または、物語になるために。
豚肉丸
第1話
篠崎綾乃が死んだ、と電話が入ったのは確か20時頃で、私は夕食の準備を進めていた。そこまで親しくなかった高校のクラスメイトから電話が来て、「珍しいな」と思いながら受け取ったことをよく覚えている。
自殺だったらしい。キッチンで首にナイフを刺したのだそう。そして彼女の死体は二日後になって発見されたと。その頃には床に付着した血もすっかり床に染み渡っていたらしく、今後の原状回復清掃はかなり大変だろうな、とふとどうでもよいことが頭によぎった。
遺書は無くて原因は不明。警察は殺人も視野に入れて捜査を進めているらしいけど、現場的に殺人は考えられないとのこと。
「まあほら、空ちゃんも綾乃ちゃんと親しかったから……一応、伝えておこうと思って」という言葉を最後に電話は切れ、スマートフォンからは通話が終了したことを知らせるビープ音が鼓膜に響いていた。一方的に投げつけられたその情報は私の脳で処理することは到底不可能で、「綾乃が死んだ」という事実だけが頭の中で何度も反芻していた。
「それで……最近の綾乃の様子ってどうでしたか?」
コーヒーの苦みが舌に染み渡る。
「別に……普通でしたよ。何も変わらず、元気そうで」
「そうですか……」
カップを置く。前を見る。
金髪に染まった髪と派手なピアス、目立つメイクに彩られたその人物の姿は私とは到底違う人間であることを突き付けてくるかのようで、顔を見るだけでも妙に恐ろしかった。逸らすようにして目を下に向けると、カップに入ったコーヒーに私の顔が反射して映っていた。
「少し前から新作のプロジェクトにも取り組んでいましたし……私は音響担当で任されてましたけど、興奮してアイデアを伝えに来る姿はかなり元気そうでしたよ」
興奮して思いついたアイデアを語りだす彼女の姿は今になっても容易に想像がついた。あの頃から変わっていなかったのか、と安心感を覚えるぐらいに。
「あとほら、映画祭で監督賞も受賞しましたし……まあ規模の小さいやつではあるんですけど。それでも彼女、かなり喜んでましたから……だから今回はなおさら気合が入っていたんじゃないですか」
だから、どうしてこうなったのかわからないんですけど……と言葉を小さく添えて彼女の話は幕を閉じた。
綾乃から時々その人物のことを電話で話を聞いていたぐらいで、直接対面で言葉を交わすのは初めてだった。「楽しい人だからいつか空にも会わせたいね」と綾乃が一年前ぐらいに語っていたことを、カフェで彼女を待っている最中にふと思い出した。運命の巡りあわせなのか皮肉なのか、結果こうして対面で会話をしている。
「空さん……でしたっけ。空さんから見て綾乃はどういう人間でしたか?」
「私から見て綾乃は……」
言いかけて、言葉が詰まる。私から見て綾乃は……どういう人間だったのだろう。綾乃は綾乃だった。日頃から楽しそうで、創作意欲に満ちていて、人を惹き付けて引っ張る魅力も確かにあった。生きづらさなんて無さそう、とも表現したくなるけど、その一方で私の前で度々生きづらさを吐いていた。
「よくわかりません。気持ちに寄り添えたかと思ったら途端に突き放されたり、かと思えば彼女の方から寄り添ってきたり。不思議な人間だったな、とは思います」
「……そっか。ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
しばらく話して、彼女と別れた。その後に続いた話も結局綾乃に近づけることもなく、ただ周囲をぐるぐると回っていただけの無意味な話で終始した。彼女の話から聞こえてくる綾乃の姿はあの頃の姿と何も変わることなく、上京して私から離れた後も地続きで夢を追いかけていた綾乃の姿は確かにあったんだ、と感じられたもののそれ以上の話は無かった。
「私まだ、綾乃の新作観られてなくて」と別れ際に言うと、残念でしたね、と返された。
「綾乃の新作、本当に面白かったですよ。今後の成長に期待してしまうぐらいには」
安心感と少しの失望。どうせなら変わった綾乃の姿を感じたかった。どうせなら擁護のしようもないぐらいにどうしようもない人間に変わった綾乃の話を聞いて、「どうしようもないな」と一蹴して終わりたかった。
「だから、どうしてこうなったのかわからないんですけど……」と呟いた綾乃の友人の言葉を思い出す。私も同じ言葉をぼやきたかった。
古びた部室のドアを開けると、いつも通り綾乃はソファに座りながら映画を観ていた。
「何観てるの?」
「ロブ=グリエ。今度撮る映画の参考になるかなと思って」
隣に座って画面を眺める。固い皮のソファは今にも破れそうな音を鳴らしながらも、それでも私の背中を預けさせてくれる。
「……順調?」
「ぼちぼちって感じ。ある程度は進んだけど最後のオチが思い浮かばなくて」
画面の中では裸の女性が広大な砂漠を駆けていた。前後の脈略が欠けた状態で観る映画は画面の情報量が洪水のように頭の中に流れ込んでくる。シーンに至る背景、登場人物、舞台、動作の何もかもに理由が欠いたまま、ただそれが「在る」ことを突き付けられる感覚に襲われる。
「空はさ、物語って随分都合が良いよな~って思ったりしない?」
「……どうして?」
「都合よく時間が切り取られてるから」
裸で砂漠を駆けていた女はいつの間にか謎の白い空間に辿り着いていた。人工的な白い空間の中に、裸の女はぽつんと突っ立っている。一回カットを挟んだだけで、空間・時間が切り替わったかのように場所が移っていた。確かに、都合が良い
「……私さ、高校卒業したら東京行こうと思ってるんだよね」
「……そうなの?」
そういえば私も綾乃も、高2の中盤だ。進路に真面目に向き合わなければならない時期であることを、ここにきてようやく思い出した。
あぁそっか、彼女のもう真面目に考えているんだな、とどこか感慨深い気持ちが湧き上がる。と同時に、これまで考えるのを避けていた自分が嫌になった。
「東京の芸大に行こうと思ってて。ほら、東京ってここと違って……いろんなものが充実してるし。ロブ=グリエだって、映画館のスクリーンで観られるんだよ」
「そうなんだ……確かにそれは楽しそうだけど」
ここで「私もついていく」って言ったら彼女は喜んでくれるんだろうな。私も綾乃と一緒に東京に行こうって、宣言できたら。実際その道も悪くはないし、楽しそうでもある。綾乃と映画を作るのは楽しいし、芸大の役者も機材も何もかも揃った場で映画を作れたらもっと楽しいんだろうな、と。
「でも芸大に行ったら……将来は不安定だと思うけど、それは大丈夫なの?」
「それは……大丈夫だよ」
綾乃はソファから立ち上がると、声高に宣言した。
「私、絶対に歴史に残る映画監督になってやるから」
多分、この差なんだろうなと痛感した。私と綾乃の間に生じている差。
私には、覚悟が無かった。
「遺品整理」という名目を使って綾乃の家に入り込むことはできた。綾乃の母が私のことを覚えていたおかげで話は簡単に通せた。
せめて、この曖昧な感情のまま彼女の存在を終わらせたくなかった。もっと近づいて、何かしらの手がかりを掴んでみたかった。
部屋の様子は荒れ果てていた。警察などの現場検証が入ったことでいくらかはマシになったらしいが、それでも十分荒れていた。シンクで放置された皿、カップ麺、ペットボトル、ビール缶、割り箸、レジ袋、チラシ、ティッシュ、埃、ゴミ、まだ床に残ったままの血の痕。
足の踏み場を探すように慎重に足を進めていく。彼女が生活していたであろう時間は数日経った今でも確かに残っていて、今にでも「ただいま」と言って帰ってきそうだから可笑しい。あっ、もしかして遊びに来てくれたんだ、と明るく笑う彼女に「掃除しろよ」と笑いながらゴミを投げつけてやりたかった。彼女がこの部屋の掃除にとりかかることは絶対に無いんだけど。
本棚とDVD棚両方とも溢れ出しているぐらいには物に満ちていた。付箋やメモ書きがびっしりと貼ってあって部屋の惨状とは裏腹にインプットには力を入れていたことがありありと伝わった。これもこれで綾乃らしいな、と苦笑いしそうになるぐらいに「綾乃」のイメージそのままであった。
だって、綾乃は創作のためなら生活なんて二の次に回しそうだから。彼女にそう伝えたら多分「そんなことないよ」と笑いそうだけど、現にそうなっている。いた。
……多分、私が掃除をしなければならないのだろう。私がやらなくても誰かはやってくれるだろうけど。「遺品整理」という建前で入ってしまった以上このゴミを放置して出るわけにはいかないだろうし、何より、他人に綾乃の痕跡を捨てさせるなら私が捨てたかった。
溜息をつく。それにしてもどうすんの、と言いたくなるほどの量のゴミに立ち尽くす。どうしたらいいんだろう、これって……
とりあえず近所の百均からゴミ袋とかでも買うか、と思って足を踏み進めたその時、右足に刺激が電流のように流れる。何かしらのゴミを踏んだらしく、飛び跳ねるように右足を上げた。
コンサータの空き殻が床に転がっていた。
地方公立大学の合格が決定した時、彼女は素直に喜んでくれた。多分、素直だったんだと思う。
結局私は芸大に進学することができなかった。お金も、覚悟も。何もかも足りなかった。だから諦めた。
諦めたかった。
「これで私たち、バラバラになっちゃうね」
合格発表日の翌日に二人で遊びに行った。夕方に差し掛かって駅のホームで電車を待っていた頃、彼女は感慨深そうにそう呟いた。
「でも、また会えるよ。今までみたいに毎日は会えなくなるけど……でも、夏休みとかにさ、また集まって」
「……だねー」
「……綾乃は大学卒業後は映画監督になるんだよね」
「なるよ、もちろん」
彼女が「映画監督になる」と発するとき、そこには大抵謎の自信が宿っている。
「じゃあさ、私は……プロデューサーとかの製作側に回ろうかな」
「……ほんと!?」
「ほんと。綾乃を支えられる立場になりたいし……あとほら、綾乃って地味な作業とか書類とか、そういうの苦手じゃん」
「まあ……不服だけど」
「だから、私はそういう事務作業とか色々を担当して、綾乃には映画撮影に徹してもらうようにして。二人三脚体制で歩んでみたら……完璧じゃない?」
「だね。多分賞も狙える」
電車の接近を知らせるベルがホームに鳴り響く。電車に乗り込んでもこの先の時間は続いていく。車内で綾乃と話して、家に帰ってご飯を食べる。風呂に入って、寝る。翌日学校で再開する。この先も時間は永遠と続いていく。
それでも、何故か「区切り」のようなものを感じた。電車の車内に乗り込んだ瞬間に、私の時間は区切られる。だって物語のシークエンス単位で言えば、この瞬間が「区切り」として最高だから。
「空、その言葉だけは絶対に忘れないでね」
電車がホームに到着する。ブレーキがかかり、進行速度が緩まり始める。目の前を先頭車両が通過する。次第に目でも追いつける程の速度まで下がり、完全に停車する。
「忘れてたら、絶対に許さないから」
ドアが開く。
「流石に忘れないよ」と笑って受け流し、電車に乗り込んだ。
空になった部屋を眺める。部屋の清掃を数日もかけた私とは異なり、業者は一日足らずであっという間に部屋の状態を「無」に戻した。まるで最初から綾乃なんていなかったかのように、綾乃がここで暮らしていた時間の何もかもが初めから無かったような気すらしてくる。それでも確かに綾乃はこの場所に暮らしていて、この場所で命を絶った。
数ヶ月もすればこの部屋で新たな人が生活を始めるのだろう。綾乃の時間に上書きをするように、新たな時間が始まっていく。その人はその人なりの目的、悩み、喜びを持っていて、綾乃が持っていたそれを覆い隠すように生活が進んで行く。
だとすれば綾乃の人生って何だったんだろう。
綾乃の死って、何だったんだろう。
帰りの新幹線でふと、「篠崎綾乃」をブラウザで検索してみた。
映画祭のページ、映画の情報サイト、感想サイトが表示される。個人の自主製作映画だから表示される数も少なければ、そこに書かれてある情報も殆ど無い。それでも数個ぐらいはレビューが付いていて、確かに高評価の数字が並んでいた。
しばらく調べてみると簡単に綾乃のツイッターアカウントを見つけられた。見ない方が良いのかな、と思いつつも好奇心には逆らえずホームを目で追ってみる。
最後の呟きは自殺する30分前に投稿された連続ツイートであった。
「生活が纏わりついて離れない。私は楽しいところだけ生きていたいのに」
「物語も映画も、人生を表しているようでいてそこには時間が流れていない。カット編集で繋がれた人生を生きていられて、羨ましいですね」
「物語は人生の都合の良い部分だけを抽出して描いている。羨ましい。何で私は。何で私は。何で、無駄なことに時間を使わないといけないんだろう」
「皿洗いも掃除も連絡も書類作成も、何もかも、終わりにしたい。この先数十年間同じようなことが永遠と続いていくなんて、耐えられないと思う」
「いやもう無理だ、これ」
「終わりにするか」
そっか。ようやく綾乃の真意が理解できた。
綾乃は物語になりたかったのか。
一週間ぶりに家に帰ると湿気が溜まっていた。キャリーケースを開けて一つ一つ荷物の片づけを始める。
スマートフォンからメッセージが届いたことを知らせる通知音が鳴った。開いてみると綾乃の友人からだった。
「あの、綾乃の新作の動画ファイル発見したので一応送ってみます。音響担当した私としても自信作なので、ぜひ一度ご覧ください」
または、物語になるために。 豚肉丸 @butanikumaru
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