男装令嬢は己の格好良さを極めたい
八星 こはく
第1話 待ち望んだ婚約破棄
「きゃー! フランお兄様、こっち向いてー!」
「今日も素敵だわ! 見ただけで視力どころか五感全てが研ぎ澄まされるのを感じるわ……!」
「一生、お兄様だけ見ていたいわ!」
フランシーヌが歩くたびに、周囲から黄色い歓声が上がる。
彼女が立ち止まって手を振ると、令嬢達は悲鳴に近い声を上げて座り込んでしまった。
「みんな。今日もありがとう」
微笑めば、学園中が割れそうなほどの大声で『素敵ー!!』と女子達が叫ぶ。
彼女は間違いなく、この学園で最も女子生徒達に愛されている。
―――そう、『彼女』は。
シュヴラン伯爵家長女、フランシーヌ・フォン・シュヴラン。
短い銀色の髪に紫色の瞳を持つ、絶世の美人。
聖ブリリア学園の男子用制服に身を包んだ彼女は正真正銘の女性である。
「今日も、余所見しないでくれてありがとう」
甘い言葉と共に笑顔を振りまけば、通称『フランシーヌお兄様親衛隊』と呼ばれるファンクラブに所属する女子達が地面に崩れ落ちた。
男装令嬢・フランシーヌ。
お兄様、というあだ名で女子生徒に慕われまくっているフランシーヌは、なにか事情があって男装姿をしているわけではない。
格好良くなりたいから。ただ、それだけなのであった。
「……本当よくやるわね、朝っぱらから」
フランシーヌの隣で呆れたように溜息を吐く青色の髪の少女は、レベッカ・フォン・ダルトワ。
ダルトワ伯爵家三女であり、フランシーヌの幼馴染だ。そして、フランシーヌが猫をかぶらずに接することができる数少ない相手でもある。
「朝も昼も関係ないよ、レベッカ。彼女達にとって、私に会える時間は貴重なんだから」
胸に手を当ててフランシーヌが堂々と言えば、レベッカは興味なさそうに視線を逸らした。
この学園で唯一、フランシーヌに夢中にならない女子生徒である。
「それよりそろそろ時間じゃないの? 婚約者に呼ばれてるんでしょ、今日」
レベッカに嫌な現実を指摘され、フランシーヌはあからさまに顔を顰めた。
今朝、寮の部屋に手紙が届いたのだ。昼休み、中庭の裏で待つと。
差出人の名前はフィリップ・フォン・エベール。
親が決めたフランシーヌの婚約者である。
◆
「遅かったな、フランシーヌ」
待ち合わせに指定された場所へ行くと、既にフィリップは到着していた。
長くもない腕を組んで、フランシーヌを睨みつけてくる。内側に細工が施された靴で身長を盛っていてもなお、フィリップはフランシーヌより背が低い。
金髪碧眼で、整った顔立ちをしてはいる。だがそれは一般的に見れば、だ。
絶世の美人であるフランシーヌと比較すれば、その辺の通行人に成り下がってしまう。
「私を呼び出して、一体何の用だい?」
フランシーヌが口を開くと、フィリップが舌打ちした。優雅さの欠片もない姿に呆れてしまう。
相変わらず、美しさの対極に位置するような男だな、こいつは。
こんな男が婚約者なのだと聞かされた時、フランシーヌは絶望した。誰であろうと恋愛をするつもりなんてなかったものの、あんまりだろう、と思ったのを覚えている。
とはいえそれはフィリップも同じで、『男みたいな奴と婚約なんて』と顔に書いてあった。
つまりこの婚約は、二人にとって望まぬ婚約なのである。
「今日はお前に言いたいことがある」
「そうか。手短に頼む」
フランシーヌがそう答えると、フィリップは大きく息を吸い込んだ。
そして、聞いたことがないほどの大声で告げた。
「お前との婚約を破棄する!!」
「……は?」
「聞こえなかったのか? お前との婚約を破棄する、と言ったんだ。もうこれ以上は耐えられない。両親にも手紙を送っておいた」
せいせいする、と吐き捨てたフィリップは、確かに見たことがないほど晴れやかな表情を浮かべていた。
婚約破棄……婚約破棄って、あの婚約破棄か!?
要するにもう、この男と定期的に会って親に報告する義務がなくなり、吐き気を我慢しながらパーティーの一曲目でこいつと踊る必要がないってことだよな!?
「フィリップ」
「なんだ? 今さら謝っても遅いぞ。俺はもう、お前みたいな男女には愛想が尽きたからな」
「君の失礼な物言いも、今日だけは許してやろう。なにせ君はたった今、私が何度も夢に見た言葉をくれたんだからな」
「……なんだと?」
初めて顔を合わせたあの日から、ずっとこんな日がくることを待ち望んでいた。
相手から婚約破棄を告げられたのだと言えば、両親だって文句は言えないだろう。
「婚約破棄してくれて感謝する。君のことは嫌いだが、いい相手に巡り合えるように祈っておこう」
それが元婚約者として、フランシーヌにできる唯一のことだ。
我ながらなんて優しいのだろう……とフランシーヌは内心で自画自賛していたのだが、フィリップの反応は予想とは違っていた。
「お前にそんなことを言われる筋合いはない!」
顔を真っ赤にして、みっともなく怒鳴り始めたのである。
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