第3話 対局
壊滅した東京の夜は冷たく静まり返っていたが。
その日、世界のニュース番組はどこも“東京”を連呼していた。
CNN、BBC、CCTV……どの局も、爆心の衛星写真を映しながら言葉を失っていた。
『東京が消えた――前触れなく、地図から。』
『We are calling it “Tokyo Fall.”』
スクリーン越しに響く悲鳴と叫びが、豪魂の鼓膜の奥で反響していた。
「奴はどこにいて、次のターゲットは?
あの野郎ほどの
司雨の次のターゲットは神奈川。
当然都市は壊滅。
鳴り止まないニュース報道。
とめどないSNSの声。
#TOKYOFALL、#KANAGAWAFLAME、#鎖の悪魔――
SNSは既に半ば狂乱していた。
“語る者”はいなかっただけで。
抗おうとした者はいた。
爆心地からの低周波を測定した学生、鎖の痕跡をCGで再現した動画職人、道路に残された“焦げ痕”を衛星写真と照らし合わせたライター――
そのどれもが、負力を使えぬただの人間だった。
だが彼らは、“見える”というだけで負力の影を捉え、自ら進んで記録を残していた。
セレス・フロンティア財団は彼らを《自滅の駒》と呼んだ。
御駒にもなれず、ただ“影を観測する者”。
彼らが投稿した負力の可視化画像は当初、陰謀論かミームとして片づけられていた。
しかしその映像が妙にリアリティがあって人を納得させる説得力が確かにあった。
それとなぜか――新横浜中華街だけは無事だった。
「おかしい――なんなんだコイツはっ!
なぜ中華街だけ素通りした!?」
その異様さは、既に海外でも話題になっていた。
「TOKYO FALL」に続くキーワードは「神奈川 DROP」。
SNSでは、“壊滅の巡礼”と皮肉られ、各国のニュースは司雨の進行ルートを予測する図を流していた。
司雨はすでに、世界にとって「誰かが止めなければならない災厄」だった。
その夜、司雨の姿を見たという者はいない。
だが監視カメラに一瞬だけ映っていた影は、ありえない角度でビルとビルのあいだを滑空していた。
彼の移動手段は、都市の構造そのものだった。
鎖の先端にある“楔”――
それをコンクリートや鋼に突き刺し、引く。
まるで蜘蛛の糸のように、建物を飛び越え、都市を遊泳する。
風を切る音とともに、黒い影が宙を駆けるたび、
「鎖の悪魔」という異名が確かな輪郭を持ち始めた。
連日各都市は壊滅。
もはや司雨の通った後には瓦礫と血なまぐさいクレーターしか残らず、次に壊滅したのは静岡市だった。
――SNSの声
「もう……ダメだ――おしまいだっ!」
「災害は南へ下っている……?」
「少なくともウチら青森県は無事かな……ハハッ……」
「コイツ……まさか次のターゲットは大阪かッ!?
にしても――まるで買い食いするかのような気軽さでポンポンと地方都市を壊滅させてきやがるッ!!」
ネットでは、#NEXTOSAKA が一気にトレンド入りしていた。
「壊滅の鎖、次の一撃はどこか」――その話題だけでニュース枠が埋まる。
“予測AI”が地名を並べ、“壊される順”でオッズが組まれ、賭けの対象にまでなっていた。
もはやこれは終末のギャンブルだった。
数日前から断続的に続く異常な負の気配の断片。
ニュース映像、監視カメラの映像、目撃情報を総合し、豪魂はひとつの結論を導き出した。
「奴は……大阪に向かっている――」
明らかにその壊滅の足跡は大阪へ向かっていた。
情報の端々には、突如として降り注ぐ黒い鎖の残像がわずかに映り込んでいる。
凡人には見えぬ負の紐帯だが、豪魂の目には明瞭だった。
さらに警察の未公開映像や民間の監視カメラの夜間記録を入手し追跡。
「奴は必ず浜松を通る――そこで待ち伏せだ」
政府はすでに機能不全。軍も動けず、宗教団体のいくつかは“台風の目”を神の代行者と見做していた。
各国は沈黙し、国連は“危険区域指定”だけを発表。
世界はただ、崩れ落ちる列島を見ていることしかできなかった。
浜松に足を運び、じきに来る厄災の魔王相手にどんと構えていた。
異様な気配が染みついた物陰、濡れた路面の黒い染み、凍りついた空気感――。
「ここだ」
豪魂は深呼吸し、肩の力を抜いた。
負の波動は確かにこの場所にあった。
「奴の居場所は、この辺りのビルの谷間だ」
ここで怨霊の反応が鋭くなる。
残留した怨念が生々しく漂い、捕縛のタイミングを知らせている。
豪魂は拳に力を込め、テンガロンを深く被り直した。
「さあ、行くか……」
夜が深まる浜松。
住民の九割は災害に巻き込まれまいと県外へ逃げ出す。
誰も居なくなった鉄骨とコンクリートが積み上がるビルの谷間、路面が寂しくぼんやりと街灯に照らされていた。
豪魂一人除いて。
司雨はそこにいた。
《忌葬・星落》。黒衣の忌み子が、肩に垂れる鎖を引きずりながら歩いている。
「気づきやがったのか――誰もいやがらねぇ……
まぁいい……なら奴らの帰るところを潰しておくだけだ」
その伽藍堂になった浜松に司雨は目を細めた。
「……目障りだな、更地にしてやる」
鏃の付いた鎖が虚空に舞い、ビルや建造物に突き刺さる。
──引く。ただ、それだけで。
「おいおいおい、待った待った待った――!」
鈴の音とともに、数発銃声がした。
しかし遅かった――司雨はすでに手繰った後だった。
次の瞬間、司雨の背後から、金属音と霊煙が弾ける。
「――ああ……間に合わなかったか……」
立派な建物も残骸と化す。
「誰だ……?」
ゆっくりと振り返る司雨の前に現れたのは、テンガロンを被った異様な男。
霊骸導 豪魂――御駒の一人。
御駒とは運命に選ばれた負の奴隷である。
「はじめましてだな、お嬢ちゃん。
自己紹介しとこうか。俺はゴーダマ、魂の道先案内人だ」
「お前……」
司雨の目が殺意に染まる。
「オレと同じ匂いがすんな――
お前も相当苛まれていたんじゃないのか――?」
御駒同士だからか――互いに負のオーラが見える。
「まぁ、オレも望まねぇ不幸にさんざん苦しめられてきた身だ。
ちったぁお前の気持ちも分かるはずだ。
――ってお前男だったのか!?」
「はぁ――?」
「いやさ、仮面つけてるからわかんねぇんだよ。
それにさ?お前髪長ぇし――口紅っぽいの塗ってるように見えるしよ……」
司雨の唇には確かに艶やかではあったが、あからさまに赤くは無かった。
「……」
「あっ、いやっ!バカにしているわけじゃあねぇんだ!謝らしてくれ!すまん!」
豪魂は急いで頭を下げる。
「なぁ、お前の名前も――教えてくれよ」
「――司雨(しぐれ)」
「ん?女っぽい名前だな」
「男の名前で悪ぃかよ――」
「アッ!すまん――!またやっちまったー!!
オレ思ってることはすぐに口に出しちまうんだ。
ガキの頃からのクセでよ、婆ちゃんによく言われてたんだ。
素直な子になれってさ――」
「どうでもいいが、オレの邪魔はするな……この世界がオレを見下し続けたこと。
ぜってぇ許さねぇ――」
「そうとうつれぇ思いをしたんだな――
安心しろ、オレにお前を邪魔する気はねぇ。
それにお前の負力、ゴリゴリに見せてもらったぜ。
気持ちは分かる。誰にも必要とされねぇ夜が続けば、そりゃあ爆ぜたくもなるよなぁ?」
しかし司雨は聞かない。
鎖が一斉に逆巻く。
「黙れ! オレの世界を知らねぇ奴が気安く語るなッ!」
怒りの咆哮とともに、複数の鎖が一斉に豪魂を襲う。
──だが。
「来ると思ってたぜ」
豪魂は反応が早かった。
負力を纏った投げ縄で鎖を絡め取る。
司雨の負力は凄まじい。遠距離からの飛び道具の手数、対象への感知能力、そして攻撃の多段同時展開。
どれを取っても“御駒”としての経験を無視して、最上級に匹敵する制圧力を持っていた。
(おいおい、こいつマジで天災かよ……!)
内心で呻きながらも、豪魂は装填されたリボルバーを構える。
だが撃たない。あくまで迎撃用の姿勢だ。
「なぁ、ちょっとだけ聞いてくれねぇか。オレはお前を殺す気で来たわけじゃねぇんだよ。
むしろ――話をしに来たんだ」
「話だと? オレに? こんな泥の底に堕ちた奴と?
ムリだろ――」
その声に、豪魂の額を一筋の汗が滑る。
(こいつ……自分が人間って実感がない。
力の限り、災いを振りまくつもりだ――)
だからこそ、説得するしかない。
豪魂は踏み出す。
その目は、怒りをぶつけてくる少年に真っ直ぐ向けられていた。
「オレがやってきたのは、お前を“引き止める”ためだ。
もう一歩先は、誰も戻れねぇ世界なんだよ」
「だったらどうしたッ! オレは行けるとこまで行ってやる!!この世の地獄で全てを呵責してやるッ!!」
怒りとともに、鎖の一本が地を裂いた。
瓦礫が吹き飛び、鉄骨がねじ曲がる。
その直撃を、ギリギリのところで“しめ縄”が軌道を逸らす。
豪魂の腕が痺れる。
(こいつは……“御駒”じゃなかったら、確実に殺されてたな)
だが、逃げない。
この少年は、今まさに“負蝕”後で新しいおもちゃを――手に入れた子供のように力を振り回している――。
そのまま暴走すれば、いずれ世界を呑み込む怨霊になる。
――だったら、今ここで。
「おい、大スター。お前はまだ、やり直せる。
だからこそ、俺たち“生者”が話せるうちに――一つだけ、聞かせてくれ」
──その叫びに、司雨の動きが一瞬止まった。
「今度は説教かァァッ!?」
「しまった――
故郷の京都で染み付いた皮肉と婆ちゃんの説教を――つい言っちまったっ」
怒りとともに、司雨の鎖が地を裂いた。
瓦礫が吹き飛び、鉄骨がねじ曲がり、建物の壁が音を立てて崩れ落ちる。
――その直撃を、豪魂のしめ縄が軌道を逸らす。
だが、爆風の一撃は防ぎきれなかった。
吹き飛ばされた空気が叩きつけられ、豪魂の身体がバランスを崩す。
「……ッ!」
身体をひねって着地するも、左腕の袖が裂けて血が滲む。
あくまでも“しめ縄”は捕縛の術具。物理的な暴力を真正面から防ぐ手段はない。
(おいおい……マジで冗談じゃねぇ……!)
軽口を挟む余裕すらなくなるほど、司雨の負力の出力は圧倒的だった。
おそらく、御駒としての成熟などまるでなく、ただむき出しの怒りと絶望だけで動いている。
だが、それゆえに恐ろしい。
(こいつ、“負蝕”したてでこの出力ってことは……こっからさらに上がる可能性がある……!)
豪魂は歯を食いしばり、リボルバーを引き抜く。
──呪怨弾。
中に封じられたのは、理不尽に殺された未練霊、凍死した浮浪者、廃寺で焼死した盲僧――
すべて、豪魂が対話の末に契約し、撃つことで少しずつ成仏に向かわせている怨霊たちだ。
「いいか、お前の怒りはよく分かる――でもな、そのまま進んじまえば、本当に何も残らなくなるだけだ!」
叫びながら、豪魂は呪怨弾を発射した。
霊煙が螺旋を描き、司雨の鎖に命中する。
呪怨弾は、物理ではない。
“呪い”を持って鎖そのものに干渉し、性質を鈍らせる。
鎖の動きが鈍った。
その隙に、豪魂は再びしめ縄を放ち、足元の一本を絡め取る。
「ッ……なんだ、その弾は」
「成仏しきれねぇ奴らさ。オレの“相棒”ってわけだ」
鎖が軋む。司雨は素早く手繰り寄せ、しめ縄から引き直そうとするが――
「……ああ、そっちは時間稼ぎ用だ。効き目は薄いが、心は籠ってるぜ?」
軽口を叩きながら、豪魂は距離を取る。
接近戦など不可能だ。
負力の感知でこちらの動きは、おおよそ分かる。
物理の直撃を一発でも喰らえば、それだけで終わる――
だから、豪魂は一歩も踏み込まず、“話す”。
「司雨! まだ遅くねぇんだ! お前はまだ死んじゃいねぇ!」
「何を言ってやがる――!」
司雨が負力をさらに噴き上げる。
地面から黒鎖が五本、同時に生え、刃のように蠢く。
(来る……っ!)
豪魂はリボルバーを構え、引き金を引く。
今度は、目玉をえぐられて殺された少女の霊を込めた弾――“盲の嘆き”。
弾が鎖に炸裂し、広範囲に視界を奪う幻霧を展開する。
司雨の負力感知は、負力的干渉を受け、わずかに乱れた。
その瞬間、豪魂はさらに声を上げた。
「お前の怒りは、お前の中だけにあるもんじゃねぇ! 他の怨霊たちも同じなんだ!
お前のように、世界に踏みにじられて、どうしようもなくなって、矛先を他に向ける奴らが!
でもな、だからって世界を壊していい理由にはならねぇ!
だって壊しても、お前の中の“喪失”は埋まらねぇだろ!?」
──言葉が、かすかに、司雨の足を止めた。
「……はっ……!笑えるな――それがどうした――」
その乾いた笑い声に、豪魂の目が細くなった。
ああ――こりゃ通じねぇわ。
何度も同じことを反芻してきた奴の訴えだ――
何度も正しい道に歩もうとするが、運命がそれを許してくれちゃいねぇ。――オレよりひでぇ扱いを受けてきた奴なんだろうな――
「じゃあよ――オレが願いを聞いてやる――
できるだけ穏便なやつにしてくれよ?」
そのときだった。
司雨の背後から、さらなる負の波動が噴き出した。
まだ、暴走が収まっていない。
──あるいは、今ようやく“自我”が揺らいだ証。
だが、油断はできない。
豪魂は銃口を下ろし、最後の呪怨弾を込め、トリガーに指をかけた。
――これで改心してくれなけりゃ、次は強制封印の大博打に出るだけだ……
「願い――?それなら一つだけある――」
「ああ――なんだ?」
もはや期待してなどいない――
――こいつはきっとこう言う。
「「世界を落とす」」
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