6
ふわり、と体が浮く感覚。次の瞬間、背中が強烈なGを受けて、羽依里の体は闇の中へと撃ち出された。
「────っ!」
声にならない声が喉の奥で詰まる。視界は、ない。目を閉じても開けても、同じ漆黒が広がっているだけだ。上下左右の感覚が曖昧になり、自分の体が今、どういう状態で、どちらへ向かっているのかも分からない。ただ、猛烈なスピードで落下しているという事実だけが、全身を駆け巡る風圧と、チューブの壁に体が叩きつけられる衝撃で伝わってきた。
ごおおおお、と風を切る音が耳元で唸る。時折、カーブで体が壁に擦れる、プラスチックの乾いた摩擦音が響く。それは、自分がまだこの筒の中に存在しているという唯一の証だった。
怖い。
でも、それ以上に、不思議な解放感があった。
ここでは、誰も私のことを見ない。私も、何も見なくていい。名前も、過去も、未来も、何もない。ただの、猛スピードで闇を突き進む、一つの塊。それだけだった。
日常のすべてが、脳裏から剥がれ落ちていくようだった。昨日の憂鬱も、明日の不安も、この圧倒的な『今』の前では、意味をなさない。ぐるり、と体が捻じれる。逆さまになったのかもしれない。でも、どうでもよかった。今は、この闇と速度に身を委ねているのが、ただただ心地よかった。
永遠に続くかと思われた落下は、唐突に終わりを告げた。
視界の先に、ぼんやりとした光が見えたかと思うと、次の瞬間、羽依里の体はチューブの出口から外へと放り出された。
ざざっ、という音と共に、砂と枯れ葉が溜まったプールの底に着地する。受け身を取りきれず、そのまま二、三回転がって、ようやく止まった。
「……はっ、…はあ…っ」
仰向けに倒れたまま、ぜいぜいと肩で息をする。全身が擦り傷だらけで、服は埃と枯れ葉にまみれていた。夜空に浮かぶ、欠けた月がやけに白く見える。
「…うおっ、はいり!?」
寛の声がして、駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「大丈夫か、お前。すげえ勢いで飛び出してきたぞ」
「…平気」
羽依RIは掠れた声で答え、ゆっくりと身を起こした。
見ると、寛も真奈も江莉も、すでにゴール地点に集まっていた。みんな、羽依里と同じように服を汚し、髪を乱していたが、その表情は一様に高揚していた。
「やっばかったー! 超スリリング!」
真奈が興奮冷めやらぬ様子で言った。
「ケツの皮、一枚むけたわ…」
寛が、痛そうに自分のお尻をさすっている。
江莉は黙って自分の腕の擦り傷を見ていたが、その顔は決して不満そうではなかった。
「…思ったより、スピード出たな」
ぽつりと呟いたその言葉は、彼女なりの賛辞のように聞こえた。
羽依里は、三人の顔を見て、そして自分の汚れた両手を見て、ふと、笑いが込み上げてきた。最初は小さなものだったが、一度漏れると、もう止まらなかった。
「ふ、ふふっ…あはははは!」
何がおかしいのか分からない。でも、ただ、可笑しかった。馬鹿げたことをしている自分たちが。傷だらけで笑っている仲間たちが。そして、こんなにも晴れやかな気持ちになっている自分が。
羽依里の笑い声につられて、真奈も、寛も、そして最後には江莉までもが、くつくつと笑い出した。誰もいない巨大な廃墟のプールに、四人の若い笑い声が響き渡る。それは、どんな音楽よりも、自由で、力強い響きを持っていた。
アクア・パラダイソのウォータースライダー kareakarie @kareakarie
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