第2話 手網はオレが握る

それは、星が血を流した夜から明けた翌朝のことだった。


大都市・東京の駅前スクリーンでは、クリスマスの惨劇を伝えるニュース映像が繰り返し流れている。


「昨夜未明、都内にて多数の爆発的死体が発見され……」


血に染まったアスファルト、散乱する肉片、悲鳴とパトカーのサイレン。

どの映像も、見えるはずのない“何か”は映していない──はずだった。


だが、そのニュース映像を別の角度から見つめる男が一人いた。


和装にテンガロンハット、片手には使い込まれた真鍮製のリボルバー。

首には紙垂(しで)のようなスカーフ。

黒のジーンズに皮のガンベルト。右腰にはお守り、左腰には怨霊を込めた弾丸がざわめく。

和洋折衷の革命的ファッションを正面突破で着こなす、和製カウボーイ。


名を――霊骸導・豪魂(れいがいどう ごうだま)。


「……あーあ、とうとう出ちまったか──」


京都のある喫茶店で新聞をくるくると丸めながら呟いた。


モニターに流れる防犯カメラ映像。

一見、何の異常も映っていない。


だが、**“負に選ばれた者”**である豪魂の目には──

空から降り注ぐ無数の黒い鎖が、はっきりと見えていた。


あの夜、何の前触れもなく現れ、カップルたちを地獄へ叩き込んだ鎖。

現場にいた不審な黒装束の男。

ハロウィンでもないのに気合いの入ったその姿が、脳裏に焼き付いている。


「さて……どんな奴がこんなことをやらかしたのかは知らねぇが、

 こんなデカイことやりゃ、黙ってるわけにもいかねぇだろうな。

 ……はぁ、この野郎が誰なのか調べなくちゃな──」


豪魂は一口抹茶を飲み、窓の外の空を仰いだ。


「幸か不幸か、生きているうちに負蝕してくれて助かったぜ。

 負に選ばれるような奴が死んで怨霊になったら……はぁ、考えたくもねぇが、

 それこそ世界を割る勢いで厄災を撒き散らすだろう。

 だが、生きているうちなら、まだ何とかなる──」


机に置かれた真鍮のリボルバーを手に取り、ゆっくりとシリンダーを回す。


五発の弾丸が収まっている。


一発一発には、丁寧に手彫りされた経文と、護摩で焦がされたような黒焼きの文様が刻まれている。


その弾頭からは、微かに呻くような怨嗟の声が漏れる。

聞こえるのは、負に選ばれた者か、死を覗いた者だけだ。


「……喚くな喚くな、ちゃんと撃ってやるからな。

 それが供養ってもんだろう」


ぽつりと呟き、懐から取り出したお守りを銃身に結びつける。


「“おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどまじんばら はらばりたや うん”……っと。

 よし、準備万端だ」


このお経は彼にとって習慣のようなものだった──

怨霊にとっては何の意味もないが、自分自身へのおまじないとして。


豪魂はテンガロンハットをくいと押し上げる。


「お前が本当にやりたいことは、ただの不満解消か、

 それとも──この世界への喧嘩か。

 どっちにしろ、“放っといたら冗談じゃ済まねぇ”のは確かだ」


リボルバーの柄を軽く撫でながら、つぶやく。


「ま、まずは一発、挨拶代わりに撃ちにいくか」


そう言うと、喫茶店のドアを開けた。


その瞬間、背後の椅子がパタンと倒れた。


誰も触れていない、誰も近づいていないはずの椅子。


「怨霊が、期待している証」だ。


豪魂はそれに気づいていたが、振り返らない。


「ああ、分かってるさ。

 オレの仕事は、お前ら全員を撃ち尽くすまで終わらねぇ」


肩をすくめ、街へと歩き出す。


その背中から、灰色の霊煙を帯びた紙垂がふわりとたなびいた。


鈴の音がカラリと風に揺れる。


豪魂は街を歩く。

その足取りは、死者の行列を率いる僧兵のようだった。


左腰に吊るされた弾薬ケース──中には契約を終えた怨霊たちが眠っている。

それぞれ怒りや未練、哀しみを込めて、たった一発の弾丸となった存在。


使えば成仏に近づくが、気が済むまで鎮まらぬ魂もいる。

つまり──使い回しが利くのだ。


だが、契約を拒んだ怨霊たちは別だ。

そのままでは無差別に禍を撒き散らす。


「封じた奴らの荷物がまた増えたな……重いわ、海まで持ってくのも。

 弾丸にして閉じ込められりゃ楽なんだがよ──ランプか提灯じゃねぇといけねぇってのが厄介極まりねぇ。

 頼むから大人しくしててくれよ──」


腰に下げたランプの炎が揺れる。


そうつぶやきながら、豪魂はビルの谷間に漂う気配へ視線を送る。


見えざる“何か”がそこに蠢いていた──


負の気配。


だが、一般人には何も感じ取れない。

この空間を覆う歪んだ気配は、ただ豪魂の背中にじっとりと汗を滲ませるだけだった。


「こんな荷物携えて、会っていいもんじゃねぇよな……

 とっとと怨霊の不法投棄をすませてくっか――」


 豪魂は踵を翻し、港へ向かう。


「にしても……あの鎖野郎、御駒ぎょくとしては最悪の初舞台だぜ──

 これから奴の周りには災厄が常にまとわりついて離れねぇだろうし、

 周りの人間をぜってぇ巻き込む……

 まったくとんだ大スターが、ご丁寧にロマンチックなクリスマスを真っ赤に飾ってくれたもんだぜ──」


呟きつつ、テンガロンのつばを少し下げる。


──負の奴隷。それが御駒の本質。

生まれながらにして誰にも愛されず、世界に選ばれた負の駒。

神に「飽きさせるなよ」と囁かれた存在。


 


 自家用車に乗り、港についた豪魂は潮風を全身に受けながら、海に揺れる月光を眺めながら呟く――


「こいつがもし死んだら、怨霊になった日には手がつけられねぇ。

 ……だったら生きてるうちに、“すっきりさせて”やるしかねぇな。

 大丈夫だ──問題はいつも通りにオールクリア。

 オレは数多の怨霊たちを無事に成仏させたプロの抜き屋だぜ?

 すっきりさせてきた奴はもう覚えちゃいねぇ。

 生きた人間にだってこのノウハウは通じるはずだ──」


この時点で、豪魂は殺すことも捕縛することも考えられなかった。


しかし、あれほどの殺意を撒き散らし、現れた瞬間に躊躇なく殺戮をする奴を相手にすると思うと──久々に震えが止まらなかった。


強制封印すりゃあいいって?

簡単に言ってくれるなよ──

封印にしても契約にしても、まず相手を捕まえなくちゃならねぇんだ。


──その間、敵が大人しくしてるわけがねぇ。


ましてや御駒だぞ?


──ハッ、ざけんじゃねぇ……。


 一つ引っかかることがあった――奴はなぜか若者ばかりいる都市部を狙う……

 なぜだ――?


まぁ――奴を大人しくさせるためには、

もっと効率が悪くて、もっと感情に根ざした対処が必要だ。


「語り合って、溜飲を下げさせる」


それができなければ、封印でも成仏でもない、

地獄そのものがこの世界に噴き出すことになる。


「まったく……オレら神さまも悪趣味なこって……

 飽きさせねぇな──ハッ……」


苦笑いの豪魂は特製の煙草を取り出し、火をつける。


スッと煙が立ち昇り、同時に右手に浮かぶコンパスが後ろを指す。


“負力の高濃度反応”。


──悪霊、怨霊が動き出した合図だった。


「東京は苦しみながら、死んでったやつらがあまりにも多い――

 こりゃあ今夜も残業だな……」


その言葉とともに、豪魂の背中から紙垂が舞い上がる。


次の瞬間、彼の背後に霊気の縄が形を持ち始める。


怨霊捕縛用の“しめ縄”だ。


宙を舞い、風に乗って光るその縄は、いずれも強大な怨嗟を封じる術具。


「行くぜ、相棒ども──

 オレの手網がある限り、お前らにゃ正しいストレスの発散をさせてやらぁ──」


ビルの谷間へと足を踏み入れる。



 

 ビルの谷間は静まり返っていた。

 人通りもなく、かすかにゴミと錆びた鉄の匂いが鼻をつく。


 だが──豪魂には、それとは別の“匂い”が感じ取れていた。


「……出てきやがれ。そこだろ」


 テンガロンのつばを軽く上げ、視線を据える。


 その先には、空き缶がいくつか転がっただけの、狭いサービス通路。

 だが、そこに立ち込める霊煙は尋常ではなかった。


 そして次の瞬間──


 “それ”は姿を現した。


 人の形をしていながら、目も口も縫い合わされ、腕と脚が針金で吊られたように歪んでいる。

 首からは名札が垂れ下がり、ぼやけた文字で「□□株式会社」とだけ読み取れる。


 「……労災すら下りねぇまま、過労死したか。よほど言いたいことがあったんだな」


 悪霊は答えない。ただ、呻くように「ア……アア……ア」と音にならない音を漏らし、フラリと一歩前に出る。


 豪魂はすぐさま、左腰からしめ縄を引き抜いた。


 その縄は風に逆らって浮かび上がり、霊気をまとって空中を走る。まるで生きているように、標的の悪霊へと一直線に伸びる。


 ──バシュ。


 しめ縄が悪霊の首に巻きつき、たちまち動きを封じる。


「お前がどんな死に方をしたか、どんな無念を抱えているか。……聞かせてもらうぜ。こっちを見やがれ!」


 しめ縄を引くと、悪霊の視線がこちらを向いた。その目に、一瞬だけ人間らしい光が宿る。


「てめーもどうせ過労死に潰されたクチだろ? その恨みを抱えて成仏できず、ここに縛られてやがる……いや、自分で自分を縛ってんだ」


「あ、ああ……」


「ならよ、その恨み――晴らそうぜ?」


「……え?」


「オレならお前をスッキリさせて閻魔様のもとへ送ってやれる。

 オレと契約するか?

 まぁ無理にとは言わねぇ――ただ、より悲惨なことになるだけだ……」


 「契約……内容は……?」


「お前の恨んでいる奴が“本当に悪人”だった場合、お前を弾丸にして撃ち込む。

 お前の過労や憎しみ、その全部で相手を蝕む──気が済むまで取り憑ける。

 ただし――見極めるのはオレだ。いいな?」


「……わかりました……」


「名前は?」


「……佐藤たけし……営業部の部長……だった……」


「よし、まずは調べる。

 オレは怨霊の言い分だけで“引き金”は引かねぇ。死人の記憶ってのは、往々にして都合よく塗り替えられてるからな……」




 それから数日。


豪魂は非公式の情報ネットワーク――

御駒の葬祭屋、呪術屋、寺社筋、自滅の駒の元・社畜などを通じ、佐藤たけしという男の素行を洗った。


得られた情報は、おおむね以下の通りだった:


一年前に部下が過労死。その責任を回避し、自分は昇進

生前、その部下(悪霊)に休日出勤・連続残業を命じていたメールログが残っている

社内では「圧力型のプレッシャー上司」として有名だったが、外面だけはいい

部下の死後、「心がけの問題」だと発言していた証言もある

労災認定の際には「死因は家庭環境や体質」と嘘の診断書を提出していた形跡

さらに、観察によって佐藤が今も“負の波動”を放っていることを確認した。


「……おいおい、こりゃあ真っ黒じゃねぇか。

 死者の叫びを“心がけの問題”で片づけたツケ──払ってもらおうか」



 

夜。帰路の途中。


佐藤が歩く裏通り、灯りの落ちた路地裏に、白衣の和製カウボーイが立っていた。


「……なんだ君は。不審だな、通報するぞ」


「まぁ、マトモな人間じゃねぇのは確かだ。

 てめー、案外その目――節穴じゃねぇんだな。

 だが、そうだな……不審者と言えどもオレが危害を加えたりはしねぇ“ただ、お前に死人を会わせてやる”だけさ」


「はあ?」


 その瞬間、霊気が立ちのぼる。


 豪魂はリボルバーのシリンダーを回し、静かに一発の弾を込めた。


「この中に詰まってるのは、お前が“使い潰した部下”の怨念だ。

 思い出せ。過去に誰を追い詰めた?」


「そ、それは!

 実銃!?待て!

 何を――俺は別に誰も――!」


「そうか。なら、お前にとっては“一人もいなかった”んだろうな。

 壊れるまで働かせても、“自己責任”で終わらせてきた。

 他人の痛みなんざ、最初から感じる気もなかった――」


 視線が重なる。


 豪魂の目は、暗闇より深く冷たい。


「だが“そいつ”はまだお前を見てる。

 そして、こう言ってるぜ。“今度こそ、黙らせたい”ってな」


「な……やめ――」


 ──引き金が引かれる。


 呪怨弾が火を吐き、怨嗟の煙が佐藤の胸へと突き刺さる。


 一瞬で、佐藤の身体がよろめいた。


 体表に浮かび上がる、過労死した部下の顔。

 皮膚が灰色に変色し、言葉にならない悲鳴が漏れる。


 そして何よりも撃たれたという死の宣告が佐藤の頭を支配する。


「なーんてな――こいつはトイガンだ。


 当たればアザができるくらいの威力しかない」


「よ、よかった……」

 少し安堵した顔で視線を下ろした。


「でもな――呪いは本物だぜ?」


「え――?」


「その苦しみは、何十時間分のサビ残だ。

 その後悔は、謝罪も労災も与えられなかった恨みだ。

 受け取れ、“社畜の魂”からのツケをな……!」


 佐藤はそのまま倒れ込み、昏倒した。


 契約の完了。

その直後、撃たれた弾から薄い光が立ちのぼる。


「……お前、もういいか?」


「……うん……やっと、伝えられた……」


「そうか」


 豪魂はリボルバーの側面に、経文を軽くなぞる。


 呪怨弾が霊気を静かに吐き出し、魂の気配が鎮まる。


「これでお前は“撃ちきった”

 契約も完了した。

 この後、お前がどうなるかはオレも分からない。

 だが、閻魔様もきっと見ていてくれてるさ――情状酌量の余地ぐらい、くれんだろ」


 霊煙が霧散する。


 月光の下、豪魂は黙ってテンガロンを深く被り直した。


「さて、こいつがこのお灸に懲りなければまた撃つ羽目になるが――

 オレだってヒマじゃないんでね――

 これからはいい上司として寿命を迎えろよ――」


 

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