④ SIDE: 品川

 体育館で目が覚めると、周りに誰もいなくなっていた。仮眠のつもりがぐっすり寝てしまったらしく、昨日の疲れはすっかり取れていた。

 僕を置いてみんなどこかへ避難してしまったのかもしれない。どうして起こしてくれなかったのだろう。岡本先生ですら僕を置いていったのだろうか。

 とりあえずスマホを開くも、画面は真っ暗で何も見えない。電池が切れてしまったらしい。

 見回すと、昨日一生懸命準備したダンボールベッドも全て姿が消えている。僕は今、夢を見ているのかもしれないと思った。

 納得いかない事ばかりだが、しょうがない。校舎に戻って誰かいないか探すことにした。

 やけに静かで、時間が止まったような空気だった。


 1時間ほど探し回ったが、残念なことに、学校には児童も教員も、人っ子一人いなかった。本当に僕だけが取り残されてしまったようだ。

 とりあえず外部と連絡を取りたくて、職員室で電源の付くパソコンは無いか探したが、どれもダメ。もしかしたら、電力源自体が絶たれているのかもしれないと思ったが、部屋の明かりは不思議とついた。

 コンピュータ室のパソコンも手当り次第に触ってみたが、反応はなし。ただ一台だけ、電源が入った。がしかし、そこに映ったのは文字化けした警告画面だけ。何も読めないし、ただただ気味が悪い。

 困ったな、僕が職場で1番の若手だっていうのに、こうも機械に弱いなんて。

 気がつけば日が沈みかけている。今日はもう疲れてしまった。保健室のベッドで休むことにしよう。明日以降、誰かの救助を待てばいい。


 保健室に向かうため、2階の廊下を歩いていると、どこからか足音が聞こえてきた。すぐに懐中電灯の明かりを消し、息を鎮める。

 その場でしゃがみ身構えながら、周りを見渡すと、どうやら足音は1階から聞こえているようだ。そして、人影が階段を上っているのが見えた。

 僕より小柄だ。さらに目をすぼめてみると、見知った子供だった。

「高橋さん?!」

 僕が立ち上がって声をかけると、

「品川先生!ああ、良かった!!」

 高橋ユウ、以前僕が数学を担当していた生徒が、半泣きでこちらに駆けてきた。大人の僕でさえ途方に暮れていたのだ、きっと心細かったことだろう。

「先生、わたしお腹がすきましたあ!!」

 高橋さんの涙腺はついに崩壊した。


「先生、みんなどこに行っちゃったんですか?」

 僕が家庭科調理室でご飯を炊いていると、走って疲れたらしい高橋さんは、机にうつ伏せになってそう言った。

「ごめんね、僕も知らないんです。実は、外部との連絡も取れていません」

「まあ、何もかもイレギュラーですもんね。仕方ないですよ……じゃあ、タイセイがどこにいるかも分からないですよね」

「……そうだね、正直さっぱりだね」

 タイセイというのは、彼女の弟君であり、僕が担任をしているクラスの生徒だ。

 僕は水気が飛んだ米をお茶碗に盛りながら、お茶を沸かす高橋さんを横目に答えた。

「あ〜あ、どうしてはぐれちゃったんだろう。昨日まで一緒にいたのに」

「……」

 高橋さんは、日頃からタイセイのことをかなり気にかけているようだった。傍から見て、それは少し過剰なこともある。

「私が一緒にいてあげるべきだったのに。あの子1人じゃきっと何もできないわ」

 手塩にかけて育てた、だなんて言っていたこともあっただろうか。

「……お姉さんが思うより、タイセイはしっかりしてますよ。もう高校1年生なんだから」

 僕がそう言うと、彼女はうんうんと頷いてから、心配そうに聞いた。

「そっかぁ、担任だもんね。弟、クラスに馴染めてる?」

「モテモテですよ」

「えっっ」

「あれ、知らなかった?」

 高橋さんは目に見えて動揺し、まだ熱が残るヤカンに触れ、「アッツ!」と言った。

「え、もしかして、彼女いたりする……?」

 恐る恐るというように質問を連ねてくる。

「美術部のマネージャーと付き合ってますね」

 僕は正直に答えた。

「先生!私が姉とはいえ、それ個人情報でしょ!!」

 元気にツッコミを入れる声とは裏腹に、高橋さんの表情は塩をかけられたナメクジのように、明らかに萎縮していた。

 僕も、はたして伝えていいものかと迷いはしたが、こうでも言わないと、この姉は弟をいつまでも赤ちゃん扱いするのだろうと思った。

 どんどん高橋さんの顔色が悪くなってくる。ショックを受けているのか、それとも空腹で限界なのだろうか。

 お茶を注ぎ終わると、高橋さんは速やかに着席してご飯を口に詰め込んだ。おかずもないのに、どれだけお腹が空いていたのか、ノンストップで掻き込み、おかわりもした。


 日はしっかりと沈み、夜になった。高橋さんと僕は学校中の毛布を独占して、体育館に豪華な寝床を作っている。すると、外からカタカタガタガタと音が聞こえてきた。

 その瞬間、高橋さんの顔から血の気が引いた。僕は、彼女から先程聞いた、道祖神が来たのだと悟る。信じていなかった訳ではなかったが、本当だったのか。

 体育館の壁、低い位置に取り付けられた磨りガラスの向こう側には、確かに幾つかの影がある。もう囲まれているのだということに気がついて、僕は、急いで入口に鍵を掛けた。

 高橋さんの名前を呼ぼうと、彼女の方を見た時、彼女は口の前に人差し指を持ってきて、静かにしてとジェスチャーした。それからゆっくりと外を指さした。

 磨りガラス越しに見えた。ハッキリとは見えないが、道祖神の他に、なにか大きなものが外を歩いている。それも何本も足を持った、ムカデのような生き物だ。キュルキュルと、錆びたネジが悲鳴をあげるような音を出している。

 僕たちは体育館のギャラリーに登った。カーテンを少しだけ開けて外を覗く。正体がはっきりと見えたとき、息を呑んだ、それは、白い人間を引き伸ばして足を大量に生やしたような、グロテスクで歪んだ生き物だった。

 黒く長い髪をひきずり、不可解に体を地面に擦り付けるような、地面を這うような動きをしている。

 僕は恐怖で一瞬声が出なかった。

「高橋さんも見る?」

 と僕が小声で聞くと、

「遠慮します。怖いので」

 と即答された。僕が相当ビビった顔をしていたのかもしれない。

 怪物の白い肢体したいが地面をこすり、音を立てている。その化け物は、体育館の周りをウロウロしていた。僕は、それがいつ体育館に侵入してくるか分からないので恐ろしくてたまらなかった。

 こんなとき、岡本先生ならどうするのだろう。生徒を守るっていったって、こんな世界でどこまで自分は通用するのだろう。

 頼むどこかに行ってくれと心の中で反芻していたら、願いが叶ったのか、怪物は体育館の周りを2週ほどして去っていった。入口を探している様子だったが、入って来れない事情があったようだ。

 そういえば、僕はずっと疑問だったのだ。道祖神は本来、外から来る魔や災いから、街を守る神様だ。僕や高橋さんに危害を加えてくることは考えずらい。

 きっと道祖神たちは彼女をここまで誘導して、怪物からここを守ってくれたのだろう。

 僕がそう説明すると、高橋さんは階段を降りていって、小窓を少し開けてから、彼らにありがとうと言った。道祖神たちは、まるで最初からそこにいたかのように、ずっしりと構え、微妙だにしなかった。


 僕は高橋さんに眠るように促した。寝ている間は僕が見守りをするから、と。もし僕が眠たくなったら君を起こすから、そしたら交代してほしいと伝えた。

 高橋さんはきっと疲れていたのだろう。条件をすぐ呑んでダンボールと毛布が積み上がった上で横になった。

「……先生、タイちゃん、生きてるのかなぁ」

 どう答えたらいいのか分からなくて、しばらく沈黙していた。僕には、無責任なことは言えないよ。その言葉が喉まで上がってきた時、高橋さんは遮るように言った。

「でもあの子は、もう私がいなくても大丈夫なんだ」

 僕が驚いて彼女ほうを見ると、既に寝息を立てて眠っていた。その穏やかな呼吸に、僕の心も和らいでいく。

 だんだん僕の瞼も落ちて来た。ダメだ、起きていないと、ちゃんと見張っていないと危険だ。そうは頭では分かっているのに、体が沈むように重くなって、思考が揺れ――

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