第六章 裁きの日①

 十一月十八日の金曜日。いよいよ文化祭は明日だ。


 窓の外はとっぷりと日が暮れている。真ん丸のオレンジがかった太陽のような月が煌々と光を注いでいる以外、学校からは明かりが消えている。職員室だけはまだ先生が残っていて明るいのだろうけど、職員室とは別棟の四階の音楽室付近はさっきまでの喧騒が消えて、井戸の底のように静かだ。


 夜の学校は不気味だ。おまけに音楽室からは恐ろしげなお経が聞こえていて、余計に恐怖心を煽られる。ホラー映画は好きだけど、お化け屋敷は苦手だ。夏月は誰にも聞こえないように静かに溜息を吐いた。


「サイッコーのデキじゃん。手作りにしては本格的だよねー、ウチらがつくったお化け屋敷。明日は忙しくなりそうじゃん」


 由貴子が音楽室に作ったお化け屋敷の入り口を満足げな顔で眺める。

準備が終わったのはつい十分ほど前。

 文化祭前日の今日まで音楽室は授業で使うので、会場の準備ができなかった。放課後クラス全員で協力して、急ピッチで会場の準備を整えた。

 壁となる黒い布を被せたパーテンションや飾り、仕掛けや衣装などはすべて準備してあり、あとは会場を整えるだけだった。

 それでもやることは山ほどあった。机を積み上げて結束バンドで固定して連ねたり、パーテーションを並べたりして迷路みたいに複雑な通路を作って黒い布で覆う。狭い通路に柔らかい素材を並べて歩くのが気持ち悪くなるような仕掛けを作る。人感センサーのライトや気味悪い赤や紫のライトや通路が見えるようにするオレンジの柔らかな光のライトを仕掛ける。


 そうこうしているうちに、かなり時間がかかってしまった。

 お化け屋敷の図面は準備の最初の段階で完璧に完成させてあったし、先週の土曜日にお化け屋敷を組み立て、仕掛けの動作やお化け役の動きのリハーサルをしていたので、今日の準備はスムーズだった。

 とはいえ、会場の設置をして個人の仕事のおさらいを終える頃には、午後八時を過ぎていた。

 ふだんの最終下校時刻は夜七時だが、今日は特別最大で九時まで残ってもいいことになっている。だから問題はないが、こんなに前日に遅くまで残っているのは二年一組だけだった。


「それじゃあ明日の本番、がんばろうねぇ」


 愛が可愛い声で締めくくり、夏月もぞろぞろ帰って行くみんなに紛れて帰ろうと思っていた。下足室まで一度は降りたのだが、いざ靴を履こうとした時に、隣にいた月葉に引き留められた。


「夏月。お化け屋敷、ちゃんと見たくない?」

 悪戯っぽい顔で月葉が笑う。

「確かにもっとじっくり見たいけど、もうみんな帰ったから」

「お化け役がいなくたってじゅうぶん怖いと思う。今は夜だし昼よりももっと怖いはず。ほら、行こ」

 楽しそうな月葉を見ていると嬉しくて逆らえなかった。


 本当はもうクタクタで帰りたいけど、せっかくの文化祭前夜だしもう少しいいか。夏月は月葉と共に音楽室に戻った。そこには愛と由貴子もいた。


 なんだ、わたしだけじゃなかったんだ。


 夏月は密かにがっかりした。月葉はそんな夏月に少しも気付かないように、明るく弾んだ声を出す。


「さあ、四人でお化け屋敷を楽しもうよ」


 月葉の提案で、夏月たちは一足先にお化け屋敷を堪能することになった。順番に一人ずつ、お化け屋敷の入り口の音楽室から出口の音楽準備室までの小さなホラー迷宮を巡るのだ。


「あい、一番は怖いよ。ねぇ、誰か最初に入ってよぉ」

「じゃあウチが……」

「あたしが行く」


 由貴子の言葉を月葉が遮り、彼女が一番手となった。


「それじゃあ堪能してくる。二番手の由貴子はあたしが入った二分後に入って。その次は愛、最後は夏月。じゃあね、バイバイ」


 月葉は手を振って扉を開けた。途端により大きく聞こえたお経がすごく不気味だ。自分達の手作りのお化け屋敷で幽霊が出ることは万に一もない。そうわかっていても、夜中だとちょっと怖い。


「ヤバ、ウチなんかテンションあがってきた。そんじゃ、行ってきまーす」


 敬礼して二番手の由貴子が楽しそうに入っていく。

 怖さを味わうために荷物は置いてスマホも持たずに手ぶらで入ろうという月葉の提案を、スマホが友達の由貴子も忠実に守っていた。


「怖いけど楽しみだねぇ。ワクワクしちゃう」


 次の順番となった愛もはしゃいでいた。ノリがいいアピールではなく、心の底から弾んだ顔をしている。


 文化祭前日だからみんな、ハイテンションだ。階段から落ちて精神を病んで転校した志穂を最後に、さとこサマの呪いはピタリとやんだ。愛と由貴子はさとこサマの恐怖をすっかり忘れて、心から文化祭を楽しんでいるようだ。


 ああ、羨ましい。

 夏月は愛に聞こえないように細く重い息を吐きだす。


 夏月の頭にはさとこサマの呪いのことがこびりついて離れない。

 つい一カ月ほど前まで当たり前だった平穏な日常が突然のクラスメイトの連続死によって崩れ去り、再び死の呪縛から逃れて安寧の日々を過ごしている今でも、不安が胸を覆っている。


 なんとなく嫌なことが起きる気がする。杞憂だと笑い飛ばしたくても、できない。

 志穂が変なことを言うからいけないんだ。月葉が首を吊って死に、さとこサマとして復讐をしているなんて言うから、不安に憑りつかれてしまった。


 言いたいことだけぶちまけて逃げるように転校するなんて、あんまりだ。志穂のことは可哀想だけど、恨めしい。


 月葉と由貴子が消えた入り口を見ながら、夏月は溜息を吐いた。



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