第五章 暗幕③


 綻びはもう、繕えないほど広がっている。今の教室の様子を見ていると、そんな気がして滅入ってしまう。


 夏月は古くなって捨てる予定だったグランドピアノ用の大きな黒いカバーを布裁ち鋏で切りながら、小さく息を吐き出した。


 十一月の第三土曜日の文化祭を控え、教室はお化け屋敷の準備で賑わっている。

 だけど、フレンドリーに笑った顏の下で、クラスメイトたちは互いへの疑惑をチラつかせている。このクラスの生徒の誰かがさとこサマに血を捧げ、奈々、横尾、まりえの三人を殺した。そう考えている人が多い。


 三人の死が偶然とは思えない。死は確かに日常の傍に潜んでいるかもしれないけど、高校生が安全な学校の圏内で次々と死ぬ。それが単なる偶然なわけがないと夏月も思っている。


 正直、怪しいのは小百合だ。

 小百合が不登校になってから、事件が続いている。彼女はさとこサマにいじめっ子を罰して下さいと願い、安全な自室のベッドで二年一組から届く訃報を待ち侘びているのではないか。


「こんな時にお化け屋敷もないよねえ。本物の幽鬼がでそうじゃないかい?」

 薫がにこやかに話しかけてきた。

 手には文庫本の小説。お化け屋敷の準備をサボっているのが明らかだ。

「幽鬼だなんて、そんな、大丈夫だと思うよ」

 愛の視線を感じながら、夏月は素っ気なく返事をする。

 薫は夏月の迷惑そうな素振りなど気にせず、ぺらぺらと喋りだした。

「幽鬼なんて存在しないと夏月ちゃんは考えているのかい? それは妙だね。少なくとも君は、さとこサマの霊に怯えているように見えるけどね」

「えっと、それは……」


 確かにその通りなので反論できない。

 だからと言って、幽霊が怖いなんて怯えてみせれば媚びていると非難されかねない。

 困っていると、愛が近付いてきた。


「薫くん。ダメだよ、夏月のジャマしちゃ。夏月は真面目にがんばってるんだから、見守ってあげてね」


 案内係を買ってでた愛は、当日着る予定の衣装を試着していた。

 パフスリーブとスカートのフリルが可愛いミニスカワンピースに襟付きの黒いケープ、トンガリ帽子を被った姿は、恐ろしい魔女というより魔女っ娘だ。


「おや、愛ちゃん。とっても似合っているよ。可愛いね」

 薫が愛の服装を褒めるが、いつも通り飄々とした笑顔だ。やにさがった顔の他の男子とはやはり一味違う。

 薫はいつも色んな女子との恋愛の噂が尽きない。駅前のカフェで美人会社員とコーヒーを飲んでいたとか、三年生の高嶺の花と呼ばれる美女と腕を組んで夜の公園を歩いていたとか、一年生の美少女とラブホから出てきたとか、そんな話が気にしていなくても飛び込んでくる。


 ただ、不思議とクラスの女子との浮ついた噂話はない。愛や由貴子や奈々の見目がいい生徒と仲良さげに喋っていることはあるけど、彼女たちと付き合っているという噂は一度も聞いたことがない。

 このクラスで薫と噂があるのは、朔耶ぐらいだ。

 夏月は朔耶と薫がしょっちゅう教室で繰り広げている喧嘩は、男友達同士の喧嘩と同じ類のものだとずっと思っていた。でも、そうじゃないかもしれないと最近思う。

薫の朔耶へのえげつないからかいは歪んだ愛情表現なのかもしれない。よく考えれば、本当に嫌いならあんなにしつこく構ったりしないだろうし、食中毒事件の時のように、身を挺してまで朔耶を庇ったりしない。


 薫と朔耶がくっつけば、朔耶に月葉を奪われることはなくなるかもしれない。そう思うと心が軽くなった。

薫と朔耶、美貌のハイスペック同士お似合いだ。


「かわいいとか照れちゃうよぉ。薫くんに褒められるなんて、あい、嬉しい。ちょっぴり恥ずかしいけど」


 ペロッと赤くて小さな舌を出し、上目遣いで薫を誘う愛が滑稽だ。

 愛はアイドルみたいに可愛いけど、化粧で盛った状態でこれだ。すっぴんで美女の朔耶には逆立ちしたって勝てない。

 嘲笑が零れそうになり、夏月は慌ててピアノカバーの布との睨めっこを再開する。

愛は自分にとって都合がいいかどうかや、彼女基準の容姿採点で同じクラスの子に優劣をつけ、子分として気紛れに可愛がったり、敵として排除したりする嫌な女だ。


 夏月は心の底では愛が嫌いだ。だけど、そんな愛にも嫌われたくないと、彼女に対してへいこらして、彼女に好かれるためなら他の子を傷付ける。

 それなのに愛に敵認定された子からも嫌われたくないから、その子たちにも親切な顔をして上っ面で同情したりする。


 この布と同じ黒色の蝙蝠、それが自分だ。

 夏月は布裁ち鋏をぎゅっと握り締めた。


 ピアノカバーを貫頭衣風の長袖ワンピースの形に切り終えて次の作業に移ろうとした時、ポンと肩を叩かれた。


「ちょっといいかしら」

 顔を上げると、志穂がそこにいた。

「志穂ちゃん。あれ、今日は体調が悪いから帰るんじゃなかったっけ?」

「いいから、来て」

 切れ長の黒目がちな瞳にジロリと睨まれ、逆らえなかった。


 持ち場を離れることを周囲の人間に告げる間もなく、志穂と教室を出る。

 戻った時、他の生徒にサボっていたと非難されないだろうか。ふと過った不安はすぐ霧散した。

 目立たない自分はいてもいなくても同じ。そっと教室を抜け出したところで、気付いてくれるのは月葉ぐらいに違いない。


 志穂は前と同じように夏月を屋上への階段に連れていった。

 注意深く周囲に誰もいないことを確かめる志穂は、病的なまでに神経質な感じがした。


 志穂はまりえが死んでから、ずっと思い詰めた顔をしている。夏休み明けからずっと様子が可笑しかったし、月葉がさとこサマだなんて突拍子もないことを言ってきたけど、最近は以前にも増して変だ。


「えっと、志穂ちゃん。その、大丈夫かな?」

「大丈夫じゃないわよ!」

「え、えっと、体調が悪いなら早く帰ったほうがいいよ」

「私のことはどうでもいいのよ。それよりも。問題なのは貴方よ」

「どういうこと?」

「恍けないでよ。私が忠告してあげたのに、いまだに立花月葉と仲良くしているなんて呆れたものね。もう三人目の犠牲者が出てしまったのよ!」

「犠牲者だなんて、奈々ちゃんと横尾くんは事故死だし、まりえちゃんは自殺だよ」

「まりえは図太い神経の持ち主よ、自殺は絶対にありえない」

「でも、屋上から飛び降りたんだよ」

「立花月葉に殺されたのよ。まりえを呼び出して突き落としたんだわ」

「ありえないよ。月葉はその時間、まだ学校に来てもいなかったんだよ?」

「それは本人の自己申告よね」

「月葉が嘘を吐いているってこと?」

「貴方だって似たような嘘を吐いたことがあるんじゃないかしら」


 夏月が黙っていると、志穂は嫌味な笑みを浮かべた。


「愛に命令されて早く登校して、標的に嫌がらせを仕込んでから隠れる。そして、嫌がらせが発覚してから、あたかも今来たよう演出するとかね」


 その通りだ。

 夏月はまりえと月葉と早朝学校にやって来て、小百合の机に葬式花と嫌がらせの手紙を仕込んだ日のことを思い出した。

 きっと、志穂もまりえと共に愛たちの従者のように振る舞っていた時期に、同じようなことを月葉にしたのだろう。


 今年のゴールデンウィーク明けの朝、エロ本のヌード写真に月葉の顏を張りつけた合成写真のプリントが黒板に貼ってあったことがあった。あれはきっと、志穂とまりえの仕業だったんだ。


「でも、さすがに月葉だって、愛ちゃんに頼まれたからって殺人なんてしないよ」

「私は立花月葉が愛の命令でまりえを殺したとは言っていないわ」

「志穂ちゃん、さっき月葉がまりえちゃんを突き落としたって言ってたよね?」

「愛の命令じゃなくて、立花月葉が単独で実行したのよ。まりえだけじゃない。横尾や奈々もまりえが殺したのよ」

「まさか、そんな。月葉は二学期に入ってから愛ちゃんたちと仲良しだったから、奈々ちゃんや横尾くん、まりえちゃんを殺すはずがないよ」

「そう油断させて、あの子が殺したに決まっているわ」


 月葉を殺人犯呼ばわりする志穂に腹が立った。


「やけに確信めいた言い方をするんだね。志穂ちゃん、なにか証拠でもあるの?」


 志穂はこの問いかけに答えられず困窮するだろう。

 そう思っていたが、彼女は自信ありげな顏を崩さなかった。


「証拠ならあるわよ。まあ、見せることのできない証拠だけどね」

「見せられないんじゃ証拠にならないよね」

「なるわ」

「じゃあ教えて、どんな証拠があるっていうの?」

「本物の立花月葉は死んでいる、それがあの子が殺人犯という証拠よ」


 月葉が死んでいる?

 意味がわからない。志穂は狂っているのではないか。


「月葉は今も学校に来てるでしょ」


 呆れた顔をする夏月を志穂はぎろりと睨む。


「今いるあの子はさとこサマ、悪霊よ!」

「は? え、えっと、それ冗談だよね?」

「私は本気よ」

「意味が分からないよ。どうして月葉が悪霊だと思うの?」

「これは誰にも言っていない。言っても馬鹿にされるからね。でも、立花月葉の親友だった貴方ならわかってくれると思うから言うわね」


 真面目な顔で念押ししてから、志穂が言う。


「私ね、夏休みにあの子が森で首を吊って死んでいるのを見たのよ」


 一瞬時が止まった気がした。


 月葉が森で首を吊って死んだ?

 荒唐無稽な話だ。でも、志穂は大まじめな顔をしている。


「ごめん、志穂ちゃん。どういうことか説明してくれないかな」


 志穂は真顔のまま語り出した。



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