食わず嫌いの暴食魔人
exa(疋田あたる)
一、鉄鋼蠍は鉄板焼きに
陽光に熱された砂が音もなく落ちていく。ごくわずかな光を伴って降り積もる先は、命の気配が失せて久しい廃墟のその下。
灼熱の地上とは裏腹に寒いほど冷えた空気に満たされた地下空間で、鎖につながれた人影がひとつ。
狭く暗い部屋のなかどれほど長い間、壁に貼り付けにされていたのか。身にまとう衣服はなかば朽ち、砂ぼこりに塗れた髪は元の色がわからないほど薄汚れている。
性別もわからないほどに干からびたその身体を砂が撫でるけれど、反応は無い。かつての都とともに忘れ去られ、飢えるままに命絶えたのか。
語る者はなく、静けさだけを共に朽ちていこうとしていた空間にふと、かすかな音が落ちる。
ブゥン、風を切るような唸りに続いたのは人の声。
「せーのっ!」
場違いに明るいその声とともに降り下ろされた鉄器が、静寂と部屋の壁をぶち壊した。
「こーんにっちわー! お昼ご飯の時間ですよー!」
もうもうと立ち込める砂ぼこりをかき分けて姿を見せたのは小柄な少女。砂避けの外套を背に落とし、赤い癖毛を跳ねさせながら壁を壊した鉄器、巨大なフライパンを肩にかついだ少女は干からびた人物の前まで歩み出た。
「わ、ミイラ! 魔人さん、魔人さん。寝てます? 手遅れです? 死んでます?」
声をかけても反応の無い相手に首をかしげた少女は、何を思ったか乾ききった身体の胸に顔を寄せる。布が朽ちてあらわになった薄い胸のあたりでひくひくと鼻を動かし、ひとつくしゃみをすると満足気に姿勢を正した。
「うーん、腐臭なし! それじゃあ……」
にっこりと笑い、少女は腰の巨大なナイフとフォークを手にする。
「魔人のミイラ、いっただきまーす!」
銀の食器が乾物めいたその身を捌こうとした、そのとき。
干からびたまぶたがぴくりと動き、暗い色をした瞳が少女をねめつけた。
「……同族を喰うほど人は落ちぶれたか」
「わ! 生きてた!」
しわがれた声に驚きつつも、少女は食器を構えたまま。ぱちくりと見開いた目でふしぎそうに相手を見つめる。干物じみた体躯に乗る頭はやはり痩せこけ、乾ききっている。その様相で口を聞く姿は、およそ人間とは思えない。
「同族じゃなくってわたしは人間です。イーダ・キーマスです。あなたは魔人です?」
「なぜわかる。俺が魔人だと」
「だって上に書いてましたし」
「上?」
ミイラ改め魔人が怪訝そうに眉をしかめたと同時、ひどい衝撃が二人を襲った。
少女、イーダの「ひゃあ」というどこか気の抜ける悲鳴を聞きながら、魔人は床に転がり落ちる。貼り付けられていた壁が崩れ、戒める鎖ごと放り出されたのだ。
けれどゆっくりと身を起こした魔人の顔に解放を喜ぶ様子はない。
「今日はずいぶんと騒がしいな」
つぶやきながら手を持ち上げた魔人は、自身の首にはまる太い首輪に触れてかすかに口元を緩める。けれどすぐさま表情を引き締め崩れた壁の向こうをにらみつけた。
壁に開いた大穴が眩しいほどの青空を切り取っている。けれど久々の陽光を楽しむ贅沢は許されていないらしい。
「あれは、蠍か?」
さわやかに晴れ渡る空と魔人たちの間に立ちはだかる黒い影の形状は、蠍のシルエット。けれど疑問形になってしまうのも無理はないほどに、その影は巨大だ。
「そう、蠍。それも蠍のなかの蠍、砂漠の暴君とも呼ばれる最大の難敵『鋼鉄蠍(スチールスコーピオン)ですっ。さっき見失ったと思ったら、また会えるなんて!」
なぜかひどくうれしげに目を爛爛と輝かせてイーダが答えた。彼女の左右の手には巨大なナイフとフォークがしっかり握られている。
華奢な彼女が巨大な蠍を前に浮かべる表情は恐怖ではなく、歓喜。それも捕食者が浮かべる獲物を見つけた喜びだ。ぺろりと唇を舐めたイーダは、蠍の巨体を恐れもせず飛びかかる。
「いっただっきまーす!」
ガイィン!
鈍い音を響かせたのはイーダの武器か、蠍の甲殻か。
あっけなく弾かれて降ってくる少女の身体を咄嗟に抱き止めて魔人は舌打ちをひとつ。裸足で砂まみれの床を蹴りつけ飛び上がった。その脚下を唸りながら通り抜けたのは蠍の長い尾だ。巨体と同じ長さを持つ尾の先端で、禍禍しい曲線を描く毒針が獲物の息の根を止めようと狙っている。
「気を付けてくださいね! 鋼鉄蠍の毒はとんでもなく強力で、悪食で有名なあの暴食の魔人でさえ瀕死にさせたって伝説があるのでっ」
小脇に抱えられ、忠告するイーダに魔人は「瀕死に、ねえ?」と干からびた顔に似合いの冷ややかな笑みを浮かべた。焼けた砂に着地し、イーダを背後に転がした魔人は自らの顎を掴み、つぶやくように告げる。
「『暴食』」
がぱりと開かれたその口内はひどく暗い。月の無い夜の闇よりもなお深く、尽きることない人の欲のごとく底が見通せない。
およそ生き物の口内とは思えないそれに恐れを抱いたのか、あるいは捕食のためか。
再び伸ばされた鋼鉄蠍の尾を魔人は避けず、開いた口の中に招き入れた。イーダは悲鳴も上げられず、毒針がその喉を突き破るかと武器を握る手に力を込めて見つめていた。
しかし。
尾の動きは止まらない。毒針どころか尾の中ほどまでずぶずぶと口に消えていく。それと同時に、干からびきっていた魔人の顔が肉を取り戻す。頬は痩せこけているものの存外、若い青年だった。喰らうたび、枯れ枝のようであった四肢もじわりと人のそれに姿を変え、骨の目立つ指で鋼鉄蠍の尾を掴んでのどの奥へと押し込んでいく。
鋼鉄蠍が慌てたように多足で砂を掻き逃げようともがくなか、長かった尾はすっかり男の口の中に吸い込まれていた。
それでもまだ足りないとばかり、鋼鉄蠍の胴体部分に男が手をかけたとき、イーダはハッとして駆け出した。
「ひとりじめはずーるーいーです!」
「はあ?」
うっかり声をあげた男の口元で、鋼鉄蠍の尾がぶちりと千切れる。それを好機とばかりに逃げ出した尾の無い鋼鉄蠍目がけて飛びかかり、イーダは巨大なフライパンを振りかぶる。
「いっしょに見つけた獲物なんだから、半分こですっ!」
断言とともに振り下ろされた鉄の塊が脳天をかち割り、鋼鉄蠍の巨体は砂に沈んだ。
イーダの膂力に驚くべきか、「ずるい」発言に疑問を呈するべきか。悩む男を振り返り、イーダが笑う。
「ご飯はいっしょに食べたほうが、おいしいんです! 暴食の魔人さん!」
「………なぜ俺が暴食の魔人だと」
「なんでも食べちゃうそのパワー! 伝説の暴食の魔人に違いないですっ」
「はあ……」
ため息をついた暴食の魔人と呼ばれた男の口内は、すでに常人とかわらないものに戻っていた。痩せた首に不釣り合いな太い首輪をひとつ撫でて、男はため息交じりに名を告げる。
「グラトニーだ」
「それじゃあふたりの出会いに乾杯しましょう! ちょうど良いところに希少食材もあるしっ」
はしゃいだ声で鋼鉄蠍に向き直るイーダは、聞き間違いでなく砂漠の暴君を食べるつもりであったらしい。
蠍の胸に埋まる魔核になど目もくれず、甲殻のすき間に器用にナイフを差し込むと、解体をしていく彼女を見ながらグラトニーは腹をさする。心なしかその顔色は青い。
「……俺は食わないぞ」
「えっ! なんてもったいない! あ、やっぱり蠍の毒が効いてます? 伝説の通り、鋼鉄蠍の毒で死んでしまうんです?!」
「死なん。この程度の毒で死ねるなら、俺はとうに死ねている。……食うのは嫌いなんだよ」
ぼそりと吐いた声はひどく小さかったけれど、乾いた風がうまく運んだらしい。弱弱しい響きが耳に届いたイーダは、解体の手を止めないままに「むう」と口と尖らせた。
「暴食の魔人のくせに食わず嫌いです? もったいない」
イーダの言葉はグラトニーに届いていた。けれど彼は放っておいてくれとばかりに彼女に背を向け、砂の合間に開いた大穴を覗き込む。
「下に戻ってこの身が朽ちるまでもうひと眠り、と行きたいところだが……見事に封印をぶち壊してくれたな」
見下ろした先では、グラトニーが長く過ごした狭い部屋が半ばまで砂に埋まっていた。眺めている間にも風が吹いてさらなる砂を運び込んでいる。半壊の部屋がすっかりと砂に飲み込まれるのにそうかからないだろう。
どこか呆れたようなグラトニーの声を聞きとがめて、イーダは頬をふくれさせついでに蠍の固い殻をベキリと剥ぎ取った。
「扉は確かに壊しましたけど、封印なんてもう効力無くなってましたし。部屋を壊したのは鋼鉄蠍ですし?」
露わになった蠍の身は意外なほどに白い。そして巨体の割に身が少ない。
「わお! さすがは希少食材!」
歓喜の声を上げたイーダはためらいなくその身をフォークで刺してすくいあげ、剥ぎ取ったばかりの殻の表面に置いた。
じゅうううぅ!
陽光に焼けた鋼鉄蠍の甲殻の熱がその身を焼く。淡い湯気をこぼし自らの殻で焼かれる甲殻蠍にいささかの同情を抱きながら、グラトニーはイーダに不審の目を向ける。
「それだ。お前、なぜ俺を起こした。そもそもどうして俺が魔人だと知っている」
答えによってはただではおかないと視線に威圧を込めたグラトニーに、イーダはあっけらかんと彼の背後を指さした。
「だってそこに書いてたから」
「そこ……?」
イーダの挙動を気にかけながらも示された方へ目を向けたグラトニーが見つけたのは、砂のなかに斜めに立つ石碑。位置的に彼が封印されていた部屋の柱の一本だろう。斜めになったのは蠍の襲撃のせいか、それとも建てられてから経った長い年月のためか。
ゆっくりと近寄ったグラトニーがまじまじと見つめれば、古びた文字が刻まれていた。雨風に削られ読みづらいが、確かにそこには記されていた。
『魔人がお腹をすかせています。いっしょにご飯を食べてあげてください』
厳かさも何もない、無責任に動物を手放す頭の悪い飼い主のような文言にグラトニーは膝から崩れ落ちる。
「あの能天気王め……!」
彼の脳裏を過るのは陽気な笑顔の男。グラトニーの半永久的な生のなかで短い付き合いだった相手だが、不思議と記憶は薄れていない。
「今は、帝国暦何年だ」
「帝国歴です? えっと、廃止されたのが王国が出来た年で、王国暦が今年でちょうど百年だから、帝国暦は最後の年に王国暦を足して……ええと、四百七十年くらいかな?」
蠍の身を裏返す手を止め、宙に目線を泳がせたイーダは自信がなさ気だ。「季節の食べ物なら暗記できるんですけど、歴史って苦手なんですよね~」と笑う。
「俺が封印されてから、百年も経っていたのか」
遠い目をするグラトニーにイーダが目を剥く。
「百年もここにいたんです!? お腹が空いて死んじゃう!」
慌ててフォークに刺さった蠍の身を「食べて食べて!」と差し出すイーダだが、グラトニーは鼻先をくすぐる湯気に迷惑そうな顔で目を細めるばかり。それは蠍が生焼けなせいだけではないらしい。
「俺は死を……この身が朽ち果てるのを待っていたんだがな」
ため息まじりに首輪をなでてフォークを押し退けたグラトニーの横で、イーダは
「食べないならいただきです!」と蠍の身にかぶりつく。
「むっ!?」
かっと目を見開いた彼女は「むむむむむむむ!」と口とフォークで蠍の身を引っ張り合い。面白いほど伸びた白い身にグラトニーも視線を向けた。
「むーんっ!」
ばちん、とむしり取った身を頬張って、イーダの頬が膨らむ。むぐむぐむぐむぐと咀嚼を繰り返し、むぐむぐむぐむぐと……ずいぶん長い。
「噛みきれないなら食わなければ良いのに」
「ひゃべられはいわけひゃなひんれすひょ!」
呆れたグラトニーにイーダは口をもごもごと動かし何事かを言い返すが、いっぱいに詰まった蠍の身でまともな言葉にはならない。
「……そうまでして食いたいほどうまいのか?」
その執拗さにいっそグラトニーの興味が湧いたころ、ようやくイーダは口の中のものを飲み込んで「ぷは!」と息をつき、言った。
「海老ですね!」
「海老に似てるのか」
「いえ、まさに海老! 異様に弾力があり肉汁のないパサついた海老! めちゃめちゃ硬いことを除けば、それ以上でもそれ以下でもありません。強いて特徴をあげるならこの身の少なさ。海老ならば殻をめくった先にたっぷりとつまっているはずの身が、こちらの蠍はなんとほぼ無い。硬い甲殻を苦労してめくった先に得られる身のこの少なさこそ、鋼鉄蠍を食べる価値と言えるのでは!? 希少部位であるという、価値が!」
「……そうか」
あまりにも良い笑顔で言い切るイーダに、グラトニーは「ならば海老を食べれば良いのではないか」という言葉を飲み込んでそっと遠くへ視線をやった。
「百年か……もう王は生きてはいないな」
んぐ、と口元をぬぐったイーダが「ごちそうさまでした」と鋼鉄蠍の殻に手を合わせて顔をあげる。
「百年前の初代建国王はもう亡くなってますけど、今の王さまなら王都にいますよ。たしか、建国王の直系だったはず?」
「そうか、あれの血を引く者がいるか。ならば会いに行くか」
いくぶん表情を明るくしたグラトニーに、イーダが「はいです!」と並んだ。
「……お前と連れ立って歩くつもりはないんだが」
「わたしは行く気満々です。暴食の魔人のお腹の強さの秘訣がわかれば、世界じゅうの美味しいものを食べたいというわたしの野望に大きく近づけるのですっ!」
「秘訣もなにも、そういう魔人だからだが……」
「グラトニーさん、王都の場所わかるんです?」
呆れ気味なグラトニーの視線もなんのその、イーダはにっこり笑顔を向ける。
「……聞けばわかる」
「誰に聞くんです、こんな砂漠で。それに、歩いて行くんです? 今なら先着一名さま、わたしの浮揚板(ホバーボード)に乗れますけど?」
にこにこしながらイーダが見せたのは、彼女の細腕で抱えられるほどの小ぶりな板切れ。
「なんだ、それは」
怪訝な顔で板切れに目をやるグラトニーにイーダは目を丸くし「ああ、そうでした」と納得したようにうなずく。
「こちら浮揚板と言いまして、魔核のエネルギーで浮かぶ板なのです」
いつの間に取りだしたのか、黒光りする甲殻蠍の魔核を板の底の穴にかぽりとはめて、そっと地面に置く。すると、イーダの手から離れた板は砂の上にふわりと浮かんだ。
「簡易な移動手段として開発されたのですが、なにぶん最新技術ですので。おじいちゃん魔人さんはご存知なくても仕方ないのです」
「おじっ!?」
イーダが気をつかった発言にグラトニーは絶句した。
「魔人は不老だ!」
「そうなんですか! それは何よりです」
明るく笑ったイーダは浮揚板に飛び乗り、器用にバランスを保ったままグラトニーの手を掴んだ。
「それじゃあ、遠慮なく行けますね。最大出力で王都目指して、ゴーゴーです!」
言うが早いか、後部を踏み下げたイーダの動きに合わせて浮揚板がぐんと前進する。
「うわっ」
「もっともっとー!」
波に乗るかのように板を傾けた彼女の脚下で浮揚板はぐんぐん加速していく。赤く焼けた砂を青空にまき散らしながら、二人の姿はあっという間に遠ざかって行った。
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