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国道を外れ、街灯もまばらな山道に入ると、車内の空気は少しだけ変わった。真奈の他愛ないお喋りが途切れ、寛の軽口も影を潜める。カーブが続く暗い道を、江莉は慣れた手つきでハンドルを切りながら進んでいく。ヘッドライトが照らし出すのは、鬱蒼と茂る木々と、時折現れる古びたガードレールだけだった。
「…本当にこっちで合ってんの?」
沈黙を破ったのは江莉だった。
「間違いねえよ。俺のナビを信じろって」
助手席の寛は、スマートフォンの地図アプリと睨めっこしながら答える。その画面の光が、彼の真剣な横顔を青白く照らしていた。
「この先にもう一つカーブを曲がったら、古びたゲートが見えるはずだ。そこが入り口」
「ちゃんと入れるんだろうね。施錠されてたりしない?」
「そこはまあ、なんとかする。そのための『道具』は江莉ちゃんの担当だろ?」
寛がにやりと笑うと、江莉は「面倒な」とだけ呟いて、それ以上は何も言わなかった。
やがて、寛の言った通り、ヘッドライトの先に巨大な鉄製のゲートが姿を現した。錆びついて赤茶けたゲートには、『アクア・パラダイソへようこそ!』という、ペンキが剥げかけた陽気な文字が残っている。その横には、椰子の木を模したであろう、色褪せたプラスチックのオブジェが虚しく立っていた。
「うわ…」
後部座席から真奈の小さな声が漏れる。
「なんか、想像してたより…本格的」
「だろ? ここは『本物』なんだよ」
寛は満足そうに頷いた。
江莉はゲートの前で車を停め、エンジンを切る。再び訪れた静寂の中、虫の声だけがやけに大きく聞こえた。羽依里は車の窓を開け、夜の空気を吸い込む。草いきれと、湿った土の匂い。遠い昔の夏休みの夜を思い出すような、懐かしい匂いだった。
「さて、と。じゃあ、開錠の時間だ」
江莉はそう言うと、運転席の足元から工具の入ったバッグを取り出し、こともなげに車を降りた。彼女が南京錠にピックを差し込み、格闘を始める。その手つきは、まるで熟練の外科医のようだった。寛も車を降りて、その様子を面白そうに眺めている。
「江莉ちゃんの手にかかれば、開かない鍵は無いってね。まるで魔法使いだ」
「うるさい。集中できないから黙ってて」
「はいはい」
羽依里と真奈も車から降りて、ゲートを見上げた。闇にそびえる『アクア・パラダイソ』の文字は、まるで異世界への入り口のようだ。真奈はスマートフォンを取り出して、何枚か写真を撮り始めた。
「ねえ、はいりちゃん。このゲート、めっちゃ良くない? 廃墟感っていうか、リミナル感っていうか…」
「うん。色が、いいね」
「色?」
「錆びた鉄の色と、剥げたペンキの色。時間の感じがする」
「そっか…そういう見方もあるんだ。はいりちゃん、やっぱなんか違うね」
真奈は感心したようにそう言ったが、羽依里にはその言葉の意味がよく分からなかった。ただ、そう見えたから、そう言っただけだ。
数分後、カチリ、という乾いた音がして、江莉が「開いた」と短く告げた。南京錠は、あっけなくその役目を終えたようだった。
「さすが江莉様!」
寛が大げさに拍手をする。
「あんたがもっとマシな場所見つけてくれば、こんなことしなくて済むんだけど」
「いやいや、簡単に入れる場所なんて面白くもなんともないだろ? この、ちょっとした『侵入』の背徳感がスパイスなんだよ」
「犯罪者予備軍のセリフだね、それ」
憎まれ口を叩きながらも、江莉は重いゲートをゆっくりと押し開ける。ぎいい、という不気味な音を立てて、忘れられた楽園への道が開かれた。
バンを敷地内に乗り入れ、再びゲートを閉じる。これで、外の世界とは完全に遮断された。まるで、自分たち四人だけが、この巨大な廃墟に取り残されたような感覚だった。
「よし、じゃあメインの波のプールまで歩くぞ。懐中電灯は各自持ったな?」
寛がリュックから強力なLEDライトを取り出しながら言う。三人もそれぞれ、自分のライトを点けた。四本の光が、暗闇の中を心細く照らし出す。
目の前には、かつて駐車場だっただだっ広いアスファルトの広場が広がっていた。引かれた白線はほとんど消えかかり、所々から生命力の強い雑草がアスファルトを突き破って生えている。その光景は、自然が人工物を飲み込んでいく過程をまざまざと見せつけているようだった。
「なんか、すごいね…」
真奈がぽつりと言った。彼女の言う通りだった。すごい、としか言いようがない。巨大な何かの死骸の腹の中を歩いているような、不思議な感覚だった。
「昔はさ、ここ、車でいっぱいだったんだろうね」
羽依里が言うと、寛が振り返った。
「ああ。家族連れでな。日曜なんかは、駐車場に入るのに一時間待ちだったらしいぜ。信じられるか? この場所に、そんな時代があったなんて」
寛の言葉に、誰も答えなかった。四本の光の束が、暗闇の中をゆっくりと進んでいく。目指すのは、今はもう波の立たない、巨大なプールの底だった。
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