極寒の地獄と化す砂漠の端まで進めていたのはせめてもの幸い。けれど調子に乗ったイーダが出せる限りの速度で移動し、跳ね飛ばした獲物の魔核を手に入れる間もなく走り去った結果、補充用の魔核が手元に無いのだから、やはり不幸な状況である。
そこからは見た目にそぐわない魔人らしい体力を見せたグラトニーが、昼も夜もなく徒歩で道のりを進めてきた。とはいえ、長きに渡る絶食で力の衰えた魔人など、呑まず食わずでも死なないだけで他は人間と変わりない。立ち止まりこそしないがのたのたと這いずるように進むのが限界だ。
「ううう、王都への道がきれいに整備されすぎてるのがいけないんです。こんなに丁寧に道を作るから、補充用の魔核を持った獲物にも出会えないんですっ……!」
板の上で八つ当たりを繰り出すイーダは、魔核切れが判明した途端「腹が減ってはあれなんです!」と手持ちの保存食にかぶりつき、砂漠の熱で傷んだ食料によって見事に具合を悪くしていた。
「……うう、わたしも魔人さんみたいに何食べてもお腹を壊さない力がほしいです……」
もはやただの板切れと化した浮揚板の上、イーダがうめく。
あまりに切実な響きがこもっていたためか、あるいは朦朧としてきた意識をつなぐためか。黙って聞いていたグラトニーが途切れ途切れの息をつないで答えた。
「暴食は、権能だ。食ってるわけじゃないから、味はわからないし、血肉にはならない、ぞ」
「味がわからないのは嫌ですぅ……!」
即座に返す食い意地の張った少女に、グラトニーはため息をこぼす。
「だったら、怪しいと思ったら、食わないでおけばいい、だろ」
「食べられるか否かは食べてから判断するのが、私の座右の銘なんです!」
がばりと起き上がって力説し「あいたたたたたた!」と腹を抱えたイーダに、グラトニーはいよいよ呆れも隠さず会話を打ち切る。
食べなくとも死なないからと、飢えを抱えて生きることを選んだグラトニーには理解のできない思考回路であった。
「喰わずに済むなら俺はそのほうがいいけどな」
誰にともなくぼやいた彼はふと、疲れに項垂れていた身体を起こす。
どこまでも続くかに思われた草原の道の先に、緑色以外のものが見えた。
「グラトニーさん、疲れてますよね、わたしそろそろ降りて歩くのです」
立ち止まったのを疲労のためだと思ったのだろう。よろけながらも板から降りたイーダは、グラトニーの視線の先を追って目を見開いた。
きらきらと輝く瞳が映すのは遠方にあってなお見落としようのない巨大な人工物。
「王都だ……!」
「あれが……」
立ち尽くし、見入る二人の目の前へ一匹の兎がまろび出た。兎とはいえ牙を持ち、立ち上がれば少女とそう変わらない体格をした牙兎(ファングラビット)、れっきとした魔物である。勢いよく跳躍しているうちに、魔物の嫌う整備された道へと出てしまったのだろう。
「あ、獲物です!」
「ちょうどいいところに魔核が来たな」
魔物を前にして怯えるどころか目を輝かせる者たちに、牙兎は「ビッ!」と長い耳をピンと立てた。
自慢の脚力で反転し、文字通り脱兎のごとく逃げ出そうとしたが、もう遅い。
ナイフとフォークを手にしたイーダが目の前に立ちはだかる。
「いっただっきまああぁす!」
※※※
森林狼(フォレストウルフ)の引く荷車が通りを遠ざかっていき、近くの店では足に荷を括り付けた大鸛(ビッグストーク)が空へと飛び立つ。
艶やかな緑色をした王蚕(キングシルクワーム)の織物が並ぶ店の横には各種魔物の角を扱う行商の首無馬(ヘッドレスホース)の引く車が停まり、行きかう人びとへ盛んに呼びかけている。売るほうが売るほうならば、買うほうも負けてはいない。大声で値切り、おまけをねだり、商人にやけっぱちの笑い声あるいは悲鳴をあげさせた。
王都の賑わいにグラトニーの足はたびたび止まる。牙兎の魔核でひと滑り、王都に辿りついた時からこの調子だった。
今もまた、空の彼方へ飛び去って行く大鸛を見送って立ち止まったグラトニーの袖を引いたイーダは、もろくも崩れた服の切れ端をこっそり捨てながら彼の名を呼んだ。
「グラトニーさんグラトニーさん、のどが渇かないです?」
新鮮な牙兎肉を肉屋に持ち込み、得たばかりの王都貨幣をチラつかせる少女をちらりと見て、グラトニーはまた周囲に目を向ける。次に興味を持ったのは色硝子を貼り合わせた飾り窓らしい。
「ひとりで行けばいい」
「ええっ! グラトニーさん、砂漠で会ってから水も飲んでないです。死んじゃいますよ!」
「魔人は核が壊れない限り死なない」
そっけない返事に続けて告げた魔人に、イーダは同情のこもった視線を向けた。
「だからって飲まず食わずでいるなんて……もしかして、封印されてた百年の間ずっと、です?」
「…………」
問いには答えないけれど、手をつないで笑い合う子どもたちを見つめるグラトニーの貧相な肢体が答えだった。ぼろ布と化した衣服の上からでもわかる痩せ細り具合に、イーダは拳をにぎる。
「わかりました。このイーダ・キーマスの名にかけて、グラトニーさんにおいしいと言わせてみせましょう!」
熱く決意をするイーダを迷惑そうに見やって、グラトニーはこっそり彼女から距離を取った。
「いや。そもそも俺はもう、お前といっしょにいる理由は無いんだが」
「何を言いますか! 砂漠で鋼鉄蠍をいっしょに食べた仲じゃないですか」
「あれは権能で『喰った』だけだからな……」
グラトニーが首輪をなでながらぼやくように言う。
暴食の魔人にとって、自身の口で食うことと権能『暴食』を用いて喰うことには大きな隔たりがある。しかしその違いを他者に伝える言葉を持たない彼の声は尻すぼみになってしまう。
「そうでなくとも古の王からのお願いを見てしまった身としては、暴食の魔人さんとご飯を食べないといけないわけですし! それにわたしの野望を叶えるために、何でも食べられる秘訣を教えていただきたいですし!」
「だから、俺は食ってるわけじゃなくて異能で喰ってるだけなんだが……」
「あ、ほらグラトニーさん! あそこのお店が良さそうです。わたしの鼻がそう告げてるんです!」
魔人の思いなど何のその。胸を張った少女は、枯れ枝よりはいくぶんましだが骨と皮ばかりの魔人の腕を引いて通りの向こうに見つけた果汁(ジュース)屋に向かう。
「ほらほら、渇いた身体にガツンと一発!」
店主でも無いのに呼び込み文句めいた言葉を口にしながら人の波を抜けたあたりで、イーダの脚はたたらを踏んだ。
原因は、繋いだ手の主が立ち止まったため。「もう」と文句を言いかけた少女は、相手の視線が見つめているものに気がついて言葉を飲み込む。
横切っていた通りの真ん中に水を湛えた泉があった。待ち合わせ場所として人気なのだろう。人で賑わうその一角に、軽やかな弦の音を響かせる男がひとり。
吟遊詩人(バード)の名を表すかのように羽根飾りをつけた彼は、軽やかな音色に合わせて歌い出す。
『人々を脅かす帝国の七魔人。嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食。人の七欲をその身に集めた魔人の力に抗える者はなく、荒れた大地に降り立つはひとりの青年アルフ。魔人を封じ平穏を取り戻した彼は王となり、築きし都がこの王都ピースフル』
歌は続く。帝国が栄えていた時代がどれほど苦しいものであったか、帝国の七魔人がいかに残虐に世界を蹂躙したかを歌いあげる吟遊詩人に、グラトニーは背を向けた。
「あの、あの歌は……」
その背を追うイーダの目はちらちらと吟遊詩人に向けられては、気遣わしげにグラトニーを映す。
「少なくとも、好き放題に喰い荒らしたっていうのは嘘だな。俺は自主的に喰ったことなんて無い」
「なんにも?」
「ああ、何も」
さらりと告げられた言葉にイーダがきつく眉を寄せた。
食い気だけで行動しているような少女が何を言うのかグラトニーには想像もつかなかったが、彼女が喋るのを待たずに歩を進める。
「王城ってことは、あそこに行けば王がいるわけだな」
見上げた先には色付きの煉瓦を高く積み上げて作られた城が聳え立っていた。必要に応じて数を増やしていったのだろう。いくつも並ぶ建物は遠目にも棟ごとに劣化具合が異なっているのがわかる。
同じように住人の増加に伴い建て増しされてきた王都は、いくつもの円が重なったような形で外壁が連なっていた。自然と、はじめに建てられたであろう王城周辺の区画は堅牢な守りの向こうに閉ざされる。
「一般の旅人が出入りできるのは外郭だけ、王都にお家があれば中郭まで、内郭まで入れるのは特別な許可をもらってる人だけだってお話です」
焦がれるようなグラトニーの視線を盗み見ながら、イーダがぼそぼそと告げたのは王都の入り口で門番に聞かされた話だ。その時は初めて目にする王都の賑わい具合に二人そろって意識を奪われていたため、話題にする間もなかったけれど。
「グラトニーさんは王さまに会いたいんですよね。でもでも、どうやってあそこまで行くつもりです?」
王都にそびえる外壁の一枚一枚が人の背丈を優に超え、人間より多少優れた身体能力を持つ魔人と言えど、跳び越えられそうもない。そんな壁が幾枚も重ねられているのである。不埒な考えでもって王城を目指す者は排除されるだろう。
もっとも、とグラトニーは胸の内で考える。初代王はそんなことを考えてはいなかっただろう。全力で前を向いて進むあの男のことだ、自分の周りに集った人びとが外敵におびえることなく暮らせるようにとでも願って、魔物避けの意図で組み上げたのだろう。思いを口にはせず、グラトニーは見上げていた王城から視線を逸らし歩き出した。
「プライドなら、物ともせず越えるんだろうがな」
「誰です? グラトニーさんのお友だちです?」
イーダの質問には答えず、グラトニーはにぎわう通りに背を向けてさらにふらりと歩を進める。その脚が向かうのは一番外側の外壁に沿った通り。日照時間のひどく短い外郭沿いは、治安が悪いから気をつけろと門番が忠告をしていた場所だ。
にぎやかな道からほんの少し入っただけだが、人通りはぐっと減り、並ぶ商店の主は皆フードを深くかぶり顔を隠して黙り込んでいる。高い外壁が落とす影のせいで、まだ日も高いうちから通り自体が陰鬱な雰囲気に包まれていた。
どの店も売り物が見当たらないのは、すでに品物が売り切れたからか、大っぴらに並べられないような品物ばかりを扱っているせいか。たずねて見ようにも、店主たちはうつむいて視線も合わせない。
「あ、あ。どこ行くんです? そっちのほうはおっかない人がたくさんいるから、行かないほうが良いって門番さんが!」
一気に変わった雰囲気におどおどしながらイーダが呼び止めるけれど、グラトニーの足は止まらない。
「そういう場所はいろいろ吹き溜まる。ろくでもない連中とか、情報とか。俺は抜け道か何かないか探すから、お前とはここで」
お別れだ、と告げる声を遮ったのは澄んだ音色だった。
シャンッ。
陰鬱さを祓うように響いたのは、鈴の音。
シャンッ、シャンッ。
清らかな音色に恐れをなしたかのように、幾人かの露天商が素早く店をたたんで物陰にこそこそと消えていく。
シャンッ、シャンッ、シャンッ。
「ち、近づいてきてます?」
淀んだ暗い雰囲気が厳かに張りつめた物へと塗り替えられていくのを肌で感じて、イーダがそわそわとグラトニーに身を寄せた。
魔人こそ祓われるべきものだろうに、という思いがグラトニーの脳裏をかすめたが、口に出す間はない。
シャンッ。
一段とそばで鳴った鈴の音に吸い寄せられるように目を向ければ、曲がり角の向こうから子どもが姿を表した。白い面を被った奇妙な子どもだ。棒の先に紙性のランタンをぶら下げてしずしずと歩いてくる。その後ろに、巨大な箱を下げた棒を肩に担いだ一団が続いた。
「狐面に提灯に法被に、駕籠……? どうしてここに島の品が……」
隣でイーダはつぶやく言葉のひとつひとつが、グラトニーには馴染みが無い。ただわかるのは、巨大な箱の上部で揺れる鈴の音色がまっすぐに自分たちを目指していること。
「近づいて来てるな。心当たりはあるか」
「いいえ。王都に来るのは初めてですし、知り合いに駕籠に乗るような偉い方はいないはず」
シャンッ!
密やかに言葉を交わす二人の前で、駕籠が止まった。
ゆるやかに地に下ろされた箱の左右には、いつの間にやってきたのか狐面の子どもが立っている。子どもたちは鏡映しのようにそろった動作で箱の側面に垂れる簾に手をかけ、音もたてずに引き上げた。外界と繋がった箱の中の暗がりで影が身じろぐ。
気づかぬ間に駕籠の前に置かれていた底の厚いぽっくり下駄に、すっと差し出された長い脚が乗せられた。
しゅるり、衣擦れの音さえも艶やかに姿を見せたのは何とも目を惹く異国の衣装をまとった人物。
「わあ、花魁だぁ」
イーダが声をあげたのも無理はない。大陸はおろか、イーダの故郷でさえ過去の芸術として飾られる着物が目の前にあるのだ。
その身を飾る豪奢な着物と贅沢な帯、結い上げられた髪に揺れる煌びやかな簪。肢体のほとんどを覆い隠しておきながら、大きくはだけた肩口の白さ、着物の裾から覗く脚のなまめかしさ。何より、身に着けたすべてに負けぬ厳かな迫力を持つその人自身の魅力に、性別さえも凌駕する姿かたち、所作の美しさにイーダのみならずその場の誰もが視線を奪われた。
ただひとり、人ならざる魔人を除いて。
「……ラスト」
「あらぁ、懐かしい気配がすると思ったらグラトニーじゃなぁい」
ラストと呼ばれた花魁はまぶたを伏しがちに流し目を送り、なだらかな胸板をグラトニーに寄せる。紅をさした蠱惑的な唇が、貧相な魔人の耳元に吐息を吹き込む。
「自ら封印された暴食の魔人が、今更出てきてなんのつもりかしら。事と次第によっちゃあ、アタシの『魅了』で食べちゃうわよ」
表情はあくまで美しく、けれどその重低音の声音にたっぷりの威圧を込めたラストの言葉に、けれどグラトニーは動じない。ゆっくりとまばたきをひとつ、絶世の美貌から距離を取る。
「なにもするつもりはない。封印を壊してくれた奴がいてな。ゆっくり寝られず迷惑してるから、王に再度の封印を頼みに来ただけだ」
いかにも面倒くさそうに言う彼にラストは目を丸くし、そのときになってグラトニーの隣で棒立ちになったイーダにようやく気がついたらしい。「あら」ときれいな作り笑顔を送ってイーダを真っ赤に染め上げると、着物の裾をひらりと翻した。
「敵対しないなら良いのよ。そうだわ、せっかく王都に来たお客さまならこのアタシ。歓楽街の主人ラストがお・も・て・な・し、してあげるわぁ」
肩越しに振り返ってぱちんとウインクをひとつ。艶っぽさのなかに愛嬌をのぞかせたラストにグラトニーは後ずさった。けれど彼の隣、瞳にハートを浮かべんばかりのイーダが吸い寄せられるようにふらりと一歩を踏み出す。
「おい、そいつは魔人だ。近寄れば色欲に呑まれるぞ」
「はわぁ。きれーなひとですぅ」
グラトニーの声が聞こえていないかのように、イーダはうっとりとラストに見惚れている。そんな彼女にするりと近寄り、ラストはイーダの肩を抱いた。
「んふふふふふ。かーわいい」
頬を染めたイーダに腕を回したまま、するりと駕籠のなかに戻ったラストの姿は、まばたきの痕には下ろされた御簾の向こう。イーダを供に隠れてしまう。
シャン。
なめらかでありながら素早く持ち上げられた駕籠のなか、扇子の先で御簾を持ち上げたラストが隙間から顔をのぞかせてゆったりと笑う。
「着いていらっしゃい。取って食いやしないわよ」
唇の両端をつり上げたその顔に、暴食の魔人よりよっぽどなんでもぺろりと食ってしまいそうだと思ったことは決して口にせず、グラトニーはしずしずと進む行列の最後尾をおとなしくついていくのだった。
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