エッセイ 読書の愉しみ

よひら

「観光客の哲学」(その1)二項対立と2層構造


●読んだ本

ゲンロン叢書013 観光客の哲学 増補版

著者 東浩紀

発行日 2023年6月15日

発行所 株式会社 ゲンロン


●はじめに


「観光客の哲学」を読了しました。著者の本は2冊目、ユーチューブで発言を聞いて興味を持ったのがきっかけで知りました。以降は、この本の読書感想と考えたことの頭の整理で書いています。基本的に問いの設定と回答案という形で書いています。


※本書の内容に触れますので、まだお読みでない方は、その点をご了承いただきたく、よろしくお願いします。また、著者の述べていないことや著者とは違う自分の意見も混ぜていますので、ブログという緩い媒体ですので何となくその点もご了承いただけますと幸いです。


●問い1

世界を認識する基礎的な考えかた、考える枠組みとして、二項対立から2層構造、または移行から共存という著者の捉え方に付いて同意できるだろうか?


●問い1への回答案

同意出来ます。


同意できる、の理由説明として、まずは出発点である二項対立を、例を使って説明したいと思います。


●二項対立の例1 

「グローバリズム vs ナショナリズム」

グローバリズムは自由主義、小さな政府、規制緩和、グローバル企業がわが世の春を謳歌する状態を推進する主義であり、経済成長はするが、国内の経済格差は拡大してしまう。一方、ナショナリズムはその反対に福祉国家、グローバル企業を規制し、大きな政府の所得再分配政策により格差を縮小させるという主義だ。グローバリズムの最右翼はリバタリアンである。実際の社会では、複雑に絡まりあっているように感じる。というのも例えばトランプ大統領は、キリスト教福音派やラストベルトの白人貧困層が岩盤層(強固な支持基盤)であり、MAGAのキャッチフレーズを観るとナショナリズムと言えるが、そのトランプ氏に、グローバル企業であるテック企業、GAFMがすり寄っていたのは記憶に新しい。なので、現実の政治では、純粋な二項対立が鮮明ではない。しかし、思考実験の際の設定としては使える座標軸なのではないか、と思う。


●二項対立の例2

「西欧哲学的な意味での

人間的なもの vs 動物的なもの」


この文章だけだと分かりづらいですので、説明します。


西欧哲学では伝統的に古代ギリシアの市民をイメージして人間を定義してきたらしい(人間とは広場で演説し、議論し、ポリス政治に関与する人のことらしい)のです。実際には古代ギリシア市民の生活は奴隷の奉仕、奴隷労働の上にていたのですが、ここではポリス政治に参加出来る市民、公共に奉仕する市民、実際に武器をとって戦争に参加する市民を「人間」としており、その権利を与えられていない奴隷は、公共に奉仕しないという理由で、人間の外に追いやられており、人間でない、つまり「動物的な存在」とされます。すごく端折って言うと、思考する存在は人間、思考せずただ食べて寝ているだけの存在(消費者)は動物、このような色分けを西欧哲学の中ではするようなのです。19世紀英国の思想家ジョンスチュアートミルの「太った豚よりも痩せたソクラテスになりたい」という名言がありますが、哲学的な意味で人間vs動物という二項対立の例です。


●この二つの二項対立の関係を表すと、こうなります。それぞれの両端のグループが対立し合う、という構図です。


ポジティブ         ネガティブ

人間的       vs   動物的

ナショナリズム   vs   グローバリズム

国民国家      vs 帝国

成熟した市民    vs   匿名の消費者

公生活       vs 私生活


●2層構造、または共存


この二項対立に対して、著者は2層構造、または共存という表現で修正します。

著者は、そもそもこの二項対立に疑問を提示します。それは何かというと、このような二項対立は不正確で、そもそも現代人はどちらにもいる存在、2層構造の中で分裂した存在だといいます。この点は、確かに同意です。ベトナム製の服を着て、マクドナルドのハンバーガーを食べ、ジャズ、ヒップホップから美空ひばりの演歌までアプリで視聴し、サッカー日本代表のサポーターであり、君が代を歌うことに誇りを感じる、ある時はグローバリズムを推し、ある時はナショナリズムを推す、これが普通かと思います。というか我々は日頃どちらに属するかなんて意識していないと思います。両極端の間のグラジュエイトした状態を行ったり来たりしているのが現実だと思いますので。著者は、現代人は2層構造の中で分裂している、または2層構造の中で共存している、と仮定します。



●観光客


 こうした2層構造の中で、「観光客」という概念を著者は提案します。観光客の意義は、この2層構造の中を行き来して楽しむ存在として登場する概念装置です。観光客というと、移民や難民、国境を越えて移動する出稼ぎ労働者というモデルと比較すると、ふわふわして、捉えどころが難しい概念です。ただ、著者がこの概念を提案する背景には世界的な観光客の増加という状況があります。コロナ前2015年の国連のデータですが、年間12億人が観光客として

国境を跨いて旅をしている、つまり単純計算で世界の人口70億人として6人に1人は旅行をしていると大雑把にとらえることが出来ます。現代は人類史上でもまれに見る大観光時代となっているらしいのです。確かに訪日するインバウンドの数は年々増えていますし、日本の観光名所も多くの外国人を眼にします。

 

● 意識内での観光客化?


ただ、分裂、共存、という言葉から当方はヘーゲルを連想してしまいました。ヘーゲルは意識のあっちこっちに揺れ動く運動を「意識の戯れ」として意識の本来の在り方だとしていましす、当方の記憶が確かなら。その「流動的な」「分裂」の中で「反省」、つまり自己にブーメランのように戻ってきます、「円環運動」で意識が「形成」される、多分螺旋構造のイメージですが、特に進歩や改善ではなく、変化です。

 観光客の概念を考えると、どうも意識の中のこの運動もある意味「観光客」ですし、実際に国内外に観光して、現地で感じたこと、経験したことから、まあヘーゲル的には「知覚」したことから、新たな意識の運動が始まり、知見が広がる、ヘーゲル的には意識が「形成」される、こういうことも言えるのではないでしょうか。読書、映画鑑賞、絵画鑑賞、ライブ、うーん、ここまでくると際限がないかな?いろんな外部情報で形成はされますが、異なる共同体への侵入、具体例には海外旅行は、五感全てで感じるので、特に揺れ動き、インパクトは大きいと思います。

 なので、一旦観光客という本来の意味の観光客に戻って、観光客として観光することは、意識に新たな変化を起こす、と私なりの仮説にしたいと思います。

 また、観光する側も観光客を受け入れる側にもそのような何らかの意識の変化は起きることも仮説としたいと思います。


以上

(その1 一旦終わります、ありがとうございました!)

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