第五章 暗幕⑥

 また一人、教室からクラスメイトが消えた。


 空席になった志穂の席を見て、夏月は密かに溜息を吐く。

 奈々やまりえのように死亡したわけじゃなうのでまだましだが、精神的に追い詰められていて神経内科の受診をすることになったらしい。学校は転校するそうだ。


「クラスメイトが亡くなったり、食中毒騒ぎがあったりして奇妙な噂が流行っているようだが、みんな惑わされるなよ。ぜんぶただの事故だ。誰にも非はないし、偶発的なものだから心配する必要もない。悩みがある者は、相談室を利用するように」


 倉坂先生は朝礼でそう言った。だけど、本当にぜんぶただの事故なのだろうか。これ以上、何も起こらないのだろうか。

 面白可笑しく「さとこサマ」の名を口にする生徒もいたが、暗い顔の生徒が多い。愛と由貴子、一之瀬と松島なんて真っ青な顔だ。彼らのあんなに弱った姿を見るのははじめてだ。

 普段の行いが悪いからだ。そう嘲笑えないのが残念だ。夏月自身、さとこサマの罰を受けるかもしれないと怯えている。


 火が消えたような教室のなか、いつもと変わらないのは薫だけ。神のようにこのクラスを俯瞰して見ている彼には、恐れるものなんてないのだろうか。彼は何かを知っている、そんな気がする。

 視線に気付いたのか、薫がこちらを見た。穏やかな笑顔をうすら寒く感じて、さっと視線を逸らす。

 前の方の席の月葉に視線を向ける。知りつくした後ろ姿。だけど、その中身は本当に月葉なのだろうか。


「立花月葉は夏休み、森で首を吊って死んだ」


 志穂の言葉が頭から離れない。

 馬鹿な。月葉が死んだなら、目の前にいる彼女はなんだというのだ。さとこサマが月葉を死に追いやったいじめっ子たちに復讐をするため、月葉の死体を動かしているとでもいうのか。


 ありえない。

 そう思う一方で、月葉に対してときどき感じる違和感や恐怖の理由がそれで説明できる気もする。


 月葉がもうこの世にいない。想像しただけで、二の腕に鳥肌が立った。

 馬鹿なことを考えるのはやめよう。夏月は志穂の言葉を頭の片隅のゴミ箱に投げ捨てた。



 お昼休み、ここ最近はよそのクラスでお弁当を食べていた愛と由貴子が、久しぶりに二人で月葉に近づいていった。久しぶりにランチ六星の復活(といっても奈々とまりえが死亡して四人だけしかいないが)だろうか。

 また華やかで楽しい時間が甦るかもしれない。

 卑しくも、夏月は少し期待をした。クラスの中心人物である愛たちが元に戻れば、また平穏だけど幸せないつもの日常がかえってくる気がしたのだ。

 だけど、期待は外れそうだ。それどころか、もっと悪いことが起きるかもしれない。


「月葉、ちょっと屋上こいよ」


 顎をしゃくって脅すような声で由貴子が言った。隣に立つ愛も薄暗い影を纏い、怖い顔をしている。


「寒いからやだな。ここじゃだめ?」

 すっとぼけた顔で月葉が尋ね返すと、二人は般若のように眦を吊り上げた。

「ダメに決まってんじゃん、こいっつってんだよ」

「時間のムダだよ、はやくして月葉」


 他の生徒が怒りを露わにする愛と由貴子に怯えて視線を逸らす。夏月はハラハラしながら様子を伺っていた。


「わかったよ。愛、由貴子、行こ」

 月葉が笑顔で立ち上がる。その顏は少しだけ引き攣っていた。

 愛と由貴子に連れられていく月葉がちらりと背後を振り返る。夏月はおもわずさっと視線を逸らした。


「立花」

 朔耶が立ち上がって月葉を追おうとした。だが、薫が朔耶の手首を掴んでそれを阻む。

 そうしている間に、月葉と愛と由貴子は教室を出て行った。


「離せよ薫、邪魔すんな」

「嫌だね。大人しくしていなよ、朔耶」

「とっとと離せ!」

 乱暴に薫の手を振り解くと、朔耶は教室を出て行った。薫は呆れ顔で自分の席に戻る。


 夏月は教室を出て密かに屋上に向かった。


「ごめん愛、トイレに寄っていい?」

 月葉が申し訳なさそうに尋ねると、愛と由貴子は溜息を吐きながらもそれを認め、三人で女子トイレに入っていった。


 尾行していた朔耶は離れたところからトイレの様子を伺っている。夏月は何食わぬ顔でトイレを通り過ぎると、屋上に先回りして給水塔に登った。


 じっと待ち構えること五分、月葉、愛、由貴子が現れる。

 日当たりのいいフェンスの傍まで移動すると、愛は胡乱とした目で月葉を見た。


「ねえ、月葉」

「なに?」

「さとこサマの呪いって、本当にあるのかなぁ。月葉はどう思う?」


 予想外の言葉だった。月葉もそうだったらしく、ぽかんと口を開けて固まっていた。

 愛が傷付いた顔になり、由貴子が垂れた眦を吊り上げる。


「アホヅラしてないで、さっさと愛の質問に答えろっつーの」

「え、ああ。ごめん。びっくりしたから。愛も由貴子も、そういうのぜんぜん気にしないタイプじゃなかったっけ?」

「そりゃウチも愛もはじめは気にしてなかったよ。でも、こんだけウチのクラスだけで不吉なことばっか起こると、さすがに気になるっしょ」

「あいもはじめはさとこサマなんてちっとも信じてなかった。黒板のメッセージもラスメイトの誰かの仕業だって思ってたよ。でも、今はちょっと怖いの。さとこサマは本当にいるのかも。ねえ、月葉はどうなの?」


 不安そうな愛と由貴子を前に、月葉はあっけらかんとした笑い声を上げた。


「落ち着いて、愛、由貴子。大丈夫、さとこサマなんていないよ。ごめん、あたしがふざけてさとこサマの話なんかしたせいだね。まさか、誰かが本当にさとこサマに血を捧げているなんて思ってなかったから……」


 真っ赤に濡れたさとこ像の赤い唇を思いだして夏月は震えた。愛と由貴子も怯えた顔をしている。

 そんな中、月葉だけは底抜けに明るい笑顔を浮かべていた。


「あんなのただの噂だよ。あたしたちのクラスで起きたことはぜんぶ偶然。重なると怖いけど、でも偶然だから」

「本当にそう思う?」


 震える子犬みたいな愛の瞳がじっと月葉を見詰める。


「大丈夫だって。さとこ像が建ったのは五十年以上も前だよ。仮に本当にさとこサマの霊がいて今までにいじめっ子を殺してたら、『星園高校でまた怪死か?』なんて陳腐な見出しのニュースになって叩かれているか、最悪は廃校。でも、いくらネットで検索しても星園高校の生徒が連続死なんてニュースはないし、受験する前もそんな噂聞かなかった。つまり、さとこサマなんていないってこと」


 月葉の言葉に愛と由貴子がほっとした顔で笑う。


「そっかぁ、月葉の言う通りかも」

「ホント、説得力あんじゃん。月葉」

「安心したら、あい、お腹減っちゃったぁ。教室に戻ろ、ユッキー、月葉」

「ウチもめっちゃハラ減ったー」


 暢気な顔で愛と由貴子が月葉に背を向けた。

 だけど、月葉は動かない。


「どうしたの月葉、早く帰ろうよぉ」

 ねっとり甘い声で誘う愛に、月葉はへらりと笑う。

「今日、食欲ないんだ。かわりに、屋上で昼寝してく。ポカポカして気持ちいいしね」

「えぇ。やだぁ、月葉ったらクマサンみたぁい」

「そんじゃウチと愛は戻るから、ごゆっくりー」

 手を振って愛と由貴子が屋上を去った。


 月葉が笑顔を消して固い顔で立ち尽くす。その顏があまりに無表情で、夏月はぞっとした。


 声をかけたいが、助けもせずに見ていたなんて知られて失望されたくない。

 夏月が困っていると、屋上のドアが開いた。入ってきたのは朔耶だ。


「なんだ、高杉か」

 脱力して座り込んだ月葉に朔耶が駆け寄り、月葉が微笑む。

 心の片隅がチクリと痛んだ。


「大丈夫か、立花」

「だいじょうぶ。ちょっと気が抜けただけ」

「なに話してたんだ?」


 細い眉を寄せる朔耶に月葉が目を丸くする。


「もしかして、心配して見に来てくれた?」

「そんなんじゃない、たまたまだよ」


 朔耶の青い瞳が右に逸れたのを見て、月葉がクスクスと笑い出す。


「チッ、笑うなよ。麻生や今藤が怖い顔でお前を呼び出したから、またなんかする気かと思ったんだよ。私の早とちりだった」


 朔耶が不貞腐れた顔で白状すると、月葉は心底嬉しそうな顔をした。


「ありがと高杉、心配してくれて」

「礼を言われることじゃないだろ」

「そんなことない、本当にありがとう」


 月葉が泣きだしそうな顔になった。迷子のような、困惑した顏。あんな月葉、はじめて見る。


「おい、本当に大丈夫か?」


 朔耶が月葉の頬に触れた。月葉が甘えるように朔耶の手を引き寄せて頬ずりをする。


 なんだろう、この光景。まるで恋人同士みたいだ。

 夏月は胸がもやもやするのを感じた。朔耶と月葉はいつからこんなに親密になったのだろう。月葉の隣は自分の指定席なのに。


「悩みがあるなら、私に話してくれ。必ず力になる」

 力強い声で朔耶が言った。

 月葉は数秒ほど無言で朔耶の手に頬を寄せていたが、ゆっくり朔耶から離れた。

「平気、悩みなんてない。毎日、楽しく過ごしてるから」

 月葉は穏やかな笑みを浮かべていた。だけど、柔らかく細めた黒曜石の目には、突き放すような冷たい色を宿していた。

 鋭い朔耶は拒絶に気付いたようで、静かに踵を返した。


「大丈夫なら、いいんだ。邪魔したな」


 尻尾みたいな綺麗な薄茶色の髪を靡かせて去る朔耶を月葉がじっと見送る。

 その視線は熱烈で、さっきの拒絶が嘘のようだった。


 今の月葉の気持ちが夏月にはまるでわからない。何を考えているのだろう。

 木枯らしが吹く屋上に一人佇む月葉を、夏月は静かに見詰めていた。数分後、月葉が屋上を去っても夏月は動けなかった。


 愛と月葉がまた決裂するかもしれないという嫌な予感は外れた。それどころか、この昼休みをきっかけに以前までの穏やかで楽しい日常がクラスに戻ってきた。


 そして、あの運命の文化祭前夜がやってきたのだ。


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