私の人
衣ノ揚
① SIDE: ユウ
夕方。私は微熱で学校を休んでいた。
学校行きたくないよメータが少しずつ溜まってきていて、そろそろ消化時だった。正直、正当な理由だと思っているし、定期的にぬるっと学校をサボっている。
昼寝の最中のこと。寝耳に水、アラーム以上に不快な爆音に目が覚めた。ガバッと勢いよく起き上がると、すこし貧血で視界が暗くなる。
畳に手を付きながら目を擦ると、叫んでいるのはどうやら私のスマホのようだった。覗き込めば、緊急速報のエリアメールがホーム画面に表示されている。地震にしては揺れた気がしないが、一体何があったのだろう。
その時、外から地鳴りのような大きな音が聞こえた。私は断続的に耳に投げ込まれる手榴弾にイライラした。
せっかく学校を休んだのだ、寝かせ給え!とも思った。
両手で花柄のカーテンをひっつかんで勢いよく開けると、曇り空の下、明らかな異物が見慣れた景色に割り込み、堂々と居座っているのが目に入った。
半透明の黒。大きな影のようで、液体のようなものが、住宅街を包み込んでいる。よく見るとお面をしたように白っぽいところもあって、目のような点が二つと口のような切れ込みがあった。身の毛がよだって、私は勢いよく尻もちをついた。
アレは、やばい。本能がそう叫んでいた。どこかで犬が危険を知らせて激しく吠えているのが聞こえる。脂汗がパジャマを湿らしていた。
私は逃げ出すために荷物をまとめ始めた。保険証、ペットボトルの水とカロリーメイト、懐中電灯、あとはカバンに元から入ってたもの全部。教科書の入ったカバンに比べたら軽いものである。
寝巻きのまま家を飛び出し、弟の学校に向かって走り出す。この街は山の上にあり、向かい側にもうひとつ山がそびえている。幸い、ヤツは向こう側にいた。頼むから、こっちに来ないでくれ。
通りに出ると、目の前には車の渋滞が広がっていた。この街には、こんなに人が住んでいたのか。みんな逃げようと必死になっているようだ。
車の間を通りながら走る。日頃の運動不足のせいなのか、足が絡まって上手く走れない。あと、単純に体力が無くて息が切れて仕方がない。私は一旦休憩のつもりで、電柱を背にして怪物の方を見た。
その時、怪物がゆっくりと振り返り、こちらの方を見た。あちこちから叫び声が上がる。ヤツの顔がやたらと大きいからか、私は目が合ったような気がしてゾッとした。え、ちょっとまって、こっちに向かってきてない?
「ユウちゃん、それ使いな!」
私が電柱を背に立ちすくんでいると、頭上から声が聞こえた。近所のおばあさんが窓から乗り出し、自転車の方を指さしている。
「金田さん!」
自転車はたしか息子さんのものだったはずだ。今頃は仕事だろう。
金田さんはどうやって逃げるのだろうか。私におぶれるほどの力があるだろうか。
「私は後で娘が迎えに来るから!早く逃げなさい!」
金田さんはただ静止する私を急かした。
「ごめん!!」
私はその自転車に跨る。荷物をカゴに入れて走り出した。幸い、鍵はかかっていなかった。自転車に乗るのは久しぶりだ。坂道を下っているにも関わらず、わたしはペダルを空回るように漕いだ。力を入れる足が軽かった。
学校につくと、生徒が校庭に集まっていた。未曾有の事態に先生も判断しかねているようだ。その中に弟を見つけた。私は正門を抜け、校庭に自転車に乗ったのまま突撃した。みんなが私をみてギョッとしている。
知らないうちに、私に続いて次々と保護者が走ってきていた。瞬く間に人が溢れかえってお祭り騒ぎだ。私は弟の腕を引いて、無理やり後ろの荷物置きに乗せて発進した。
重たいペダルを一生懸命踏んでいるというのに、後ろから文句が聞こえる。呆れたものだ。
「姉ちゃん、尻が痛い」
「うるさい」
迎えに来たのは良いものの、どこに逃げるかなんて何も考えていなかった。私はとりあえず化け物のいる方向と真逆に向かうことにした。
のだが、坂が急すぎて自転車で登るのは辛かった。弟が、「代わろうか?」なんてバカバカしいことを言っていた。
足で走った方が速いかもしれない。
私は心の中で金田さんに謝りつつ、自転車を塀に立てかけて地面を蹴った。弟はクラウチングスタートをキメていた。文化部のくせに。
私は走り疲れて減速する一方で、どんどん街の人に追い抜かれていく。みんながどこに向かっているのか分からないが、とにかく後をついて行くことに必死だった。
どこにそんな余裕があるのか、弟はチラホラ後ろを見て、「うわあ」だの「ええ?」だの「やばいよ」だの言っていた。暑さに逆上せているのだろうか。
「あいつ街を飲み込んでるよ。溶けてる、山が溶けてるよ」
怖かったので振り返らなかった。
「膨らんでる、どんどんデカくなるよ」
まじか。最初に見た時も、既に牛久大仏並みにデカかったと思うけど。
「うわ!!浮いた!!」
ほんとに?嘘ついてない?誰かヒーロー呼んでくれない?
その瞬間、後ろから爆発音が聞こえ、山間に反響した。私は思わず振り返った。
そこにはもう何もいなかったし、何も無かった。向こうの街は陸が削れていた。山は半分ほどの高さになり、抉れた断面は白い泡に覆い尽くされていた。
大きなシャボン玉が遠くでぱちぱち弾けるのを見て、限界まで膨らんだアレが破けたのだと直感した。
恐ろしいほど静かだった。
私たちは一度家に帰ることにした。
帰路で金田さんに会った。避難所になっている体育館に泊まることにしたのだと聞いた。
テレビを付けると、ニュースで弾ける怪物の映像がしっかり放送されていた。SNSのタイムラインは大盛り上がりだ。
父も母も、朝出勤して行ってから会っていない。返信は未だになく、何回電話しても出ない。
私も、世間も、さっきの怪物がどこから現れたか分からない。みんな、怪物が居なくなって安心しているけど、また次いつ来るか分からない。
日が落ちつつあった。
ただひとり、上京した兄から連絡が来ていた。こっちに来いとのことだった。
親とコンタクトが取れないことが心残りだったが、共倒れよりマシだ。私は弟を連れてこの街から逃げることにした。
山の麓から電車に乗る。がら空きだ。こんな日でさえ、時間通りに電車が来るのには感心した。
「死にたくない」
弟がボソッと、でも確かにそう言ったから、私は絶対にこの子を守らなきゃいけないんだと思った。
目的の停車駅までまだまだある。電車の揺れが鼓動と重なって心地良く、私と弟はいつの間にか眠りについていた。
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