第六章 裁きの日(愛)

 けっこう怖いなぁ。みんな頑張って作ってたもんね。


 愛は感心しながら手作りのお化け屋敷を進んだ。


 明日はぜひ、薫を誘ってこのお化け屋敷に入りたい。吊り橋効果で、少しは彼に好きになってもらえるかも。そう思うと、今からドキドキする。

 受付の魔女のコスプレは我ながら最高に可愛いと思ったし、クラスの男子はみんなメロメロだった。でも、薫にはあまり効果がなかった。

 可愛いと褒めてくれたけど、ただのリップサービスのようだった。明日は文化祭にかこつけて普段の三割増しでメイクをして、ぜったいに薫を振り向かせてみせる。

薫と休憩時間が重なるように取り計らった。ついでに、朔耶と薫の休憩時間はわざとずらしておいた。邪魔者はいない、明日が勝負だ。


 井戸が見えてきた。忌まわしいことを思い出し、愛は思わず舌打ちをする。


 明日の本番ではこの井戸に女中の幽霊に扮した朔耶が潜む予定だ。

 女中役は顔半分にとびきり気持ち悪い焼け爛れたメイクをして、ところどころ縮れ毛の長い黒髪の鬘を被って、恐ろしい化け物に扮する。醜くなった朔耶の姿を見て笑いものにしてやろうと思ったのに、あの女は不気味なメイクを施しても美しさを保っていた。

 顔半分を醜くペイントした着物姿の朔耶を見て、男子生徒が息を飲んだのを愛は知っている。それも面白くなかったが、もっとも腹立たしかったのは、薫が朔耶を見て密かに感嘆を漏らしたことだ。


 やっぱり、薫は朔耶が好きなのだろうか。あんな男女のどこがいいんだろう。

 ムカムカしながら井戸に近づく。


 その時、鼻先を咽るような臭いが掠めた。なんだろう、この臭いは。


「血? まさかね」


よく見ると、井戸付近が赤く汚れている。


「なにこれ。ここに血糊なんてまいたっけ?」


 ベニヤ板で蓋がしてある井戸の方に目を凝らす。闇の中、ぼおっと不気味な顔が浮かび上がった。落ち窪んだ目は恨みがましく、腫れぼったい唇は赤黒く染まっている。


「いやぁーっっ!」


 愛は尻もちをついた。


「どっ、どうして。さとこサマなんていないんじゃ……」


 青褪めた愛にさとこサマが近付いてくる。漆黒の衣をまとった姿が死神のように思えて、ものすごく恐ろしかった。


 喉が引き攣って、叫び声はでなかった。ガチガチと震える歯の根を噛みしめ、愛は出口に走り出す。

 後ろから無言でさとこサマが追ってきた。ものすごい殺気を感じる。


「やだ、やだ、やだぁ。どうしてあいがっ」


 泣きながら走るが、ぐっと髪を掴まれた。毛根がブチブチと嫌な音を立て、頭皮に激痛が走った。


「ぎゃあっ」


 さとこサマは叫び声を上げた愛の髪を更に強く引っ張り、地面に転がした。振り上げた右手には、血に濡れた銀のナイフが光っている。

 愛は涙ぐんだ大きな目で、表情の変わらないさとこサマを見上げた。


「やめて、なんでこんなことするのっ」

「どうしてこんな目に遭うのか、わからないの?」


 くぐもった声で問いかけられて、愛は首を横に振る。


「あいはなにもしてないのに、悪いことなんて、なにもっ」


 失笑とも溜息ともつかない声が闇に響いた。

 ナイフを持っていない方の手が、愛の口を覆う。その直後、腹に猛烈な痛みが走った。


 愛は泣き叫んだ。だが、その声は覆われた手に飲みこまれて消えた。

 明るくて、可愛くて、みんなから愛されていたはずだった。由貴子と奈々、自分と同じレベルに近い親友も手に入れた。最高の学園生活を送れるはずだったのに。


「うううっ、いたいよぉ、いたいぃぃ……っ」


 呻きながら、愛は大粒の涙をこぼす。

 亜麻色の髪を容赦なくさとこサマが掴み、地面に転がった愛を引き摺り出した。抵抗したくても、腹部の痛みで体に力が入らない。暴れたら血がもっと出て、死んでしまうかもしれない。


 誰にも何もしていない。友達をパシリに使ったり、クラスカースト最下級の生徒を仲間外れにしたりした。

 でも、持ち物を隠したり、恥ずかしい動画を盗撮したりしたのは自分ではない。そういうことをしたら面白いだろうと入れ知恵はしたが、実際にそれを実行したのは、まりえや志穂など他の生徒だ。ただ見て、楽しんでいただけ。


 そもそも、いじめられる生徒が悪い。容姿が醜かったり、暗かったり、空気が読めなかったりと周りの人を苛立たせて損なうから、意地悪をされるのだ。そうでなければ、クラスの一員と認めて仲良くしてあげている。


 月葉がそうだ。一時は仲間外れの朔耶と仲良くしたし、逆らったから痛い目に遭わせた。だけど、お洒落になって明るく従順になってからは、本当の友達として扱っている。みんな月葉を見習えばいいのに。


「あいは、あいは悪くないっ。いじめてなんて、ないっ」


 つっかえながら訴えると、さとこサマは足を止めてこちらを見た。


「お前は罪人だ」


 断言した物言いだった。こちらを見下ろす落ち窪んだ双眸は機械のように感情がない。何を言っても無駄だと態度で伝えている。


 絶望と痛みに苛まれ、なすすべなく愛は暗闇の中に引き摺られていった。



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