博士、月にたつ

甘乃夏目

博士、月にたつ

ルミエドエミール博士の独白


「諸君らは、最初に月に降り立った人物をご存じかな?」


「人類が月に降り立ったのは、1969年――アポロ11号。

だがな、諸君。真に月と心を通わせた者は、未だこの世にただ一人……

この私、ルミエド・エミール博士だけなのだよ。

私こそ、月に降り立った“最初”の人類なのだ。

諸君らの知る歴史は、改竄されておるのじゃよ……

信じるか信じないかは、諸君ら次第じゃがな……」


この問いかけから、すべては始まる――。



【ルミエドエミール博士】


若き頃は工学博士として一世を風靡した”元”天才科学者。42歳、男。


モノクルを光らせ月――アルテミスに思いを馳せる”賢者”。


夜空に浮かぶ月を愛おしげに見上げ、その熱き想いの丈を話しかける。――というか、ぶちまける。


「おぉ……今日も美しい私のアルテミス。

我が人生、無重力。それを引き寄せる君は、重力を持った奇跡……

星をいくつ数えたら、この鼓動は君に届くのだろう……?」


「アァァアルテミスぅうううううッッ!!」


ふきふき……これは敬意だ。聖なる儀式だ。

そう、私が尊ぶものにしか行わないのだ。

……そう、君は私にこそ相応しい。そして、私こそが君に相応しい。


君のために――君のためだけに貫き通してきた私の純なる想いを、受け取ってくれまいか?

いつしか彼は涙に暮れていた。

泣きたくなったのではない。知らず知らずのうちに、滂沱の涙がとめどなく溢れてくるのだ。

これでも天才と謳われた頃は、モテていた。

……物好き?仕方なかろう?それなりに整った容姿に、当時すでに”天才”ともてはやされたのだ。

誘う事なぞせずとも見目麗しい女性から、――いくつものダンスのお誘いを受けておったものじゃ……。


まぁ、ダンス程度には付き合ってやったがな?可哀想であろう?

いくばくかの勇気を振り絞って、男子に声を掛けて来た乙女を無碍にするなど……紳士の行いでは無い。

しかし、わしは頑なであった。キスすら拒み、抱擁すら拒んだのだ。


その当時からわしには想いを捧げた女性がおったのだから致し方もない話じゃな。

故にわしは清いままよ……。賢者の先の称号は知らぬがな……そうなる前に、想いを遂げたいものじゃな……

見上げる先には、博士の想い人――アルテミスが、誘うように光り輝いていた。

月へ向かう



わしのひたむきな想いは、実った。

数人の篤志家が、多額の寄付をしてくれたのだ。

……過去にわしが袖にした女性たちの親御さんたちだったがな。

将来を約束したら、けっこうな額を寄付してくれた。


……まぁ良いだろう。


かの、ノーグチヒデーヨという偉人ですら、資金を”カリパク”してトンズラこいたらしいからな?

そういう偉人ですらそんなザマなのだから、”元”天才のこのわしがそうであっても致し方なかろう?

心配するな。わしだって教鞭の傍ら貯めたお金を出すのじゃ。月世界旅行のためにな。



****



博士の散らかった部屋には、大きな黒板が掛けられている。

そこには、いびつな〇と、それを取り巻くように渦巻く線。

その先には、手描きの砲弾――。


その下には、怪しげな数式がびっしりと……。

一応、真面目に計算はしておるようだ。

この式を、博士は何十年もかけて編み出したのだろうか?


机の上にはガラスの金魚鉢。埃を被ったホースも乱雑に打ち捨てられている。


部屋に入って来たのは、資金を提供した”複数の親”たち。


待てど暮らせど、音沙汰の無い博士に業を煮やして、取り立てに来たという訳だ。


「貸した金を返すか?娘を娶るか?」と迫る予定だったが、研究室はもぬけの殻。


「あいつ……騙しやがったなぁあ!!!」

怒りの大合唱は、研究所の壁を越え、遠く離れた村々にまで響いたという――。

その時、一冊の日記が、彼らの手に渡っていた。


計画の詳細を記した博士の『月世界への日記』だ。


それは後に、――遥かな未来に民家の書棚から発見されることになる。

そうして、予想もしない”混乱”を巻き起こす火種になるのだった。



****


1902年の春――


狂喜を含んだ博士が砲弾に乗りこむ。

飛行服に金魚鉢のヘルメット。

行けるという熱い思いだけで、その身を砲弾に任せる。


「ほんとに良いんですかい?」

心配気な顔で田舎訛りの男がそう尋ねて来た。


「わしは行く。40年の想いを乗せて行くのじゃ……やってくれ」


「……ヘイヘイ」

そう言うと男は、躊躇なく大砲の導火線に火を点けた。


『ドォオオオオン』


轟音と共に空気が揺れ、地が鳴る。


同時打ち出される砲弾。


物凄い勢いで、飛び出す。


凄まじい爆音と共に、圧倒的な風圧が吹き荒れる。


乗り込んだ砲弾の中、博士の顔の皮膚は後ろに引っ張られ、


唇は勝手にめくれ上がり、歯がむき出しになる。


「し、死ぬかと思ったぁ!!」


それでも――砲弾は地球を半周して、宇宙へと飛び立って行った。


かくして、博士は砲弾に乗って、金魚鉢を被って……。

勇躍、月へ向かったのだ。

艱難辛苦を乗り越えて


地球は、宇宙に浮かぶゆりかごのように、青く美しかった。

それがルミエド・エミールの率直な感想だった。


砲弾の中は三重構造になっている。

最上部が装甲触角。

二層目が船室兼寝室。

最下層が食物庫だ。

トイレは最下層から放出だ。


地球軌道に留まる氷の粒になるか、

引力に負けて落下するかだろうが、

心配はないどうせ燃え尽きる。

それにある程度溜めてからそうするのだから、問題は無い。


宇宙で見る星々は、地上から見る夜空とはまた違った趣があるな……。


あの星々にもわしらと同じような人間が住んでいるのだろうか?

地球にも沢山の人が住んでいるが、容姿も思考もそこまでの隔たりはない。

きっとこの宇宙も同じような容姿を持った人類が文明を築いているのではないのだろうか?


有り余る時間を博士は”妄想”という無限の中に、自ら迷い込むことで時間を潰した。


「ガスッ」砲弾が大きく揺れた。右方向へ1度ズレた。

これは、不味い。軌道が変わる……人生でこれほど焦った事は無い。


どうする?

砲弾の壁を蹴ってみるか?

長引くほどに状況は悪くなる。

意を決して、蹴ろうとした瞬間。


「ドコン」という鈍い音とともに砲弾の鉄の壁が凹んだ。


――これは、運が良い。軌道が正常に戻ったかもしれない。


そう思った矢先に、何やら光の玉のようなものが天窓から見えた。

それと共にクラシックな音楽が鳴り響く。


一体、何なのだろうか?幻聴か?幻覚か?


幾つもの光る球体が博士の乗った砲弾を追い抜いて行った。

ルミエド・エミール博士月に立つ


ボスンという間の抜けた音と僅かな衝撃を伴って、砲弾が月にめり込んだ。

椅子から立ち上がった博士は、ごつごつとした岩を眺めて目を輝かせた。


「わしは来た!愛するアルテミスの元へ」


砲弾の上で両手こぶしを振り上げて喜びを爆発させる。

そうして本来の目的を果たすため妄想を迸らせる。


なにやら地平の向こうでわらわらと黒い影が騒めいている。


――まさか?月人とかか?


不味い!これは早くに目的を果たさねば……博士は焦ったが、砲弾内で既に興奮はMAXだったので、迸りは遺憾なく(残念なことに……)発揮されてしまっていた。


振り向くと、先ほどの黒い粒は明らかに人の形をした人間だった。


彼らは何やら映写機っぽい物を肩に担いでいる者も居た。

手に手に棒のようなものを持っており、それをわしに向かって突き出してくる。


『放送室放送室。聞こえますか?こちら月面レポーターの○○○○です』

『ようやく到着されたようです。人類初の月面到着を果たしたルミエド博士です』

『確かに、日記に期された年にやって来ていました』


『――ずいぶん待ちましたよ?博士随分遅かったですね?でも、でも博士の素晴らしい偉業を目の当たりに出来て光栄です』


『地球で見ている未来の人々も博士の偉業を心から祝福されているようです』


『ぜひ、月面に降り立った最初の人類として喜びの一言を頂戴したい』



――良く判らないが、彼らはどうやら、わしの日記をみた……未来人らしい。

わしの偉業を喜んでくれてるらしいが、褒め称えるならそこじゃないだろう?


「アルテミスに生命の種を蒔いた事を讃えるべきだ!」


『どうやら博士は興奮しておられるようです。以上人類史上初の偉業月面に降り立った博士の中継を終わります~』



****



その混沌とした現場に、更なる一団がやって来た。


手に手に玩具のような光線銃を携えている。


「我々はタイムパトロールだ。歴史の改竄は許されない!よってタイムパトロール法第9条の三項を適用する。――ここに居る全員を拘束しろ!」


そうして、博士とTVクルー全員が拘束され、どこかへと連行されて行った。


歴史はこうして塗り替えられたのだ――信じるか信じないかはあなた次第だ。



そう語り終えて、博士は黒板に背を向けた。

拍手は無かったが、講義は――確かに終わった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

博士、月にたつ 甘乃夏目 @nekodake774

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ